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赤い広場ー霞ヶ関 p.164-165 エラブカ中央委員だった清水達夫

赤い広場ー霞ヶ関 p.164-165 "The monster" Fusanosuke Kuhara, the chairman of the Japan-Soviet Union National Congress on Restoration of the Diplomatic Relations, encouraged the Japanese government to take advantage of the Soviet policy.
赤い広場ー霞ヶ関 p.164-165 ”The monster” Fusanosuke Kuhara, the chairman of the Japan-Soviet Union National Congress on Restoration of the Diplomatic Relations, encouraged the Japanese government to take advantage of the Soviet policy.

一般論としての文化宣伝活動ということは、諜報謀略活動と表裏一体である。例えばソ同盟対外文化連絡協会駐日代表(ⅤOKS)という肩書をもつチャソフニコフ二等書記官は、ソ連人クラブに週二、三回は出入りして情報を集めているという。また「日ソ文献交流センター」を文書諜報機関とみる当局係官もいるといったわけである。

そして私はここにもシベリヤ・オルグの一人、清水達夫氏を見出すのである。

同氏はエラブカ将校収容所で中央委員をつとめていた元中尉である。昭和二十三年八月十二日、舞鶴入港の遠州丸で引揚げてきた。

一方、二十八年五月になると、前年の十一月七日の革命記念日パーティに個人の資格で招待された、〝保守反動分子〟らを中心として、「日ソ国交調整準備委員会」が政治的な動きをみせながら発足した。これはさらに二十九年十月になるや「日中日ソ国交回復国民会議」という形に成長、馬島僴氏が事務総長に就任し、さらに三十年二月十一日には〝怪物〟久原房之助氏を、会長にすえるというところまで発展した。

この二月十一日の同会議役員会について、同日付読売、東日は次のように報じて多数の人名をあげている。

政府に対し、かねて日ソ国交の正常化と対中ソ交流の促進を要望してきた、日ソ国交回復国民会議

(事務総長馬島僴氏)では、今回のソ連政変にともない十一日午前十一時から、東京一ツ橋如水会館で役員会を開き、会長に久原房之助氏を選任のうえ、今後のソ連情勢につき意見を交換する。同役員会には久原、馬島両氏のほか加納久朗(函館ドック会長)小畑忠良(元企画院次長)西村有作(日本水産相談役)伊藤今朝市(日ソ貿易促進会議代表幹事)平野義太郎(日本学術会議会員、日中友好協会副会長)伊藤猪六(大日本水産副会長)ら対中ソ民間団体、業界代表二十氏が出席することになっている。この役員会ではとくに次の諸点につき協議、政府に対する具体的要望事項、同会議の運動方針などを打出す。

一、ドムニッキー文書にともなう日ソ国交交渉についての回答は、さきの鳩山・ドムニッキー会談の結果事実上ソ連代表部の駐在を認めたものであり、国連の沢田大使を通ずるか、または第三国を通ずる交渉方式をとるのは妥当でない。

一、同会議からソ連に対し民間親善使節を派遣することを決め、首相、外相に協力を要請する。

一、三月下旬に同会議初の全国大会を東京で開き、全国漁業会議、日ソ経済会議を開催する。また中国通商使節団来訪を契機に、強力な中ソ国交正常化運動に乗出す。(読売新聞)

日ソ国交回復国民会議(事務総長馬島僴氏)では、きよう十一日午前十一時から神田一ツ橋如水会館で最高役員会を開き、

一、現在空席の会長に久原房之助氏を推す。

赤い広場ー霞ヶ関 p.166-167 日ソ国交回復国民会議の陰にシベリヤ・オルグ土井祐信

赤い広場ー霞ヶ関 p.166-167 It was a Siberian-Organizer Masanobu Doi, who was in Khabarovsk camp, who pulled out "The monster" Fusanosuke Kuhara.
赤い広場ー霞ヶ関 p.166-167 It was a Siberian-Organizer Masanobu Doi, who was in Khabarovsk camp, who pulled out “The monster” Fusanosuke Kuhara.

日ソ国交回復国民会議(事務総長馬島僴氏)では、きよう十一日午前十一時から神田一ツ橋如水会館で最高役員会を開き、

一、現在空席の会長に久原房之助氏を推す。

一、日ソ国交回復について今後の進むべき方策の情勢分折。

などを検討する。現在のソ連との国交を戦争状態のままにしておくことは最早許されない。従ってソ連に対して戦争状態終結宣言をなさしめる積極策を政府筋に勧告するものとみられている。同会が会長に久原房之助氏を推すのは『総選挙前でも日ソ国交のための全権委員を派遣したい』との鳩山首相発言ともからんで、同会ではこの全権委員に久原氏を委嘱することを強く希望するものとみられる。

なお十一日の同会最高役員会に出席を予定されている顔触れはつぎの通り。

風見章、村田省蔵、平塚常次郎、北村徳太郎、加納久朗、伊藤今朝市、北玲吉、海野晋吉、中島健蔵、山本熊一、平野義太郎、馬島僴の諸氏のほか、貿易、水産業界等の各経済界代表、労働団体代表も出席する。(東京日日新聞)

同会議の準備委当時の出発から、つねに中心になってきたのは、二十七年一月二十九日の日ソ経済会談を準備した風見章氏である。馬島僴氏はあくまで表面的な人物で、鳩山・ドムニッキー会談で浮んできたとき、治安当局が行った同氏の身許調査によれば、戦時中は、大陸で軍と関係のあるらしい麻薬関係の仕事をしていたが、戦後はソ連代表部の嘱託医をしており、情報の程度の話だが、独身者の多かった代表部員たちの、そのため相手方に起る各種の〝悩み〟を解決してやって、非常に親密になったといわれている。

そのような意味で、ラストヴォロフ氏なども世話になったかも知れず、同様に代表部員たちが出入りする麻布六本木のインターナショナル・クリニックの白系露人某氏(特に名を秘す)とともに、事件当時当局の興味の対象となっていたことがある。

同会議についての最大の関心は、やはり久原房之助氏の登場である。どうしてこの〝怪物〟がでてきたかということは、当局の得た情報によれば、その引出し工作を担当した一人の男がいるということである。この全く新聞紙上にも〝名前の出ない男〟は誰か?

そして私はここにもまたシベリヤ・オルグの一人、土井祐信氏を見出すのである。同氏こそその〝名前の出ない男〟である。

しかし同氏の名前は、「日中日ソ国交回復ニュース」(千代田区九段三ノ七、同会議発行)の名儀人として表面には出ている。彼はハバロフスク収容所で第十六地区ビューローの幹部であり、二十四年十一月二十七日舞鶴入港の高砂丸で引揚げてきた元軍曹である。

このように次々とシベリヤ・オルグが登場してくるからには、日ソ親善協会の中にある「ソ連帰還者友の会」も見究めねばならないであろう。

〝ナホトカ天皇〟津村謙二氏らのナホトカ・グループが帰国して組織した「ソ連帰還者生活擁護同盟」(ソ帰同)が、「日本帰還者同盟」(日帰同)と変り、二十四年十一月、日本新聞グル

ープが帰国するにおよび、二十五年はじめに組織の改正が行われ、同年春の徳田要請問題にからんで、津村氏らの一派が粛清されたことはすでに述べた。