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雑誌『キング』p.23中段 シベリア抑留実記 労働の程度

雑誌『キング』昭和23年2月号 p.23 中段
雑誌『キング』昭和23年2月号 p.23 中段

が、衣食住の悪条件とあいまって一番苦しいらしい。

「働かざるものは食うべからず」の鉄則は私達にも厳しく適用された。すべてのことにノルマ(標準)があって、一つ一つのどんな細かい仕事にもその作業標準がある。たとえばこの切羽からは一人一日(八時間)八トンの石炭とか、枕木を五十メートル以内運搬するのは何本とかときまっている。そしてそのノルマを遂行しなければ残業である。あるいは指揮官にその責任を問うて処罰する。処罰は営倉があり、食事を制限して苦役に使用された。さらに重いのに拘禁所があり、十二時間の重労働が課せられた。

患者は作業に出なくてよいのだが、神経痛とか形にあらわれない病気の者などは、ソ連軍医が患者として扱ってくれないし、また作業場で腹痛とか急病人が出てもソ連人の監督がいてオチオチ休ませてやれない。だから無理をする。そのためにすっかり体をこわしたり、負

雑誌『キング』p.21上段 シベリア抑留実記 最初の冬

雑誌『キング』昭和23年2月号 p.21 上段
雑誌『キング』昭和23年2月号 p.21 上段

働は鉄のように守られた。しかも炭坑は二十四時間三交替で決して休まなかった。私達には働くどころではなかった。寒さと闘うのが精一杯だった。朝夕の点呼は一時間以上も屋外に立ち、働きが悪くて二時間三時間もの残業をやり、業間作業に使われ、八時間労働と聞こえはよいが、八時間の睡眠すらとれない有様だった。隙間風のもれるバラックの中で貨車の車軸からとってきた油を灯し、玉蜀黍粉の湯がいたものをすすった。水くみは隊列を作り、警戒兵が付いて一キロ以上も往復した。たまの休みには朝暗い中から起き、六キロも歩いて入浴にゆき、夜遅く飯抜きで帰ってくる。その入浴も桶に湯をもらって行水するのだった。

眼に見えて体力が消耗した。痩せて真黒な顔をして虱をたくさんつけていた。感冒が発病する、下痢は止まらない、凍傷ができる、なれない作業から負傷する。衣食住のあらゆる悪条件の結果は、感冒は肺炎に、下痢は栄養失調に、凍傷は凍冱(全身凍傷)にと進行し、バタバタと倒