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事件記者と犯罪の間 p.168-169 久し振りの快事件だというのに

事件記者と犯罪の間 p.168-169 華族でも名門蜂須賀家、侯爵の急死、愛妾——金と女が出てくる、絶好の社会部ダネだし、登場人物もスターばかり、小道具にピストル、そしてギャングだ。
事件記者と犯罪の間 p.168-169 華族でも名門蜂須賀家、侯爵の急死、愛妾——金と女が出てくる、絶好の社会部ダネだし、登場人物もスターばかり、小道具にピストル、そしてギャングだ。

例えば、両国の花火大会の記事は、ニュースではあるが、誰でもがこのニュースにふれること

ができる。公開されているニュースだからである。機会は均等である。

新聞記者の中にも、こういう公開されたニュースしか書けない記者がいるし、それが多い。特ダネの書けない記者である。それは、その記者が、不断の勉強を怠っているからである。記者の財産である、ニュース・ソースの培養を心がけていないからである。

役所を担当しても、その役所のスポークスマンしかしらないし、スポークスマンの言い分を文字にして本社へ伝えるだけである。この発表を咀嚼して批判を加えることもできないのである。これが果して、新聞記者であろうか。だから、役所の発表文がそのまま活字になって、紙面にのるだけである。心ある読者は、一度役所の記者会見なるものを覗いてみられよ。二十人もの記者がいても、質問の発言をするのは二、三人だけである。それは決して代表質問ではない。並び大名の記者たちには、質問すら浮んで来ないのである。

あんたにやるよ

私はサツ廻りののち、法務庁、国会、警視庁、通産省、農林省、法務省と、本社の遊軍以外にこれだけの役所のクラブを廻ってみたが、どこのクラブでもそうである。記者会見で談論風発という光景は少ない。質問さえできない記者は、他社の記者の質問によって「成程そうか」と思い、本社へ送る時には、自分の質問であるかの如くよそおうのである。

ニュース・ソースのない記者は、全くのサラリーマンである。その役所にいれば、その役所の

ことはその時だけ。他のことは我関せずで、そのクラブを去ったならば、もうその役所のことは判らないのである。

この場合、小林も王も私のニュース・ソースだったのである。もちろん、元山にも警察へ行く前に、自分の言い分を宣伝しておきたいという気持もあったろう。私は元山の話はさておき、横井との会見の理由が、蜂須賀侯爵家の債権取立問題と聞いてのりだした。

私は社へ電話して、「元山に会った。だが彼の話は宣伝だから面白くないが、蜂須賀侯爵家の債権問題が面白い。誰か記者をやってほしい」と伝えた。

華族でも名門蜂須賀家、侯爵の急死、愛妾——金と女が出てくる、絶好の社会部ダネだし、登場人物もスターばかり、小道具にピストル、そしてギャングだ。情報通の元子爵を叩き起して……と考えながら、私は社へきてみたのだが、社では何の手配もしてなかった。「畜生メ、ワカラズ屋ばかりだ。こんなネタを見送るなんて、読売社会部のカンバンが泣くヨ!」

私は心中で怒鳴って、黙って元山の原稿だけ書くとデスクに出した。私は萩原君を付近の喫茶店に誘うと、久し振りの快事件だというのにニュース・センスのなさを散々に毒づいてやった。何しろ「事件」が判らないのである。

しかし、翌日、私は念のため某元子爵に会って、蜂須賀家の内情をきいてみると、亡くなった正氏侯爵が奇行の人で、いよいよ面白い。ところが、翌日朝、毎日が一通り書いてしまった。

「ウチの方が余ッ程深く掘っているのに!」と、また舌打ちである。

p56上 わが名は「悪徳記者」 反動読売の反動記者

p56上 わが名は「悪徳記者」―事件記者と犯罪の間―三田和夫 1958 私は公安記者のヴェテランとなり、調査記事の専門家であり、読売のスター記者の一人に数えられるようになっていた。
p56上 わが名は「悪徳記者」―事件記者と犯罪の間―三田和夫 1958 私は公安記者のヴェテランとなり、調査記事の専門家であり、読売のスター記者の一人に数えられるようになっていた。

