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最後の事件記者 p.246-247 ニセ信者になって交成会に潜入

最後の事件記者 p.246-247 『何いってるンだ。通産省ほど社会部ダネの多い役所はないのに、今までの奴らは、保養のつもりで書きやがらねえ。お前がいって、書けるということをみせてやれ』と、全く話が変になってしまった。
最後の事件記者 p.246-247 『何いってるンだ。通産省ほど社会部ダネの多い役所はないのに、今までの奴らは、保養のつもりで書きやがらねえ。お前がいって、書けるということをみせてやれ』と、全く話が変になってしまった。

立正交成会潜入記

立正交成会へスパイ

警察の主任になったり、旅館の番頭などと、芝居心をたのしませながら仕事をしているうちに、三十一年になるとまもなく、警視庁クラブを中心とした、立正交成会とのキャンペーンがはじまってきた。

その前年の夏に、警視庁に丸三年にもなったので、そろそろ卒業させてもらって、防衛庁へ行きたいなと考えていた。「生きかえる参謀本部」と、「朝目が覚めたらこうなっていた—武装地帯」という、二つの再軍備をテーマにした続きものを、警視庁クラブにいながらやったので、どうもこれからは防衛庁へ行って、軍事評論でもやったら面白そうだと思いはじめたのであった。

そのころ、名社会部長の名をほしいままにした原部長が、編集総務になって、景山部長が新任

された。それに伴って人事異動があるというので、チャンスと思っていると、一日部長に呼ばれた。アキの口は防衛庁と通産省しかない。病気上りででてきていた先輩のO記者が、通産省へ行きたがっていたので、これはウマイと考えた。

『防衛庁と通産省があいてるのだが、警視庁は卒業させてやるから、どちらがいい』

という部長の話だった。えらばせてくれるなどとは、何と民主的な部長だと、感激しながら答えた。

『通産省は希望者もいることですから、ボクは防衛庁に……』

といいかけたら、とたんに、

『何いってるンだ。通産省ほど社会部ダネの多い役所はないのに、今までの奴らは、保養のつもりで書きやがらねえ。お前がいって、書けるということをみせてやれ』

と、全く話が変になってしまった。そればかりではない。

『お前のようなズボラを、一人のクラブへ出すのは、虎を野に放つのと同じだという意見もあるんだ。チャンと出勤しろよ。従来の奴が書けないクラブで、お前に書かせようというのだから』

とオマケまでついてしまった。こうして三十年の夏から、通産、農林両省のカケ持ちをやって

いたところに、キャンペーンに召集がかかってきた。ヒマで困っていたので、よろこび勇んで、はせ参ずると、ニセ信者になって、交成会に潜入して来いというのだ。

最後の事件記者 p.248-249 台本はすでに考えてある

最後の事件記者 p.248-249 『誰か知っている人に、交成会の信者はいないかネ』部内はもちろん、社内の誰彼れと、まんべんなく声をかけたが、神信心を必要とするようなのは、新聞社にはいない
最後の事件記者 p.248-249 『誰か知っている人に、交成会の信者はいないかネ』部内はもちろん、社内の誰彼れと、まんべんなく声をかけたが、神信心を必要とするようなのは、新聞社にはいない

こうして三十年の夏から、通産、農林両省のカケ持ちをやって

いたところに、キャンペーンに召集がかかってきた。ヒマで困っていたので、よろこび勇んで、はせ参ずると、ニセ信者になって、交成会に潜入して来いというのだ。

立正交成会のアクドイ金取り主義をつかむのには、その内部の事情を知らねばならない。当然、事前に潜入して調べておいてから、キャンペーンをはじめるべきなのに、戦いがはじまってしまってから、スパイに行けというのだから、チョット重荷だった。だが、面白そうである。

