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編集長ひとり語り第48回 不快感極まる靖国参拝報道

編集長ひとり語り第48回 不快感極まる靖国参拝報道 平成12年(2000)8月19日 画像は三田和夫77歳(右端・浴衣 戦友会・桐第二〇五大隊1999.03.06)
編集長ひとり語り第48回 不快感極まる靖国参拝報道 平成12年(2000)8月19日 画像は三田和夫77歳(右端・浴衣 戦友会・桐第二〇五大隊1999.03.06)

■□■不快感極まる靖国参拝報道■□■第48回■□■ 平成12年8月19日

8月の暑い夏——四季の移り変わりがハッキリしていた日本も、原爆以後の異常気象で、歳時記に書かれている季語も、だんだん現実感が薄れてきている。

そして、6日の広島、9日の長崎、15日の敗戦と、あの戦争の記念日がつづくのだが、それも、高校野球やお盆休みなどのかげに追いやられてしまっている。と同時に、新聞を広げて不快感に襲われるのが、閣僚たちの靖国参拝の“公私”の別議論である。

戦中派である私も、靖国神社の由来や、その広大な敷地取得の経過について、なんの知識もない。と同時に、それが当時の軍閥の仕業であろうことは理解できる。私の少年時代の記憶でも、あの大きな社殿は、すでにあったと思う。

当時は“生めよ、殖やせよ”時代で、多子家庭が表彰され、その子供たちが戦争に狩り出され、死ねば“軍国の母”を顕彰するために、靖国の御霊(みたま)を祭る場所が必要だったのである。それは、中国でも同じで、毛沢東は多産を奨励し、兵力の人的資源を確保した。宗教を否定していた当時、一般人の墓は認められず、葬式もできなかったが、各地にはそれぞれ、「烈士陵園」(一例を挙げれば、この上に「中国人民解放軍華北軍区」と記されている)という、戦死者の墓は綺麗に設けられていた。

もちろん、対日戦の戦死者ではなく、国共内戦の犠牲者の墓である。1979年初秋、私が日本共産党新宿支部のツアーに参加して、戦後はじめて訪中をし、現認してきた事実である。これは、毛沢東政権の、いうなれば“靖国神社”そのものではないか。

いつ頃のことだったか、中国政府は、戦犯が合祀されている靖国神社に、首相以下の政府首脳が参拝するのはオカシイ、と横槍をいれてきた。当時の自民党政府のボスたちは、対中ODAや有償無償の円借款などのリベートで私腹を肥やしていたものだから、一も二もなく震え上がった…。それ以来、延々とつづいている8月15日の“公私の別”靖国参拝論議である。

中国・南京にある“大虐殺記念館”の一角に、2人の少尉が百人斬り競争をしたという東京日々新聞(現・毎日紙)のデマ記事のコピーが展示されている。この2人は戦犯として刑死した。この2人も合祀されているのだろうか?

自分が将校になって、日本刀を体に吊ってみて判ったことがある。鍛えてない体ではあの重い刀でチャンバラなどできないのだ。ヤクザだって、もう日本刀は使わない。自由に振りまわせないからだ。それが、百人斬りだと? この記事が、軍に媚びたウソ記事だということは、すでに明らかになっている。

この記事が示すように、日本の新聞は、常に時流におもね、権力に媚びてきた。現在でも主流はそうである。国家や民族の百年を考えた報道は、皆無といっていい。

15日のテレビ・ニュースは、靖国の社頭に立ち、国会議員にマイクを出して、「公式ですか、私的ですか」と、バカ気た質問を繰り返すテレビ記者。その背後に、命令するバカデスクの顔が見える。この報道にいったい、どのような意味があるのか。

森首相もまた、事前に、公式参拝しないと宣伝する。かと思えば、石原都知事のように、公式参拝するゾと、予告編を出す男もいる。こんなバカ気た茶番劇は、もう止めにしたらどうか。マスコミが取り上げねば、自然に沈静化する話だ。マスコミはそこまで中国の顔色をうかがうのか? ナゼだ?

靖国神社のあり方や由来などとは、まったくの別問題である。「父に逢いたくば靖国神社へ!」といった時代は、もう遠い過去である。マスコミはもっとしっかりしろ! 平成12年8月19日