私の仕えた初代社会部長小川清はすでに社を去り、宮本太郎次長はアカハタに転じ、入社当時の竹内四郎筆頭次長(現報知社長)が社会部長に、森村正平新品次長(現報知編集局長)が筆頭次長になっていた。昭和二十二年秋ごろのことだった。

過去のない男・王長徳

帰り新参の私を、この両氏ともよく覚えていて下さって、「シベリア印象記」という、生れてはじめての署名原稿を、一枚ペラの新聞の社会面の三分の二を埋めて書かせて下さった。この記事はいわゆる抑留記ではなく、新聞記者のみたシベリア紀行だった。その日の記事審査委員会日報は、私の処女作品をほめてくれたのである。

この記事に対して、当時のソ連代表部キスレンコ少将は、アカハタはじめ左翼系新聞記者を招いて、「悪質な反ソ宣伝だ」と、声明するほどの反響だったが、やがて、サツ(警察)廻りで上野署、浅草署方面を担当した私は、シベリア復員者の日共党本部訪問のトラブルを、〝代々木詣り〟としてスクープして、「反動読売の反動記者」という烙印を押されてしまった。

私は日共がニュースの中心であったころは、日共担当の記者であり、旧軍人を含んだ右翼も手がけていた。それが、日本の独立する昭和二十七年ごろからは、外国人関係をも持つようになってきた。つまり警視庁公安部の一、二、三課担当ということになる。一課の左翼、二課の右翼、三課の外人である。私は公安記者のヴェテランとなり、調査記事の専門家であり、読売のスター記者の一人に数えられるようになっていた。

p56下 わが名は「悪徳記者」 東京租界と王長徳

p56下 わが名は「悪徳記者」―事件記者と犯罪の間―三田和夫 1958 私の代表作品の一つに、昭和二十七年十月二十四日から十一月六日までの間、十回にわたって連載された「東京租界」の記事がある。
p56下 わが名は「悪徳記者」―事件記者と犯罪の間―三田和夫 1958 私の代表作品の一つに、昭和二十七年十月二十四日から十一月六日までの間、十回にわたって連載された「東京租界」の記事がある。

左翼ジャーナリズムは、私を「反動読売の反動記者」と攻撃したが、これは必ずしも当っていない。〝私はニュースの鬼〟だっただけである。

私はニュースの焦点に向って、体当りで突込んでいった。私の取材態度は常にそうである。ある場合は深入りして記事が書けなくなることもあった。しかし、この〝カミカゼ取材〟も、過去のすべてのケースが、ニュースを爆撃し終って生還していたのである。今度のは、たまたま武運拙なく自爆したにすぎない。

そろそろ、手前味噌はやめにして、私の〝悪徳〟を説明しなければなるまい。

まずそのためには、王長徳という中国籍人と、小林初三という元警視庁捜査二課の主任を紹介しよう。この二人も、小笠原の犯人隠避で、八月十三日逮捕されている。

私の代表作品の一つに、昭和二十七年十月二十四日から十一月六日までの間、十回にわたって連載された続きもの「東京租界」の記事がある。これは、独立直後の日本で、占領中からの特権を引き続き行使して、その植民地的支配を継続しようとした、不良外人たちに対し、敢然と打ち下ろした日本ジャーナリズムの最初の鉄槌であった。 原四郎部長の企画、辻本芳雄次長の指導で、流行語にさえなった「東京租界」というタイトルまで考え出し、取材には私と牧野拓司記者とが起用された。牧野記者は文部省留学生でオハイオ大学に留学したほどの英語達者だったので、良く私の片腕になってくれた。

p57上 わが名は「悪徳記者」 三人の大物国際博徒

p57上 わが名は「悪徳記者」―事件記者と犯罪の間―三田和夫 1958 上海のマンダリン・クラブの副支配人という仮面をかむっていたリチャード・王という男で、青幇(チンパン)の大親分杜月笙と組んでいたギャンブル・ボスなのであった。
p57上 わが名は「悪徳記者」―事件記者と犯罪の間―三田和夫 1958 上海のマンダリン・クラブの副支配人という仮面をかむっていたリチャード・王という男で、青幇(チンパン)の大親分杜月笙と組んでいたギャンブル・ボスなのであった。