共産党だって、フリーの党員というのはないのだから、交成会も、入会を紹介してくれる導き親がなければならない。ことに、読売側から潜入してくるだろうという声もあって、警戒厳重だというから、よほどウマイ状況をつけないと、入会できない。そこで、導き親を探しはじめた。

『誰か知っている人に、交成会の信者はいないかネ』

部内はもちろん、社内の誰彼れと、まんべんなく声をかけたが、神信心を必要とするようなのは、新聞社にはいないとみえて、どうにも手がかりがないままに数日すぎた。

手がかりをつかむ

と、ある日、Tというサツ廻りの記者が、「どうもそれらしい心当りをみつけた」と知らせて

くれた。日蓮宗には違いないが、交成会かどうか、確めてみるというのだった。

都内のあるターミナルの盛り場、その駅付近には例によって、マーケットの呑み屋が集っている。そのうちの一軒、五十幾つになる人の良さそうなオバさんが、交成会の、あまり熱心でなさそうな信者だった。そんな信心ぶりだから、記者に狙われるような、〝業〟を背負っていたのだろう。でも、オバさん自身は、信者だということで、心の安らぎを得ているに違いない。

私は車をとばして家に帰った。ボロ類をつめた行李を引出すと、中からヨレヨレの古ズボンをみつけ出した。膝はうすくなり、シリは抜けている。Yシャツはエリのきれたの、上衣も古ぼけたの、クツ下はカカトに穴のあいたのと、一通りの衣裳が揃った。

サテ、そこで困ったのは、ボロオーバーがないのである。タンスの中を探すと、戦争中に叔母が編んでくれた、〝準純毛〟のセーターがでてきた。ダラリとして、重くて、とても今時は、人の前で着れた代物ではない。コレコレとよろこんで着こんだ。

メガネも、当今流行のフォックス型では困る。子供のオモチャ箱から、昔風の細いツルのフチのをみつけた。クツは、クラブのベッドの下に突っこんであった底の割れたボロ靴に決めた。

衣裳はこれですっかり揃った。台本は、すでに考えてある。霊験あらたかな立正交成会の御教

祖様「妙佼先生」の御慈悲にすがる、あわれな男である。

最後の事件記者 p.250-251 それはいいっこなしですよ。

最後の事件記者 p.250-251 うしろから、油気のない頭髪の、貧乏たらしい男がついてきた。厳寒の候だというのに、オーバーもきていないのだ。
最後の事件記者 p.250-251 うしろから、油気のない頭髪の、貧乏たらしい男がついてきた。厳寒の候だというのに、オーバーもきていないのだ。

衣裳はこれですっかり揃った。台本は、すでに考えてある。霊験あらたかな立正交成会の御教

祖様「妙佼先生」の御慈悲にすがる、あわれな男である。

年令は三十才位、中学卒。戦後、中小企業の鉄会社に勤めていたサラリーマン。朝鮮動乱の好景気で遊びを覚え、妻との仲がうまくゆかなくなる。やがて、動乱が終り、会社は左前。サラリーはおくれがちで、生活はつまってきた。妻とのいさかいが多くなり、会社はついに前年秋に倒産。失業する。愛想をつかした妻は、彼をすてて逃げてしまう。生きる希望を失った男。しかし、まだ失業保険が半年あるので、新橋のある保険会社で、外交の講習を受けており、ヤケにもなるが、何とか立直りたいとの努力も忘れさってはいない男だ。

銀座を呑み歩いていたころ、知り合ったのが新聞記者T。その記者をたずねて、何か職を世話してもらおうと考えた。記者はその男に一パイ呑ませて帰してしまおうと、オバさんの呑み屋に入ってくる。

