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赤い広場ー霞ヶ関 p.136-137 高良とみにまつわる「高良資金」とは

赤い広場ー霞ヶ関 p.136-137 The security authorities were working hard to back up the information about member of the House of councilors, Madame Tomi Kora, called “Kora fund”.
赤い広場ー霞ヶ関 p.136-137 The security authorities were working hard to back up the information about member of the House of councilors, Madame Tomi Kora, called “Kora fund”.

細川氏の手許には五千円の現金と一枚の名刺が残されていた。そして、これが〝ナゾの女〟の唯一の手がかりであった。他にも池上(特に仮名)という女性から手紙がきて、未帰還の息子のことで、ソ連代表部のロザノフ氏をたずねなさいといわれた留守家族もある。そして当局筋では、このような不思議なケースが、赤軍第四課の線を解明する一つのカギではないかともみている。

いずれにせよ、赤軍系の日本国内におけるスパイ網は、まだその全貌を秘めたままでいる。次に東京で起きるスパイ事件は果して内務省系であるか、また赤軍系がその片鱗をのぞかせるような事件であろうか。

三 「高良資金」とナゾの秘書

ソ連の対日政策は常に一貫して流れているということで、これを三つの段階に分けてみたのは第一集の通りである。即ち、第一期は終戦後のソ連代表部設置から二十六年六月三十日、共同記者の単独会見までで基礎工作の段階、第二期は二十七年四月二十八日講和発効まで工作具体化の段階、第三期が三十年一月二十五日鳩山・ドムニッキー会談まで仕上げの段階であった。そして現在は第四期で収獲の時期である。

この段階によってみてみると、第一期にあげられるのはソ連引揚である。一見大まかに見え

ながらも、緻密な計画と周到な準備と、さらに徹底した教育とによって、百万日本人の引揚が継続的に行われたことである。

第二期といえば対日講和必至とみて、これら第一期工作の根拠地であった麻布のソ連代表部の退去を予想した、秘密地下拠点設置を急いだ具体化の時期である。この間にスパイ線の整理として、再確認と新採用とが行われて、政治経済情報と日米間の基礎資料とが主として集められた。そうして仕上げの第三期に入ってゆく。

そんな時期のころ、治安当局では「高良資金」という、参院議員高良とみ女史に関する情報の裏付捜査を懸命に行っていた。これは日共をはじめとする左翼系各団体の国外資金流入の捜査にまつわって出てきたもので、その中心人物が二十七年春のモスクワ経済会議の際における入ソ第一号、二十八年春の中共引揚使節団代表の旅券問題などで、「外事特高」関係当局に疑惑の眼でみられていた高良とみ女史だけに当局は緊張した。

調べによると「高良資金」とは、二十八年六月五日からデンマークのコペンハーゲンで開かれた第一回世界婦人会議に、随員として出席した高良とみ女史令嬢真木さん(二五)と、女史の秘書柏木敦子さん(二七)両女が、同会議終了後代表団を解散してから、個人の資格でソ連中共に入り、さきごろパリに帰ってきたさい、真木さんが携行してきたもので、〝莫大な小切 手〟といわれている。

赤い広場ー霞ヶ関 p.138-139 「高良資金」はSCIを通じて現金化?

赤い広場ー霞ヶ関 p.138-139 Did money from the Soviet Union or the Chinese Communist Party flow to the FUDANREN(Japan Federation of Women's Organizations) as “Kora fund”?
赤い広場ー霞ヶ関 p.138-139 Did money from the Soviet Union or the Chinese Communist Party flow to the FUDANREN(Japan Federation of Women’s Organizations) as “Kora fund”?

調べによると「高良資金」とは、二十八年六月五日からデンマークのコペンハーゲンで開かれた第一回世界婦人会議に、随員として出席した高良とみ女史令嬢真木さん(二五)と、女史の秘書柏木敦子さん(二七)両女が、同会議終了後代表団を解散してから、個人の資格でソ連中共に入り、さきごろパリに帰ってきたさい、真木さんが携行してきたもので、〝莫大な小切

手〟といわれている。

その後柏木さんは真木さんと別れてロンドンに行き、真木さんは依然パリに滞在してこの小切手の日本送金、もしくは現金化に苦慮していたという。

一方、①当局が入手した日共秘密文書「組織者」(二十八年十一月十八日付)号外に十二月五、六、七の三日間東京芝公会堂で開かれる、日本婦人大会についての極秘指令が出されており、

②また同大会の主唱者である婦団連(婦人団体連合会)の活動が、十二月以降活溌化しているが、その資金は十一月はじめには殆どなかった事実、

③高良女史が旅券問題でもめながらも強引に代表団に加って中共入りしたさい、このコペンハーゲンの世界婦人会議の招待状を受取って帰り、自分の代理として、息女と秘書を随員に加えて入ソさせた点、

④女史自身が日本婦人大会に関係していることなどから、或いはすでに同資金は日本へ送られ、婦団連に流れているのではないかともみられている。

この資金の出所については、大山郁夫氏の第二回国際平和スターリン賞(十万ルーブル、邦価換算九百万円)ではないかとの説もあったが、当局では高良女史の流暢な英会話という技術と、

クエーカー教徒という看板とで、数次の共産圏旅行に話をつけて獲得した別口の「高良資金」であり、女史の国際的利用価値からこの金が出されたものとみている。

当局がこの資金を注目するにいたった端緒は、ユネスコ内にあるSCI(国際建設奉仕団)派遣員某氏から同日本支部へあてた報告からであったという。SCIというのは、高良女史にまつわってしばしば登場するので一言説明しておこう。これは国際建設奉仕団の略称で、第一次大戦後フランスで戦災をうけた村落復興のため、スイスの哲学者ピエール・セレゾールの提唱で、国境を越えた労力奉仕が行われてから組織化され、治山、治水、道路、住宅建設などを行っている。〝ツルハシとシャベルで人の心に平和を植える〟をスローガンに、日本では、緑十字運動、学生キャンプ、学校植林運動などを行う平和団体である。

さてその連絡の内容は、「(前略)SCIに関しても高良さんは良く理解しておられぬことと存じます。現在まで如何に皆々様はじめ私は苦しめられたか、現在も真木さんに関する小切手を現金にするためラルフ氏(註、SCI本部職員)に頼み、SCIの名をもってするといった方法です。この小切手(大きな金額)に関し、ラルフ氏は何処より出たものか実に不明のものと申し、個人ではとても銀行では注意して金を出さないようです。故に、はっきり取扱わないと申しております。(後略)」とあったもので、高良女史の海外旅行はすべてこのSCIを利 用したものだったらしい。