そして、この記事をはじめとするキャンペーン物で、文芸春秋の菊池寛賞の新聞部門で、読売社会部が第一回受賞の栄を担ったのである。

その第一回の記事に、「ねらう東洋のモナコ化、烈しい編張り争い」と、国際バクチ打ちの行状がある。この時に登場を願ったのが、即ちこの王長徳である。つまり、東京租界を自分のシマ(縄張り)にしようと、三人の国際博徒の大物が争っている。その一人はアル・カポネの片腕、アメリカはシカゴシチーで東洋人地区の取締りをやっていた鮮系米人のジェイソン・リー。二人目は、フィリピンはマニラの夜の大統領といわれるテッド・ルーインの片腕、自称宝石商のモーリス・リプトン。どんじりに控えたのが、上海の夜の市長〝上海の王〟だという情報だった。

牧野記者と二人で、この大物バクチ打ちの所在を探し、リーとリプトンとにはインタヴューすることが出来たが、〝上海の王〟はその所在さえつかめない。調べてみると、この王は、上海のマンダリン・クラブの副支配人という仮面をかむっていたリチャード・王という男で、青幇の大親分杜月笙と組んでいたギャンブル・ボスなのであった。

そしてこの青幇の幹部の一人が経営していた、銀座二丁目の米軍人クラブのⅤFWクラブにもぐりこんでいるというところまで突きとめたが、どうしても会えない。他の二人には会えたのに、三人目が欠けたのでは面目ないと、考えこんでいる時、サツ廻りの上野記者が、『新橋に王という変った男がいますよ』と情報を入れてくれた。

p57下 わが名は「悪徳記者」 王長徳と小林初三

p57下 わが名は「悪徳記者」―事件記者と犯罪の間―三田和夫 1958 これが私と王長徳との出会いのはじめであるが、〝過去のない男〟の彼は、とかく〝大物〟ぶりたいという癖のある男だった。
p57下 わが名は「悪徳記者」―事件記者と犯罪の間―三田和夫 1958 これが私と王長徳との出会いのはじめであるが、〝過去のない男〟の彼は、とかく〝大物〟ぶりたいという癖のある男だった。

話を聞いてみると、帆足、宮腰氏らの訪ソ旅行の旅費を出したとか、自由法曹団の布施弁護士は父親みたいな仲だとか、花村元法相とは「花ちゃん」という付き合いだとか、いろいろと面白い話が多い。そこで窮余の一策として、彼に会って、『貴方が上海の王といわれる有名なバクチ打ちか』と、当ってみたものだ。

すると、ハッキリ別人だということが調査して判っていたのに、意外にも彼はニコヤカにうなずきながら、『そうです。私が上海の王です。上海時代はビッグ・パイプとも仇名されていたので、このキャバレーにもその名をつけたのです』というではないか。

こうして、「登録証を信ずると、十一歳の時にビッグ・パイプという名を持った国際バクチの大親分という、世にもロマンチックな話になる」と、皮肉タップリな記事となって紙面を飾った。

これが私と王長徳との出会いのはじめであるが、〝過去のない男〟の彼は、朝鮮人とも北鮮育ちの中国人ともいわれるが、異国での生活の技術にか、とかく〝大物〟ぶりたいという癖のある男だった。金の話は常に億単位なのだから、国際バクチ打ちの〝身分〟を買って出たのも、彼の生活技術であろう。

