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最後の事件記者 p.214-215 ルーインが堂々と歩いている!

最後の事件記者 p.214-215 大親分ルーインが日本に密入国しているというウワサが耳に入った。日本の外務省も、彼を「日本にとって好ましかざる人物」の項目で、入国拒否者として登録していた。
最後の事件記者 p.214-215 大親分ルーインが日本に密入国しているというウワサが耳に入った。日本の外務省も、彼を「日本にとって好ましかざる人物」の項目で、入国拒否者として登録していた。

誘惑と恫喝と取材の困難。

『お断りしておきますが、私はあと一カ月で、アメリカ合衆国市民の権利を獲得するということに御注意願いたい』彼は現在、無国籍の砂糖の脱税屋である。本人はシベリア生れ、妻はハル

ピン生れ、息子は上海生れ、という、家族の系譜が、彼を物語る。

『御参考までに申上げますと、私は東京ライオンズ・クラブという、アメリカ実業人の社会慈善団体の幹部です。これをお忘れなく』彼は時計の密輸屋である。そして、彼はハルピン生れで、妻は天津ときている。

二人の取材は進行した。不良外人のアクラツな手口と、経歴と、犯罪事実や不法行為のメモがつづられていった。取締当局の係官も、かげから取材に協力してくれた。

第一線刑事たちは、自分たちの手のとどかない、〝三無原則〟の特権の座を、新聞の力で、くつがえして欲しいと、願っていたのだった。そして欧米人たちは、ポリスよりもプレスを恐れていた。

国際博徒の大親分

全世界を三つのシマに分けて、てい立する国際博徒の親分。シカゴ系のジェイソン・リーは、鮮系二世の老紳士だが、アル・カポネのお墨付をもつ代貸しだ。上海系の王(ワン)親分は、上海のマンダリン・クラブの副支配人という仮面をかぶっていた、リチャード・ワンという男で、青幇(チンパン)の大

親分杜月笙と組んでいて、銀座のVFWクラブにひそんでいる。マニラ系は、比島政界の黒幕テッド・ルーイン。その片腕ともいうべきモーリス・リプトンは元水交社のマソニック・ビルに陣取っていたのである。

リーやリプトンのインタヴューをつづけてゆくうちに、大親分ルーインが日本に密入国しているというウワサが耳に入った。ルーインはGHQ時代から「入国拒否者」となっており、独立と同時にそのメモランダムは外務省に引きつがれ、独立した日本の外務省も、彼を「日本にとって好ましかざる人物」の項目で、入国拒否者として登録していた。それなのに、ルーインが東京の街を、堂々と歩いているとは!

私は法務省入管局を訪れた。当時の所管は外務省の外局で、保管もほとんど外務省系の連中だった。ここが肝心要のところだ。私はアチコチで駄弁りながら、チャンスの到来を待っていた。

外国人登録カードの係官が、席を立つのを待っていたのである。そして、待つほどに、そのチャンスはやってきた。私は顔見知りの係官に、フト思いついた様子で、ルーインのことをたずねたものである。

彼は気軽に立って、担当の係官を紹介しようとしたが、その係官がいない。詳しい事情を知ら

ない彼は、氏名カードを繰ってくれたけれども、そのイニシアルの項には、ルーインのカードがない。

赤い広場ー霞ヶ関 p.204-205 今日限りで何もかもお終いです

赤い広場ー霞ヶ関 p.204-205 I wanted to know what caused this Masonic executive conflict. This is a serious problem. Now, on the earth divided into two worlds, liberalism, communism, and the ties that connect them are Jewish Freemasonry.
赤い広場ー霞ヶ関 p.204-205 I wanted to know what caused this Masonic executive conflict. This is a serious problem. Now, on the earth divided into two worlds, liberalism, communism, and the ties that connect them are Jewish Freemasonry.

Q氏は米軍の軍曹で、現地除隊をして日本に住みついてから、メーソンに入り異例の出世で

三十二階級まで上っていった人物だ。しかし、いろいろと問題の多い人で、彼の出世を快く思わぬ他の幹部が、彼を蹴落すための資料に違いない。

しかも、東京租界はクラブ・マンダリンの国際バクチでお馴染みの、マニラのギャンブル・ボス、テッド・ルーイン氏の一の子分、モーリス・リプトン氏もメーソンで、このマソニック・ビルに住んでいたではないか。

私はこのメーソンの幹部の対立が、何に原因するのか知りたかった。重大な問題であるからだ。今、自由、共産と二つの世界に分れた地球上で、思想も政治も、国境も国籍も越えて結ぶ紐帯は、ユダヤのフリー・メーソンであるからだ。まず第一報として、渋谷のフォーリン・ビジネスメンズ・クラブの国際バクチの、公判の成行にひっかけて、Q氏行状記の記事を書いたのだった。

続いて、この背後にあるメーソン幹部の対立を取上げようとして、忙しく働らいていたある日、珍らしく彼女から電話があった。夕食を御一緒にしたい、という話だった。願ったり、叶ったりである。

その夕べ、私は彼女と二人で銀座のある地下室の、高級レストランで、たのしい夕食をとっていた。

彼女の招待だから、食事が終ったら、別の場所へ誘って、ゆっくり話をきこうと考えながら、それでも、

『Q氏の記事、みた?』

と、親し気な口調でたずねたりした。

デザートが終り、コーヒーをほして、サテと立上った。御馳走様と礼をのべて、誘ひの言葉を続けようとしたとき、彼女は、犯し難いほど、重々しい気品にみちた表情に変った。

『やっぱり、私たちは、お友だちになれませんでしたワ。……ネ、今日限りで、何もかもお終いです』

『エ? だって……』

『何にも仰言らないで…。貴方に何も彼もお話してあげたい。貴方のその喉元まで、何故、何故、何故という声が、いっぱいに詰っているのが、眼に見えるのです……。

しかし、私にはそれができません。そして、私も、貴方とお別れしなければなりません。新聞記者でありすぎる貴方と、メーソンの幹部のことを知りすぎている私とは、お友だちでいることさえ、おたがいにとって不幸なのです』

私は立ちすくんだまま、彼女の差出した別れの握手に応えていた。

『それから、Q氏のことはもう不用です。御手数をかけました。……では、サヨウナラ』