にせのルンペン

ライトが消えて、暗い舞台のドン帳のかげで、ドラが嗚りひびいて、幕が静かに上る。

オバさんは、ガラりと入ってきた客の顔をみてニッコリとする。サッソウとした青年記者のう

しろから、油気のない頭髪の、貧乏たらしい男がついてきた。厳寒の候だというのに、オーバーもきていないのだ。二人が台の前に腰かけると、記者は酒を注文した。

『まア、Tさん。久し振り。アンタはいつもパリッとして、元気でいいわねえ』

『イヤア、ここしばらく忙しくてね』

オバさんと彼の挨拶がすむと、酒が出される。

『うまい。やはり一級酒は違うな。もう、もっぱらショウチュウで、しかも、このごろは御無沙汰ばかりだから……』

男はいやしく笑って、ナメるように酒をのむ。オバさんはフト、この奇妙な二人の取合せに疑問を感じたようだ。彼は素早く感じとって、

『しかし、鈴木さん、あなたの全盛時代はいつも銀座だったからね』

男は鈴木勝五郎といった。下品な仕草で酒を味うようにピチャピチャと舌を鳴らして、

『それはいいっこなしですよ。女房には逃げられるし、生きる希望も元気もなく、そうかといって死ねもせず、こうして昔のよしみで、あなたに就職を頼みにくる始末ですよ』

終りの方は、自分にいいきかせるように、やや感慨をこめていった。鈴木という名も、間違え

ないよう、同僚の名前を合せたものだ。私はオバさんの視線が、チラと自分に注がれたのを感じた。

最後の事件記者 p.252-253 妙佼先生のお手配なんですよ

最後の事件記者 p.252-253 『しかし、オバさん。その妙佼さまを拝むと、本当に救われるかい? オレのような奴でもかい?』オバさんは確信にみちて言下に答えた。『エエ救われますとも!』
最後の事件記者 p.252-253 『しかし、オバさん。その妙佼さまを拝むと、本当に救われるかい? オレのような奴でもかい?』オバさんは確信にみちて言下に答えた。『エエ救われますとも!』

『それはいいっこなしですよ。女房には逃げられるし、生きる希望も元気もなく、そうかといって死ねもせず、こうして昔のよしみで、あなたに就職を頼みにくる始末ですよ』

終りの方は、自分にいいきかせるように、やや感慨をこめていった。鈴木という名も、間違え

ないよう、同僚の名前を合せたものだ。私はオバさんの視線が、チラと自分に注がれたのを感じた。

『しかしね、Tさん。近頃の読売は一体何サ。交成会のことをあんなにヒドク書いてさ。あたしァ、アンタにとっくりいって聞かせねば、と思ってたんだよ』

『ア、そうそう。オバさんは祈り屋だったッけね。だけど、交成会だったのかい? それじゃくるんじゃなかった。読売と交成会とじゃ、全然マズイじゃないか』

『イエ、いいんですよ。それはそれですから、いらしてもいいんだけどサ』

オバさんは、謗法罪といって、交成会の悪口をいうとバチがあたる罪だとか、読売の記事についての、冗談まじりの口論をはじめる。鈴木は、はじめ興味なさそうに、やがて、だんだんと聞耳を立ててくる。

『もっともアンタは、♪今日も行く行くサツ廻り、ッてンだから、あの記事には関係ないんでしょ』

『そうさ。もっとエライ記者がやってるのだよ』

『じゃあ、本当は謗法罪で大変なところなんだけど、まあ勘弁してあげる。お悟りといって、バ

チが当るから、決してあんな記事は書いちゃダメですよ』

酒をのむ手も止めて、二人の話を聞き入っていた鈴木が、この時フィと口を開いた。

『しかし、オバさん。その妙佼さまを拝むと、本当に救われるかい? オレのような奴でもかい?』

オバさんは確信にみちて言下に答えた。

『エエ救われますとも! 妙佼先生という尊い方がいらして、真心から拝めば、キット有難い御利益がありますよ。ただし、いい加減な気持じゃダメですよ』

『だけど、本当かなあ』

鈴木は呟くようにいって、グイと盃をあけた。そして、考えこむ。オバさんはあわれむように鈴木をみつめた。

『一体どうしたのさ。ワケを話してごらんよ。奥さんに逃げられたとかって、ウチにこうして呑みにきたのも、妙佼先生のお手配なんですよ。エ? ネェ、Tさん』

しかし、鈴木は耳に入らないかのように考えこむ。グイ、グイと盃をあけながら、「本当かなあ」「救われるかなあ」と、ひとり呟いている。ややあって、鈴木は思いきったように、顏をあ