ニュース・ソース

小林元警部補とは昭和二十七年から三十年の三年間、私が警視庁クラブにいた時に、彼が現職だったので知り合っていた。ところが彼は退職して、銀座警察の高橋輝男一派の顧問になってしまった。そのころも、銀座あたりで出会ったりしていたのだ。

高橋が死んでから、彼は〝事件屋〟になって王と近づいたらしい。

p58上 わが名は「悪徳記者」 新聞記者の財産はニュース・ソース

p58上 わが名は「悪徳記者」―事件記者と犯罪の間―三田和夫 1958 王から私に電話がきて、「問題の元山に会いたいなら、会えるように斡旋しよう」という。私は即座に「会いたい」と答えた。
p58上 わが名は「悪徳記者」―事件記者と犯罪の間―三田和夫 1958 王から私に電話がきて、「問題の元山に会いたいなら、会えるように斡旋しよう」という。私は即座に「会いたい」と答えた。

今度の横井事件でも、王、小林、元山らが組んで蜂須賀家の債権取立てを計画したようだ。六月十一日に横井事件が起きた翌日、王から私に電話がきて、

『問題の元山に会いたいなら、会えるように斡旋しよう』という。私は即座に『会いたい』と答えた。十三日の夜おそく、元山は王と小林に伴れられて私の自宅へやってきた。

元山との会見記は翌十三日の読売に出た。

週刊読売の伝えるところによると、新井刑事部長は部下を督励して、『新聞記者が会えるのに、どうして刑事が会えないのだ』と、叱りつけたそうである。しかし、この言葉はどだいムリな話で、新聞記者だからこそ会えたのであった。

この元山会見記は、同日朝の東京新聞の花形を間違えたニセ安藤会見記(木村警部談)と違って、一応特ダネであった。しかし、私が司法記者クラプ(検察庁、裁判所、法務省担当)員でありながら、警視庁クラブの担当している横井事件に手を出したことが、捜査本部員をはじめ、他社の記者にいい印象を与えなかったようでもある。

私をしていわしむれば、誰が担当の、何処が担当の事件であろうとも、新聞記者であるならばニュースに対して貪婪でなければならないし、何時でも、如何なるものでも、ニュースをキャッチできる状態でなければならないのである。 新聞記者の財産はニュース・ソースである。『貴方だからこれまで話すのだ』『貴方だからわざわざ知らせるのだ』という、こういう種類の人物を、各方面に沢山もっていてこそ、その記者の値打ちが決まるのである。誰でもが訊きさえすれば教えてくれること――

p59上 わが名は「悪徳記者」 蜂須賀侯爵の急死…

p59上 わが名は「悪徳記者」―事件記者と犯罪の間―三田和夫 1958 華族でも名門蜂須賀家、侯爵の急死、愛妾――金と女が出てくる、絶好の社会部ネタだし、登場人物もスターばかり、小道具にピストル、そしてギャングだ。
p59上 わが名は「悪徳記者」―事件記者と犯罪の間―三田和夫 1958 華族でも名門蜂須賀家、侯爵の急死、愛妾――金と女が出てくる、絶好の社会部ネタだし、登場人物もスターばかり、小道具にピストル、そしてギャングだ。

自分の質問であるかの如くよそおうのである。

ニュース・ソースのない記者は、全くのサラリーマンである。その役所にいれば、その役所のことはその時だけ。他のことは我関せずに、そのクラブを去ったならば、もうその役所のことは判らないのである。

この場合、小林も王も私のニュース・ソースだったのである。もちろん、元山にも警察へ行く前に、自分の言い分を宣伝しておきたいという気持もあったろう。私は元山の話はさておき、横井との会見の理由が、蜂須賀侯爵家の債権取立問題と聞いてのりだした。

