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迎えにきたジープ p.118-119 帰国した大谷小次郎元軍医少将

迎えにきたジープ p.118-119 If it turn out that Kirikov arrive, he is the authority of the germ war, so we must pay attention. He will probably contact Maj. Gen. Otani, so let's arrest there.
迎えにきたジープ p.118-119 If it turn out that Kirikov arrive, he is the authority of the germ war, so we must pay attention. He will probably contact Maj. Gen. Otani, so let’s arrest there.

『それで……、メジャー・田上。五十年四月の信濃丸で帰国した大谷小次郎元軍医少将のこと覚えていますか』

勝村が緊張した表情になったので、田上少佐も鋭くバックミラーを覗いた。

『あの人の行動は確かにおかしいですね』

『そんな呑気なことぢゃ困りますよ。大谷少将は習志野のメムバーになってるのを知ってますか。馬鹿々々しい』

『エ、あの石井部隊長の処にいるッて?』

『そうです。私も昨日はじめて知ったのですが、米軍も横の連絡が悪いのは日本軍と同じですなあ』

さすがに田上も顔色が変った。

『キリコフが着任したとなると、細菌戦のオーソリティだけに気を付けないとなりませんよ。奴はきっと大谷少将に連絡をとるでしょうから、その現場を押えましょう』

『是非、そうして下さい。私の方では、彼と一緒に帰った将官連中から、貴方へ情況を知らせましょう』

『メジャー・田上。並木元少将のことでしょう?  御存知でしょうが彼は二重諜者(ダブルスパイ)ですから充

分注意して下さい』

『ハイハイ。ミスター・勝村。私はいつも叱られてばかりですね』

車は東京温泉の前で止った。

『オット、忘れていました。頼まれていた例の証明書です』

田上が差出す小さな紙片を、勝村はうなずきながら受取った。

自動車年式オヨビ型式
一九四二年 ポンティアック箱型
車輛登録番号 三〇七九四
所有者 ——
関係者各位
重大ナル交通違反オヨビ事故以外、当自動車ハ抑留サルルコトナク、又運転手オヨビ同乗者モ尋問サルルコトナシ
警視総監 田中栄一 印

その紙片にはこう書いてあった。大変な許可証である。もちろん、こんな許可証はこれ一枚限りで、他には発行されていないことはいうまでもない。

迎えにきたジープ p.120-121 細菌戦の権威は習志野に

迎えにきたジープ p.120-121 Bacteriology in Japan was at the top level in the world, and advanced in the field of bacterial warfare. The aim of the Soviet rapid invasion was to obtain the flawless research results of Ishii Unit.
迎えにきたジープ p.120-121 Bacteriology in Japan was at the top level in the world, and advanced in the field of bacterial warfare. The aim of the Soviet rapid invasion was to obtain the flawless research results of Ishii Unit.

田上が差出す小さな紙片を、勝村はうなずきながら受取った。

自動車年式オヨビ型式
一九四二年 ポンティアック箱型
車輛登録番号 三〇七九四
所有者 ——
関係者各位
重大ナル交通違反オヨビ事故以外、当自動車ハ抑留サルルコトナク、又運転手オヨビ同乗者モ尋問サルルコトナシ
警視総監 田中栄一 印

その紙片にはこう書いてあった。大変な許可証である。もちろん、こんな許可証はこれ一枚限りで、他には発行されていないことはいうまでもない。

勝村は例のドライヴごっこを受持ったのだが、尾行中に交通巡査に止められて、モロトフを逃すことがしばしばだったので、田上に警視総監の特別許可証を頼んでいたのだった。眼を通した勝村はニヤリと笑った。

『ありがとう。総監もこんな証明書を出したのは生れて始めてでしょうナ』

勝村は大仰な身振りで別れを告げて、東京温泉の中に吸い込まれた。この建物も外人記者たちの報じたように〝東京らしい歓楽境〟の一つだ。

——大谷が習志野学校にいるとは、飛んでもない話だ。すでに内容は盗まれているかも知れない!

メジャー・田上は車を走らせながら、いつか勝村から受けた報告を想い出した。それは平壤の細菌試験所長チェレグラワー女史と大谷少将が協同でやったハルビンの生体解剖事件のことだった。

昭和二十年八月九日、ハルビンの石井部隊ではソ連の参戦を知って、てんやわんやの騷ぎだった。同夜中に林口、海林、孫呉、ハイラルの四支部に対して業務用建物、宿舍、設備、資材一切の書類の焼却命令が暗号電報で打たれた。同時に本部でも重要な施設や書類は直ちに朝鮮と内地とに移し、残りは爆破、焼却された。

しかし石井部隊の成果は、部隊長とともに飛行機で内地に帰ってきたのである。日本の細菌学は世界でも一流であり、細菌戦に関しても進んでいた。ソ連の迅速な進撃の狙いは、石井部隊を無瑕のまま押えることにあった。その成果をそっくりそのまま頂戴しようというのだ。

ドイツを占領したソ連軍は、光学器械で有名なツアイス・イコンの工場をそのまま押さえ、工場施設から技師、工員にいたるまで、そのままウクライナのキエフに移して生産を再開させた。そしてコンタックスと寸分違わぬカメラ「キエフ」を作った伝である。

ソ連側の企図は完全に成功しなかったが、ハバロフスク裁判の被告をみると、関東軍軍医部長医博梶塚中将、石井部隊製造部長医博川島少将、同教育部長西中佐、同製造部課長柄沢少佐、同支部長尾上少佐、第五軍軍医部長佐藤少将、関東軍獣医部長高橋中将らの幹部や、細菌学専門家を押えているので「矯正(強制?)労働として、石井部隊の再現と、その研究を進めさせるだろうことは想像に難くない。

一方撤収した施設は、南鮮で米軍に押えられ、千葉にあった習志野学校もまた接収された。試みにあの習志野原を横断して見給え。

米式装備で演習に励んでいる自衛隊に気を奪われて、何気なく見落してしまいそうだが、昔の習志野学校は厳重に鉄条網が張りめぐらされ横文字の札が立っている。内地に帰った細菌戦

の権威は今迎えられてここの研究指導を行なっているのだ。まさに日本の研究は米ソ両国に山分けされたことになる。