げて、真剣にオバさんをみつめていった。

最後の事件記者 p.254-255 オバさんは「可哀想に」と呟いた

最後の事件記者 p.254-255 ウソも方便と、ホトケ様がいわれたそうだが、この交成会の潜入で、計画的かつ継続的なウソの辛さ、苦しさをしみじみと味わわされた。
最後の事件記者 p.254-255 ウソも方便と、ホトケ様がいわれたそうだが、この交成会の潜入で、計画的かつ継続的なウソの辛さ、苦しさをしみじみと味わわされた。

しかし、鈴木は耳に入らないかのように考えこむ。グイ、グイと盃をあけながら、「本当かなあ」「救われるかなあ」と、ひとり呟いている。ややあって、鈴木は思いきったように、顏をあ

げて、真剣にオバさんをみつめていった。

『オバさん。オレはやってみるよ。その有難い教えというのを、オレにも教えてくれよ。もう一度、一人前になりたいんだよ』

鈴木は声を落して、オバさんと連れの記者とに、彼の罪多い過去から、行き詰った現在までを語り出した。

遂に潜入に成功

こうして、鈴木勝五郎こと私の、交成会へ入会のキッカケは作られた。成功したのであった。オバさんはコロリだまされて、不幸な私のため涙まで浮べてくれたのである。

ウソも方便と、ホトケ様がいわれたそうだが、この交成会の潜入で、計画的かつ継続的なウソの辛さ、苦しさをしみじみと味わわされた。一時逃れの、方便のためのウソとは違って、この人の良いオバさんの善意に対し、ウソをつきつづけるということは、今だに寝覚めの悪い感じだ。

オバさんを信じこませるため、途中でわざわざ便所に立った。オシリの破れをみせるためだ。すると、オバさんは「可哀想に」と呟いたという。効果的ではあったワケだ。

導いてくれる(入会紹介をしてくれる)と決れば、もう短兵急である。明朝の約束をして、それこそ明るい気持で店を出た。駅の近く、暗い横丁へ待たせてあった車にサッと飛びこんだ。

ところが、その衣裳のままで、社の旅館に入ったところが、顔見知りの政治部記者が、廊下の向うで私をみていた。その記者はあとで女中に向って、「どうしてアンナ汚いのを泊めるのだ」と怒ったという。女中たちと大笑いしたが、自信もついてきた。

翌朝早く、その呑み屋へ行って、オバさんを叩き起した。彼女は少女と一緒に、店の奥の一畳ほどのところに、センべイ布団でゴロ寝だ。モゾモゾと起き出してきて、新聞紙で粉炭を起す。洗面すると、交成会発行の総戒名という、先祖代々の戒名に向い、タスキ、ジュズの正装で、お題目を二十分ばかり、朝のお勤めである。

それから朝食だが、これには驚いた。やっとおきた粉炭でお湯をわかし、丼に入れた洗わないウドン玉の上に、おソウザイ屋のテンプラをのせ、醤油をかける。それにお湯をそそいだ、即席テンプラうどんだ。不潔な上にまずそうで、吐き気すら催しそうだ。

だが、おばさんも外出姿になると、精一ぱいのオシャレだから、電車に乗ると、私のみすぼらしさたるや、彼女が同行するのも恥づかしかろうと思うほどだ。蓬髪、不精ヒゲ、オーバーなし