私は社へ電話して、『元山に会った。だが彼の話は宣伝だから面白くないが、蜂須賀侯爵家の債権問題が面白い。誰か記者をやってほしい』と伝えた。

華族でも名門蜂須賀家、侯爵の急死、愛妾――金と女が出てくる、絶好の社会部ダネだし、登場人物もスターばかり、小道具にピストル、そしてギャングだ。情報通の元子爵を叩き起して……と考えながら、私は社へきてみたのだが、社では何の手配もしてなかった。

『畜生メ、ワカラズ屋ばかりだ。こんなネタを見送るなんて、読売社会部のカンバンが泣くヨ!』

私は心中で怒嗚って、黙って元山の原稲だけ書くとデスクに出した。私は萩原君を付近の喫茶店に誘うと、久し振りの快事件だというのに、ニュース・センスのなさを散々に毒づいてやった。何しろ「事件」が判らないのである。 しかし、翌日、私は念のため某元子爵に会って、蜂須賀家の内情をきいてみると、亡くなった正氏侯爵が奇行の人で、いよいよ面白い。

p59下 わが名は「悪徳記者」 安藤組の子分という男

p59下 わが名は「悪徳記者」―事件記者と犯罪の間―三田和夫 1958 「こちらに安藤組の犯人が立ち廻ったという情報だから調べてくれ、とのことです」という。何しろ、その時の私は、髪は油気なしのヒゲボウボウ、アンダーシャツ一枚の姿だったから…
p59下 わが名は「悪徳記者」―事件記者と犯罪の間―三田和夫 1958 「こちらに安藤組の犯人が立ち廻ったという情報だから調べてくれ、とのことです」という。何しろ、その時の私は、髪は油気なしのヒゲボウボウ、アンダーシャツ一枚の姿だったから…

ところが、翌日朝、毎日が一通り書いてしまった。『ウチのほうが余ッ程深く掘っているのに!』と、また舌打ちである。

それからしばらくたって、私はある週刊誌から、横井事件の内幕の原稿依頼を受けた。どんなに面白いネタを集めても、自分の新聞にのらないのだから仕方がない。何しろ、私は一出先記者である。紙面制作にタッチしていないのだから、原稿の採否の権限がない。

私は依頼を引受けて、蜂須賀対横井の最高裁までの法廷の争いを調べようと思った。私は車を駆って、目黒区三谷町の王の事務所を訪れた。夜の八時ごろだったろうか。七月三日のことである。その時に安藤組の子分という若いヤクザっぽい男に会った。

事務所の二階で、各級裁判所の判決文写しなどを見せてもらっていると、階下が騒がしい。事務員がやってきて、『碑文谷署の刑事がきた』という。上ってきた刑事は、横井事件の本部から、『こちらに安藤組の犯人が立ち廻ったという情報だから調べてくれ、とのことです』という。

私は王から、付近のマーケットの立退き問題でモメていると聞いていたから、即座に私を誤認したイヤガラセの電話だナと判断したのだった。何しろ、その時の私は、髪は油気なしのヒゲボウボウ、Yシャツを車に脱いでアンダーシャツ一枚の姿だったから、見間違えられるのもムリはなかった。 『それは間違いでしょう。私は読売の記者で三田といいます。私を間違えたのですよ』と、笑って自ら名乗った。もちろん、何の疑念もなかった。そして、刑事たちは納得して帰っていった。

p60上 わが名は「悪徳記者」 それなら、あんたにやるよ

p60上 わが名は「悪徳記者」―事件記者と犯罪の間―三田和夫 1958 王、小林が誰か犯人を、二日の約束であずかったのだが、そのまま背負い込まされているので、連絡係のフクに喰ってかかっているのだ。
p60上 わが名は「悪徳記者」―事件記者と犯罪の間―三田和夫 1958 王、小林が誰か犯人を、二日の約束であずかったのだが、そのまま背負い込まされているので、連絡係のフクに喰ってかかっているのだ。

王と小林はプンプン怒って出たり、入ったりしていたが、やがて、私に伝言を残していなくなってしまった。

事務所の伝言によると、先程の若いヤクザを探して一緒にきてくれということだ。私は付近の喫茶店にいたその「フク」と呼ばれる男と一緒に渋谷のポニーという喫茶店に出かけた。

