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最後の事件記者 p.264-265 マサさんを苦界から身請けした夫

最後の事件記者 p.264-265 誰が、マサの奴に〝生き仏さま〟なンて、頭が下げられますか。奴は昔はオレの女房だったし、女郎だったンだ。
最後の事件記者 p.264-265 誰が、マサの奴に〝生き仏さま〟なンて、頭が下げられますか。奴は昔はオレの女房だったし、女郎だったンだ。

戸籍によれば、妙佼こと長沼マサ女は、明治二十二年十二月二十六日、埼玉県人長沼浅次郎の長女として、同県北埼玉郡志多見村に生れた。結婚は戸籍上二回である。

これだけの資料をもって、自動車一台とともに、埼玉、茨城両県下を、一週間にわたって走り廻った。古老たちを土地土地でたずね歩き、彼女が醜業に従事した証拠を探し出したのである。

困ったのは、彼女の同僚だったオ女郎サンを、その家庭にたずねた時である。すでに孫までいる人、しかも耳でも遠くなっていようものなら、怒鳴るような大声で、四十年前のことを、しかも他聞をはばかる遊廓のことを聞くものだから、あるところでは、息子に怒られて追出されてしまった。

もちろん、当時の銘酒屋の建物をはじめ、談話者の写真をも撮っておいたのである。意外だったのは、マサさんを苦界から身請けした第一の夫、大熊房吉さんに、口止め策がとられていなかったことだ。或は、口止めが行われていたのを、私が話させてしまったのかもしれない。大熊さんは、はじめはなかなか話そうとせず、「昔は昔だけど、今はあんなにエラクなったのだから、身分にさわる」といって、話すのをイヤがったほどだ。

それが、終いには、

『会からも、いい役につけるから、来いといわれたんですが、会に行けば、マサに頭を下げなければならない。誰が、マサの奴に〝生き仏さま〟なンて、頭が下げられますか。奴は昔はオレの

女房だったし、女郎だったンだ。そりャ、有難やと手をもめば、金になることは判っているンだけど、とても男にやァ出来ねえことだ』

と、気焔をあげる始末だった。

新興宗教の現世利益

マサさんの第一の婚姻の前には、小峰某という情夫がいて、その男のためかどうか、大正十年ごろ、彼女は茨城県境町のアイマイ屋、箱屋の酌婦となった。

境町というのは、利根川をはさんで、埼玉県関宿町に相対する宿場で、箱屋の酌婦というのは、いわば宿場女郎だ。この箱屋も主人が死んで代変りとなり、その建物は伊勢屋という小間物玩具店になっている。箱屋の娘二人は、それぞれ老令ながら生存しており、当時の酌婦二人も生きていた。

やがて彼女は、利根川を渡って、郷里の埼玉県南埼玉郡清久村に帰ってきた。といっても廃業したのではなく、同村北中曾根の銘酒屋斎藤楼に住みかえたのである。この店は同郡久喜町北中曾根三番地となって、草ぶきの飲み屋の部分だけ残っており、酌婦たちが春をひさいでいた寝室

の部分は、取壊されてしまってすでにない。