の穴あきズボンに、ヒビ割れ靴というのだから……。

最後の事件記者 p.256-257 「もっと熱心に信心しなければ」

最後の事件記者 p.256-257 いずれも支部と自分の名を書いたノシ袋に、オサイ銭を入れて、本部拝殿前の三宝の上に差出す。名前が明らかにされるのだから、誰でも数枚の百円札はハズまざるを得ない。
最後の事件記者 p.256-257 いずれも支部と自分の名を書いたノシ袋に、オサイ銭を入れて、本部拝殿前の三宝の上に差出す。名前が明らかにされるのだから、誰でも数枚の百円札はハズまざるを得ない。

だが、おばさんも外出姿になると、精一ぱいのオシャレだから、電車に乗ると、私のみすぼらしさたるや、彼女が同行するのも恥づかしかろうと思うほどだ。蓬髪、不精ヒゲ、オーバーなし

の穴あきズボンに、ヒビ割れ靴というのだから……。

こちらも国電に乗ると緊張した。誰か知人に出会って、「よう」などと、肩を叩かれたら大変。「何だ、読売はやめたのか?」と、きかれること間違いなしの格好だからだ。伏眼がちに、四方を警戒しながら、やっとのことで新宿駅へ。そしてバスで本部へ。

行ってみると、オサイ銭をあげるオバさんの気前の良さに驚いた。冬のさ中にあんな朝食をとるオバさんが、実にカルイ気持で三百円もの大マイを、妙佼先生に捧げる。イヤ、ふんだくられているのだ。

バスを降りると、参拝者の列がつづく。それが、いずれも支部と自分の名を書いたノシ袋に、オサイ銭を入れて、本部拝殿前の三宝の上に差出す。名前が明らかにされるのだから、誰でも数枚の百円札はハズまざるを得ない。しかも、信者の勤労奉仕の道路整理係がいて、信者の群れを本部拝殿前へと追いこむのだ。そこを通らぬと、直接は修養道場へ行けないように、交通制限をしている。

そして、拝殿前でこのノシ袋を市価より高く売っているのは、教祖一族のものだというから、二重、三重のサク取である。

金の成る礼拝道路を経て、修養道場へ入る。道場というと立派そうだが、要するにクラブである。大広間になっていて、支部ごとに別れて、支部長を中心に〝法座〟を開いている。輪(和)になって、妙佼先生の代理ともいうべき支部長さんの前で、ザンゲしたり教えを受けたりする場だ。

しかし、実際は、例のノシ袋で支部ごとのオサイ銭上り集計表が作られて、支部長が「もっと熱心に信心しなければ」と、金のブッタクリを訓示する場所である。〝熱心に信心する〟ということは、〝毎日本部へ来る〟ことである。本部へ来れば、あの礼拝道路を必らず歩かせられるのだから。

支部長の御託宣

オバさんの支部長への報告の済むまで、隅ッこに坐っていた私は、やがて法座へ加えられた。そこで、まず、ザンゲをしなければならないのである。

肩を落し、低い声で、とぎれとぎれに語る私のセリフに、年配のオカミさんたちの、好奇の視線が集まる。……とうとう女房は逃げてしまったのです。私はすてられました……という件りに

きたとき、支部サン(支部長)の声がかかった。

最後の事件記者 p.258-259 いい奥さんが御手配になります

最後の事件記者 p.258-259 『色情だよ! オ前さんには、名前の示す通り、色情のインネンがあるンだよ。だから奥さんに逃げられたんだ』
最後の事件記者 p.258-259 『色情だよ! オ前さんには、名前の示す通り、色情のインネンがあるンだよ。だから奥さんに逃げられたんだ』

そこで、まず、ザンゲをしなければならないのである。

肩を落し、低い声で、とぎれとぎれに語る私のセリフに、年配のオカミさんたちの、好奇の視線が集まる。……とうとう女房は逃げてしまったのです。私はすてられました……という件りに