そこには、王、小林の両名がいて、たちまち、そのフクとの間で激しい口論になった。『何だ、二日という約束なのに、どうしたッていうんだ。いまだに何の連絡もないじゃないか』『今時のヤクザなんて、何てダラシがないんだ。他人に迷惑をかけやがって』

私は黙って三人の会話を聞いているうちにやっと様子がのみこめてきた。王、小林が誰か犯人を、二日の約束であずかったのだが、そのまま背負い込まされているので、連絡係のフクに喰ってかかっているのだ。

『一体、その男は誰だネ』

『安藤組の幹部で、山口二郎という人だ』

私の問に王が答えた。山口二郎? 聞いたことのない男だが、五人の指名手配者の誰かの変名に違いない。しかも、〝という人〟という表現だ。面白い。私は乗り出した。

『そんなみっともないケンカは止めなさい。それより、その男に私を逢わしてくれ』

『ヨシ、それなら、あんたにやるよ』

王と小林は渡りに舟とばかり、即座に答えた。私はその男をもらったのである。煮て食おうが焼いて食おうが、私の自由である。それから三十分ほどのちに、渋谷の大橋の先の広い通りで待っていた私の車を認めて、一台の車が向い側で止った。

p61下 わが名は「悪徳記者」 自首どころか隠してくれと

p61下 わが名は「悪徳記者」―事件記者と犯罪の間―三田和夫 1958 不忍池で現われた小笠原を車に拾い、「奈良」にとって返した私は、さらにフクの案内で現われた「花田映一」という人物に会った。
p61下 わが名は「悪徳記者」―事件記者と犯罪の間―三田和夫 1958 不忍池で現われた小笠原を車に拾い、「奈良」にとって返した私は、さらにフクの案内で現われた「花田映一」という人物に会った。

細君と最後の対面をさせてやって、逮捕してもよい。仲の良い後輩であるこの二人の記者に花を持たせ、両記者は担当主任に花を持たせる。そして、当局の捜査に協力したという実績が、読売をして捜査二課に、ニュース・ソースというクサビを一本打ち込ませるのだ。

不忍池で現われた小笠原を車に拾い、「奈良」にとって返した私は、さらにフクの案内で現われた「花田映一」という人物に会った。私が入浴している間に、やってきた三人は、何事かを相談し合っていた。

『東興業副社長の花田さんです。何にもヤマがないので、幹部でホジョウ(逮捕状)の出ていない唯一人の人です』という紹介だった。

しばらくして、

『御迷惑をおかけしてますが、何分とも宜しくお願いします』

と、花田は礼儀正しく挨拶して、一人先に帰っていった。如何にも小笠原より兄貴分らしい貫禄だった。

花田が帰り、小笠原とフクとの三人になったが、彼は一向に自首の話を持ち出さない。私が変だゾと思いはじめた時、小笠原はフクに向って、

『お前はしばらく風呂に入ってこい』

と命じて、私と二人切りの機会を作った。 すると意外にも、自首どころか、もう一週間ほど、隠してくれという依頼を切り出したのだ。小笠原がどんな気持で、私に「逃がしてくれ」と頼んできたのか、私には未だに判らない。のちに、フクからきいたところによると『王さんや小林さんは信用できない人だと思ったので、そこにいる間中、いつサツに密告されるかと心配していた。

p62上 わが名は「悪徳記者」 短い時間で決断を迫られた

p62上 わが名は「悪徳記者」―事件記者と犯罪の間―三田和夫 1958 しかし決して逃げ切ろうというのではなく、せめて社長(安藤)の後から自首したい。時間もそう長いことではない。必ず三田さんの手で自首する。御迷惑は決してかけないと、頭を下げて頼みこむのである。
p62上 わが名は「悪徳記者」―事件記者と犯罪の間―三田和夫 1958 しかし決して逃げ切ろうというのではなく、せめて社長(安藤)の後から自首したい。時間もそう長いことではない。必ず三田さんの手で自首する。御迷惑は決してかけないと、頭を下げて頼みこむのである。

