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最後の事件記者 p.022-023 「我が事敗れたり」と覚った。

最後の事件記者 p.022-023 読売旭川市局発の原稿がきている。外川材木店にいた男を、安藤組の小笠原郁夫だと断定して、旭川署、道警本部が捜査しているという内容だった。
最後の事件記者 p.022-023 読売旭川市局発の原稿がきている。外川材木店にいた男を、安藤組の小笠原郁夫だと断定して、旭川署、道警本部が捜査しているという内容だった。

私は新しい入房者があると、その人に根掘り葉掘り、私の逮捕の記事と、その論調とについて質問した。やはり、判断通りに、決して香んばしい扱いではないと判った。

 横井事件に関連して、私が「犯人隠避」容疑で、逮捕されるにいたった当時の様子を、少しく説明しておかねばなるまい。

 日曜日は私の公休日だった。七月二十日の日曜日も、だから休みで、一日自宅にいた。ひるねをしたり、子供たちと遊んだりして、夜の八時ごろになった時、私のクラブの寿里記者から電話がきて、「大阪地検が明朝、通産省を手入れするが、予告原稿を書こうか」というのである。

 彼一人にまかせておいても良かったのだが、何故か私は「今すぐ社へ行くから、待っていてくれ」と答えて、出勤した。翌朝の手入れのための手配をとり終って、フト、デスク(当番次長)の机の上をみると、読売旭川市局発の原稿がきている。何気なく読んでみると、外川材木店にいた男を、安藤組の小笠原郁夫だと断定して、旭川署、道警本部が捜査しているという内容だった。

「我が事敗れたり」と、私は覚った。事、志と反して、ついにここにいたったのだ。私はそれでも、当局より先に、事の敗れたのを知ることができた幸運を、「天まだ我を見捨てず」とよろこんだ。

当局の先手を打って、小笠原に会ったのだが、ここで逆転、当局に先手をとられて、その居所を割り出された。それをまた私が、今夜、先手を取りかえしたのだ。

この原稿を読んだ瞬間には、私の表情はサッと変っていたかも知れない。しかし、読み終えた時には、全く冷静だった。そして、静かに読み通してみた。

小笠原は十八日朝、「札幌へ行く」といって、外川方を立去り、外川方では二十日の午後、警察へ屈出たとある。すると、旭川署が外川さんを参考人として調べて、同氏の戦友の塚原さんの紹介であずかった男だ、といったに違いないから、警視庁では、明二十一日朝、塚原さんを呼ぶに違いない。

その口から、私の名前が出てくるのは、月躍日のひるすぎ。私は素早くそう計算して、明日の正午までの十五時間位は、自由に行動できると考えた。その間に一切を片付けねばならない。

辞職を決める

すぐに社を出ると、私は塚原さんを自宅にたずねた。この軍隊時代の大隊長だった塚原勝太郎氏は、全く何の関係もない人だったのに、私が頼んで旭川へ紹介してもらったばかりに、事件の渦中へ引ずりこんでしまったのだった。