きたとき、支部サン(支部長)の声がかかった。

『アンタ、何て名前だっけね』

『ハイ、鈴木勝五郎です』

支部サンは、掌に字を描いて、その名前の画数を数えていたが、吐き出すように、自信をこめて断言した。

『色情だよ! オ前さんには、名前の示す通り、色情のインネンがあるンだよ。だから奥さんに逃げられたんだ』

『ハ、ハイ』消え入りそうな声だ。

『だけどね。熱心に信心すれば、この教えは有難いもんでね。御利益があるよ。妙佼先生の有難いお手配でね、前の奥さんが知ったら口惜しがるような、いい奥さんがまた御手配になりますッ』

高圧的にいいきる支部長の言葉は、確かに神のお告げのように、何かいいようのない新しい力を、私の体内に湧き起らせた。

また、新しいオヨメさんがもらえる! 現実には八年の古女房が、二人の子供とともにデンと

居坐っている私にさえ、この言葉は不可思議な魅力を持っていた。ただし、〝熱心に信心すれば〟イコオル〝うんとおサイ銭をあげれば〟である。

社へ帰って報告したら、景山部長はじめ社会部のデスクは爆笑につつまれた。

『これァ邪教じゃないよ。ズバリ、最初に色情のインネンがあると喝破したからな』

『妙佼サマのお手配で、またオヨメさんがもらえるなら、オレモ信者になるよ』

と大変な騒ぎだった。

その後の法座で見聞したところによると、男の入会者はすべて、「色情のインネン」「親不孝」のどちらかである。聖人君子はさておき、男の子でこの二つに該当する過去をもたないものはあるまい。女に対しては、「シュウト、シュウトメを粗末にしたからだよ。思い当ることがあるだろ?」である。これもまたムベなるかなである。

三百円ほど支払って、タスキなどの一式を買わされ、翌日は導き親であるオバさん宅の総戒名、支部サン宅のオマンダラ(日蓮上人筆の経文のカケ軸)、本部と、三カ所へお礼詣りだ。

お礼詣りが、無事とどこおりなく済むと、翌々日は祀り込みだ。本部で頂いた鈴木家の総戒名を、支部の幹部が、私の自宅へ奉遷し参らせて、諸顕安らかに静まり給えかしと、お題目をあげ

る儀式である。

このことのあるのは、かねて調査で判っていたから、城西のある古アパートの一室を、知人の紹介で借りておいた。家主には事情を話し、チャブ台その他、最少限の世帯道具も借りておいたのであった。

最後の事件記者 p.260-261 交成会青年部の妙齡の乙女

最後の事件記者 p.260-261 色情のインネン、妙佼先生のお手配、新しい奥さん、等々。その視線の中に、隣にならんで坐っている、女子青年部員の、紺のスカート、発育したモモとが入る。
最後の事件記者 p.260-261 色情のインネン、妙佼先生のお手配、新しい奥さん、等々。その視線の中に、隣にならんで坐っている、女子青年部員の、紺のスカート、発育したモモとが入る。

お礼詣りが、無事とどこおりなく済むと、翌々日は祀り込みだ。本部で頂いた鈴木家の総戒名を、支部の幹部が、私の自宅へ奉遷し参らせて、諸顕安らかに静まり給えかしと、お題目をあげ

る儀式である。

このことのあるのは、かねて調査で判っていたから、城西のある古アパートの一室を、知人の紹介で借りておいた。家主には事情を話し、チャブ台その他、最少限の世帯道具も借りておいたのであった。

幹部婦人の愛欲ザンゲ

その当日、幹部サンと導き親のオバさん、それにもう一人、交成会青年部の妙齡の乙女と三人が、連れ立って本部からそのアパートへやってきた。

儀式が終ってから、幹部サンはやがて法話のひとくさりをはじめたのであった。その法話も、いつかザンゲに変っていた。

『これでネ。私も色情のインネンがあってネ。一度では納まらなかったのですよ。』

優しい調子で、こんな風に話しはじめた幹部サンは、彼女の悲しい愛欲遍路の物語をはじめた。富裕な商家の一人娘に生れた彼女は、我儘で高慢に育った。年ごろになったころ、同郷の知人からあずかって、店員として働らいていた青年に恋をされた。

