爆撃目標のタウン・プラン・マップの番号さえ基地に命ずればよい」タグアーカイブ

迎えにきたジープ p.162-163 復興計画ではなく破壊計画

迎えにきたジープ p.162-163 The problem is this Town Plan Unit. It sounds as if it was a reconstruction planning for a city destroyed by the war. But it was a "town plan" for setting targets for urban bombing. It is not a reconstruction plan, but a destruction plan.
迎えにきたジープ p.162-163 The problem is this Town Plan Unit. It sounds as if it was a reconstruction planning for a city destroyed by the war. But it was a “town plan” for setting targets for urban bombing. It is not a reconstruction plan, but a destruction plan.

問題はこのタウン・プラン班である。訳して都市計画班ときけば、戦災でメチャメチャになった都市の、復興計画であるかのように聞えるが、実はこの班の仕事は、のちになって分ったことであるが、都市爆撃のための目標設定の〝都市計画班〟であったのである。

復興計画ではなく、破壊計画なのである。日本人技術者の作業によって、ソ連各都市の見取図(航空写真と同じように平面図である)ができ上ると、米側はこんどはこれを立体化した。つまり完全にその街の模型を作りあげたのである。(この辺からの記述はあくまで私の推論であることを再びお断りしておく)

その街の中での爆撃目標が選定される。この街の模型は緯度経度、すべてが地図上と同じように位置が決められる。そして基地の位置から爆撃機の進入路が決められる。

何メートルの高度で、どの方向から、どんな角度で、何キロの速度で、どの方向へ進めば、レーダーにその爆撃目標はどう入ってくるか。これは極めて容易な計算である。

その街の立体模型——つまり目標付近の状況が眼の前にあるのだから、この計算は簡単である。こうしてA市の場合は、どことどこを爆撃する、A市のB工場の場合は進入路、高度その他一切のデータは幾つ幾つと決る。Cビルの場合はこれこれ。D橋はこれこれ。

すべての数字が決められてしまえば、あとは簡単である。どんなバカでもチョンでも、間違

いなく一度で任務が果せるのだ。一枚の地図を持って、そこに示された数字の通り、爆撃機を操縦してゆけばよい。そして計器をみつめて、爆弾投下の数字になったときに、ボタンを押せばよい。命中である。

無線操縦機、誘導弾、すべてこれである。本格的な〝押しボタン戦争〟である。尊い人命の危険は少なくなったのである。

約十一年前の十九年六月、日本陸軍の誇る「新司偵」が長駆ハバロフスク、イルクーツクなどの空中写真撮影を敢行し、これが進駐米軍首脳を感嘆させた。

そこで、米軍も領空侵犯を敢えてしても、ソ連領の写真撮影をやろうとしてきた。もちろんソ連もやっているであろう。これが二十七年十月七日のB29撃墜事件などをはじめとして、各地でしばしば起った米ソの局地空中戦の実態である。また二十八年一月十三日の『外国軍用機の日本領空侵犯に対しては有効適切な処置をとる』旨の日本政府声明のウラでもある。

だが、もはやこのタウン・プラン・マップは完全に整備されたに違いない。これらの地図は、一括保管されている。しかるべき戦略爆撃隊にもコピーが渡されている。

開戦! 司令部は『PQ一二三四』と、爆撃目標のタウン・プラン・マップの番号さえ基地へ命ずればよい。あとはこの発令時に目標への所要飛行時間をプラスすればよい。

迎えにきたジープ p.164-165 極東に十数発の原爆を保有

迎えにきたジープ p.164-165 Isn't the dozen cities for which the Town Plan map was not created the target of the atomic bomb attack? I guess that as many atomic bombs as those cities are stored in the "Far East".
迎えにきたジープ p.164-165 Isn’t the dozen cities for which the Town Plan map was not created the target of the atomic bomb attack? I guess that as many atomic bombs as those cities are stored in the “Far East”.

開戦! 司令部は『PQ一二三四』と、爆撃目標のタウン・プラン・マップの番号さえ基地へ命ずればよい。あとはこの発令時に目標への所要飛行時間をプラスすればよい。

『PQ一二三四、OK』と返事が来る。そこでこの番号の地図はもう不要である。計算と計器と押ボタン。これだけで戦争は終る。

では果してソ連の何都市がこのタウン・プラン・マップとなっただろうか。私の知識では在ソ日本人捕虜収容所数と、それらの都市の軍事的価値とから綜合判断すれば、最低百五十都市の地図が完成しているに違いないと思う。

ところが、ウラジオストックをはじめとして、コムソモリスク、チタ、ハバロフスクなどの大都市については、引揚者はあまり詳細に訊問されていないという事実がある。

このような地図を作るためには、それこそ一木一草にいたるまでも、その位置、高さなどが究明されなければならないのに、最も重要な目標であるこれらの都市の調査が、極めて大雑把だということは如何なることだろうか。

それは、これら重要都市のタウン・プラン・マップは作られなかったということであり、それはまた、個々の爆撃目標は必要なかったということである。

私の推断であるが、これらの都市は、大陸と樺太の各二市をも含めて十数市は間違いないところであると思う。タウン・プラン・マップのない〝全滅させられる〟都市、このことはアメリカは、極東に十数発の原爆を保有しているということになるのではあるまいか?

非常に廻りくどい表現を使ったが、結論すればタウン・プラン・マップのない十数都市は原爆攻撃都市で、その都市数だけの原爆が「極東」に貯蔵されていると私は推察している。

そしてこの貯蔵の仕方は、マップの符号、番号制と、押しボタン戦争の形態から判断して、航空機ごと(装着されて)貯蔵されているのではなかろうか?

ここでわれわれはさる三十年三月十四日、鳩山首相の外人記者団会見における「原爆貯蔵容認」説なるものを、再び想い起す必要がある。

鳩山首相は約四十分間にわたり外人記者団と会見した。その席上、首班指名、対ソ交渉、日韓国交調整などの問題について述べると同時に、

『アメリカが日本に原子爆弾を貯蔵するという問題であるが、現在は力による平和の維持ということが必要な状況であるから、認めざるをえないと思う』

と語り、その日の夕刊一面トップは『原爆貯蔵容認せん』という大見出しで飾られた。この談話はたちまち各界に反響を呼んで、大変な騒ぎとなってしまったのも当然だ。当時の新聞の見出しをひろってみると、『各界に波紋呼ばん、原爆貯蔵』(十四日付読売夕刊)、『原爆貯蔵には反対、左社鳩山言明取消し要求』(十五日付朝日夕刊)。

思わぬ反響に驚いた鳩山首相は十六日の記者会見で、

『原爆を日本においてくれという、アメリカからの話もなければ、またそうした切迫した状態に、日本が置かれているとも考えていないが、先の会見で仮定の議論として出たので、私の腹の中を言っただけだ。言いかえれば、必要のないのに答えたわけだ』(十六日付読売夕刊)と弁明した。