だが、公式的な当局の捜査は、そんな形でピリオドが打たれたのだが、私が調べた限りでは、興味深い事実の数々がある。
支払い伝票のメモをめぐって
「三矢事件」が問題となった時のことである。松本清張氏の代作者、大竹宗美氏がフロシキ包み一杯の書類をかかえて、文春本社に馳けこんできた。
「すぐ、ゼロックスでコピーを取ってくれ。数時間でこの書類を、もとの所に返さねばならないんだ!」
大竹氏は興奮して、そう叫んだという。
当局の調べによると、防衛庁関係はともかくとして、文春ならびに松本清張氏のもとに、この書類を運んだのは、前述の通り大竹氏だという。警視庁公安部では、この書類流出を、自衛隊法違反、公務員法違反の被疑事件として取りあげた。
読売新聞の軍事記者として著名な、堂場肇氏は、当時の事情をこう語る。
「怪しからんのですよ。文春は! これらの関係の、取材費や謝礼金伝票を、警視庁に〝任意提出〟で差しだしたのです!」
堂場記者といえば、時事新報の経済部記者がスタート。やがて、時事がサンケイに吸収合併されて、社会部にうつる。彼は、その時代に、続きもの「下山事件」で、その綿密な調査記録を発表し、「サンケイに堂場あり」と、筆名を高めた。この続きものは、朝日の矢田喜美雄記者が、「帝銀事件」「下山事件」とヒットしてきた、調査記録と並び称され、専門家筋に高く評価された労作であった。
その後、読売社会部に転じ、続きものなどの調査研究記事を得意とし、防衛庁詰めとなっては、例のグラマン・ロッキード事件などで筆名をあげた。どちらかといえばアカデミックなタイプの記者で、現在は、読売の「国際情勢調査会」の主任調査委員でもある。そしてまた文春誌のセミレギュラー執筆者であり、〝文春派〟記者と見られていただけに、彼の、このような〝怒り〟は、私にとっては、やや、意外な感じでもあった。
というのは、すでに情報として、防衛庁記者クラブに属する、日刊紙記者たち八名(含雑誌記者)の名前があがっていたからである。ここで問題となるのが、記者の取材伝票である。これは足代、電話代、飲食代にいたるまで、経路、相手方、店名など、取材雑費のすべてが、その記者の取材活動の〝こん跡〟を、雄弁に物語るよう記録されているのが、通例である。
だから、機密文書を入手するため、誰とどのように連絡し、行動したかは、当然、すべて記録されているハズである——これに着眼したのは、流石に警視庁であった。
いずれにせよ、株式会社「文芸春秋」は当局が捜査資料にする目的を持っていることを知りながら、「防衛官僚論」関係者の支払伝票を、任意に提出したことは、堂場氏の言葉からも、事実だと判断される。