しかし、気位が高くて、店員なんぞハナもひっかけなかった彼女の態度に、その青年は破鏡の胸を抱いて故郷へ帰っていった。

『あとでそのことを知ってネ。私の色情のインネン、そして、そのごうの深さに恐しくなりましたよ』

最初の夫との結婚話、それに失敗した第二の結婚、そして、いまの生活——それは、彼女の性欲史であった。彼女のその物語は、もう窓辺に宵闇をただよわせている部屋の薄暗さと相俟って、私は何かナゾをかけられているのかナ、とも考えたりした。

他人に恋心をよせられるのも、再婚するのも、浮気するのも(とは彼女は口にこそしないが)、すべてこれ、色情のインネンのしからしむるところだという。そのごうから逃れるための修養だというが……。

『しかしネ。なかなか修業が足りなくて……。あなたも、熱心に修業しなくちゃあネ』

色情のインネン、妙佼先生のお手配、新しい奥さん、等々。私は正座してうつむき、抜けかけた膝をみつめ、ジュズをにぎってそんなことを考えていた。その視線の中に、隣にならんで坐っている、女子青年部員の、紺のスカート、発育したモモとが入る。

美しい部類に入るその子は、眼の下のホクロが、色白の肌に鮮やかで魅力的だ。

最後の事件記者 p.262-263 教祖の過去が売春婦であった

最後の事件記者 p.262-263 噂として、彼女がオ女郎サン上りだということは、あちこちでしばしば聞かされた。だが、確実なデータは誰も知らない。
最後の事件記者 p.262-263 噂として、彼女がオ女郎サン上りだということは、あちこちでしばしば聞かされた。だが、確実なデータは誰も知らない。

色情のインネン、妙佼先生のお手配、新しい奥さん、等々。私は正座してうつむき、抜けかけた膝をみつめ、ジュズをにぎってそんなことを考えていた。その視線の中に、隣にならんで坐っている、女子青年部員の、紺のスカート、発育したモモとが入る。

美しい部類に入るその子は、眼の下のホクロが、色白の肌に鮮やかで魅力的だ。

——彼女に、色情のインネンはないのだろうか。この子が、妙佼先生のお手配で、オレのものになるのかナ。幹部サンやオバさんではお断りだナ。

こんな妄想にふけっていたのも、やはり、支部サンに喝破されたように、もって生れた色情のインネンらしい。帰社すると、夜は銀座の紳士、昼はウラぶれた失業者。こんな二重生活が一週間余りつづいて、潜入ルポができ上った。

今でも、新宿から中野あたりを通ると、私の二人の相手役女優——オバさんとホクロの乙女を想い出す。

教祖の身元アライ

この、立正交成会キャンペーンは、正直のところいって、邪教という結論も出せなければ、叩きつぶして解散させるということも出来なかった。交成会側の読売不買運動も、地域的には成功したが、「読売を見ると眼がつぶれる」という宣伝も逆効果となって、信者の中に〝憎読者〟もでき、読売はかえって部数がふえるという結果だったから、いうなれば、読売の判定勝ちという

ところであった。

この時に一番面白かったのは、生き仏様の妙佼教祖の、過去の色情のインネンを正確に取材して、バクロしたことであった。交成会にとっても、教祖の過去が売春婦であったということは、信仰者としての適格性に影響してくるので、一番痛いことではなかっただろうか。

噂として、彼女がオ女郎サン上りだということは、あちこちでしばしば聞かされた。だが、確実なデータは誰も知らない。紙面で書くのは、少しエゲツないので、書かなくとも〝伝家の宝刀〟として正確な事実だけは調べておこう、というので、その取材を私が買って出た。