その人たちに紹介された三田さんだし、検察庁担当の記者だと聞いて、いよいよ不安だった』そうである。

すると、三日、四日と二日間が無事だったので、すっかり信用してしまったらしい。ともかく、小笠原は花田にも、フクにも内緒で三田さんと二人だけの話ですから、北海道へでも、しばらくかくして下さい。しかし決して逃げ切ろうというのではなく、せめて社長(安藤)の後から自首したい。時間もそう長いことではない。必ず三田さんの手で自首する。御迷惑は決してかけない(自首しても逃走経路は黙秘するという意味)と、頭を下げて頼みこむのである。

私はこの時に、短かい時間で決断を迫られていた。つまり、彼の申し出をキッパリと拒絶するか、きいてやるか。当局へ連絡して逮捕させるべきか、黙って逃がしもせず別れてしまうかである。

私と小笠原との出会いは、前述した通りである。もちろん、安藤組とは誰一人として、今まで何の関係もなく、何の義理も因緑もなかった。王、小林にも、『かくまってくれ』とは頼まれていない。むしろ、先方で持て余していたのを、私が会わせろといったので、厄払いをしたように、『ヨシあんたにやるよ』といって、全くもらってしまった身柄であるし、私の興味は新聞記者としての、取材対象以外の何ものでもない。もちろん、金で頼まれたりするような、下品な男ではない。 第一、私には、前にものべたように、教育と名誉と地位と将来とがあるのである。黙っていて、社からもらうサラリーが約四万二千円。それに取材費として、私は月最低一万二千円、多い時には三万円を社に請求した。その上、自家用車ともいえる社の自動車がある。

p63上 わが名は「悪徳記者」 花田を通じて安藤に会える

p63上 わが名は「悪徳記者」―事件記者と犯罪の間―三田和夫 1958 すると、花田を通じて安藤に会えるということだった。安藤に会う。彼を自首へと説得するのだ。逃走者の心理は、ほぼ分る。何しろ、私は公安記者のオーソリティだったからだ。
p63上 わが名は「悪徳記者」―事件記者と犯罪の間―三田和夫 1958 すると、花田を通じて安藤に会えるということだった。安藤に会う。彼を自首へと説得するのだ。逃走者の心理は、ほぼ分る。何しろ、私は公安記者のオーソリティだったからだ。

『信ずべからざるものを信ずるなンて……』と。実際このような言葉を聞いた。

雄壮なる構想を描いて

だが、私にも、決断するだけの根拠があった。まず第一に、絶対に一点の私心さえない純粋な新聞記者としての取材であったことである。これこそ、俯仰天地に恥じない私の気持である。だからこそ、二十五日の拘禁生活も、よく眠り、よく食い、調べ室では与太話で心の底から笑って、かえって、肥って帰ったほどである。

私の計画の根拠は、花田の出現であった。彼がフクに連れられて「奈良」に現われたことは、当然、連絡であった。フクは王の家の時にもいたのだから、日共用語でいえば、テク(防衛)とレポ(連絡)である。

花田の出現を、逃走費用を渡すためとみたのである。(事実、あとで聞けば一万五千円を届けてきた)逮捕状の出ていない花田は、副社長だという。日共の九幹部潜行でいえば、合法面に浮かんでいる臨時中央指導部であろう。安藤が徳球である。

すると、花田を通じて安藤に会えるということだった。安藤に会う。彼を自首へと説得するのだ。逃走者の心理は、ほぼ分る。何しろ、日共はじめスパイなどと、私は公安記者のオーソリティだったからだ。 安藤を説得できれば、安藤の命令で他の四人は簡単である。そうすれば、私の手の中に横井事件の犯人五人ともが入ってくる。私の手でいずれも警視庁へ引渡す。事件は解決である。