大正十年前後、約四十年も前の事実を、正確に調べようというのだから、困難な取材であることは覚悟したが、何かマリー・ベルの名画「舞踏会の手帖」を思わせる、たのしみがあった。

交成会の機関誌によると、御先祖は石田三成を散々に悩ませた、北条側の大将成田下総守の家臣、長沼助太郎という武士で、成田家の滅亡により、自領の志多見村に落ちのび、土着して半農の大工になったという。

戸籍によれば、妙佼こと長沼マサ女は、明治二十二年十二月二十六日、埼玉県人長沼浅次郎の長女として、同県北埼玉郡志多見村に生れた。結婚は戸籍上二回である。

最後の事件記者 p.264-265 マサさんを苦界から身請けした夫

最後の事件記者 p.264-265 誰が、マサの奴に〝生き仏さま〟なンて、頭が下げられますか。奴は昔はオレの女房だったし、女郎だったンだ。
最後の事件記者 p.264-265 誰が、マサの奴に〝生き仏さま〟なンて、頭が下げられますか。奴は昔はオレの女房だったし、女郎だったンだ。

戸籍によれば、妙佼こと長沼マサ女は、明治二十二年十二月二十六日、埼玉県人長沼浅次郎の長女として、同県北埼玉郡志多見村に生れた。結婚は戸籍上二回である。

これだけの資料をもって、自動車一台とともに、埼玉、茨城両県下を、一週間にわたって走り廻った。古老たちを土地土地でたずね歩き、彼女が醜業に従事した証拠を探し出したのである。

困ったのは、彼女の同僚だったオ女郎サンを、その家庭にたずねた時である。すでに孫までいる人、しかも耳でも遠くなっていようものなら、怒鳴るような大声で、四十年前のことを、しかも他聞をはばかる遊廓のことを聞くものだから、あるところでは、息子に怒られて追出されてしまった。

もちろん、当時の銘酒屋の建物をはじめ、談話者の写真をも撮っておいたのである。意外だったのは、マサさんを苦界から身請けした第一の夫、大熊房吉さんに、口止め策がとられていなかったことだ。或は、口止めが行われていたのを、私が話させてしまったのかもしれない。大熊さんは、はじめはなかなか話そうとせず、「昔は昔だけど、今はあんなにエラクなったのだから、身分にさわる」といって、話すのをイヤがったほどだ。

それが、終いには、

『会からも、いい役につけるから、来いといわれたんですが、会に行けば、マサに頭を下げなければならない。誰が、マサの奴に〝生き仏さま〟なンて、頭が下げられますか。奴は昔はオレの

女房だったし、女郎だったンだ。そりャ、有難やと手をもめば、金になることは判っているンだけど、とても男にやァ出来ねえことだ』

と、気焔をあげる始末だった。

新興宗教の現世利益

マサさんの第一の婚姻の前には、小峰某という情夫がいて、その男のためかどうか、大正十年ごろ、彼女は茨城県境町のアイマイ屋、箱屋の酌婦となった。

境町というのは、利根川をはさんで、埼玉県関宿町に相対する宿場で、箱屋の酌婦というのは、いわば宿場女郎だ。この箱屋も主人が死んで代変りとなり、その建物は伊勢屋という小間物玩具店になっている。箱屋の娘二人は、それぞれ老令ながら生存しており、当時の酌婦二人も生きていた。

やがて彼女は、利根川を渡って、郷里の埼玉県南埼玉郡清久村に帰ってきた。といっても廃業したのではなく、同村北中曾根の銘酒屋斎藤楼に住みかえたのである。この店は同郡久喜町北中曾根三番地となって、草ぶきの飲み屋の部分だけ残っており、酌婦たちが春をひさいでいた寝室

の部分は、取壊されてしまってすでにない。