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黒幕・政商たち p.158-159 秘密を売る男の死

黒幕・政商たち p.158-159 昭和四十三年。外交時報九月号=七月二十二日付中華週報によれば、麻薬は中共第一の外貨稼ぎであり、毎年八億ドルのボロイ商売である。
黒幕・政商たち p.158-159 昭和四十三年。外交時報九月号=七月二十二日付中華週報によれば、麻薬は中共第一の外貨稼ぎであり、毎年八億ドルのボロイ商売である。

第8章 秘密を売る男の死

昭和四十三年。外交時報九月号=七月二十二日付中華週報によれば、麻薬は中共第一の外貨稼ぎであり、毎年八億ドルのボロイ商売である。

「兵庫県警というのは、神戸港を控えているだけに、何かと問題の多いところでネ。入管との対立から麻薬中国人に逃げられたり」——警視庁外事課のある警部。

黒幕・政商たち p.160-161 兵庫県警と麻薬一つのミステリー

黒幕・政商たち p.160-161 警部が、若いマッサージ師と、日光で心中した事件があった。これが、麻薬のヴェテラン刑事で、結果は〝中年男の愛欲行〟とされてしまったのだが……
黒幕・政商たち p.160-161 警部が、若いマッサージ師と、日光で心中した事件があった。これが、麻薬のヴェテラン刑事で、結果は〝中年男の愛欲行〟とされてしまったのだが……

麻薬Gメン〝愛欲行〟の謎

背後関係のからむ自殺説

「大阪府警では、兵庫県警に連絡すると情報洩れになると、二課でも四課でも警戒してますよ」——府警記者クラブでの話。

「昨年秋に、兵庫県警本部から、神戸水上署の保安課長に栄転した警部が、若いマッサージ師と、日光で心中した事件があった。これが、麻薬のヴェテラン刑事で、結果は〝中年男の愛欲行〟とされてしまったのだが……」ある麻薬取締官はこう語りはじめる。兵庫県警と麻薬——ここに一つのミステリーがある。

四十年十月三日、奥日光の中禅寺湖畔の国有林で、キノコ採りの男が、心中死体を発見して日光署に届出た。そして、それから五日経って、その死体の身許は八月三十日から行方不明になっていた、元神戸水上署保安課長松尾長次郎警部と十九歳のマッサージ師E子さんであることが確認された。その年の三月の異動で県警本部から水上署の保安課長に転任した、麻薬と密輸のべテラン。四十三歳の警部の、若い女に夢中になった、愛欲行とみられたのだった。

だが、「週刊新潮」誌によれば、どうも、単なる〝愛欲行〟とは考えられないようだ。二人の足取りは、九月一日のひるごろ、日光観光ホテルに現れ、一泊して、タクシーで中禅寺湖に向い、九月四日付日光局消印の手紙が、松尾警部の妻と、女の母親宛に出されているだけしか判らない。

この手紙にもとづいて、九月十日、水上署の刑事二名がホテルにやってきた。支配人に女の写真を見せて、宿泊の有無をたずね、宿帳の筆跡に「間違いない」とうなずいた。

「麻薬の捜査だ。部屋に注射器、クスリ包みのようなものがなかったか」とルーム・メイドにたずねた。「クズカゴの中に、クスリ包みのようなものがあったが捨てた」という答えを得ている。

水上署では、警部の失跡理由を、「もともと実直な人で、女の妊娠をオロスというチエも、駈け落ち前に依願退職して退職金を受け取る分別もなかったか」と、単なる〝中年男の愛欲行〟にすぎないというのだが、麻薬とその背後関係のからんだ自殺説もあるという。

というのは、「愛欲のための失跡」に対して、刑事二名を出張捜査させることがオカシイし、それへの批判に対しては「捜査費用は後日遺族に請求する」といっているのだが——と、同誌は疑問を投げている。

事実、神戸水上署の保安課長といえば〝陽のあたる場所〟である。それをしも若い女に狂っ

て、棒にふることはあり得よう。だが、それならば、妻と女の母親への手紙で〝愛欲行〟は判っていたのである。どうして、水上署の刑事二人が遠い奥日光まで、追って来なければならなかったのだろうか。

黒幕・政商たち p.162-163 兵庫県警の狙いは取締官の逮捕

黒幕・政商たち p.162-163 松尾警部心中事件の背景を求めて、阪神の〝極道〟たちの間を歩き廻った私は、「松尾事件は、モチロン麻薬があるのさ」と、彼らの間の、無責任な風聞をきき集めてきた。
黒幕・政商たち p.162-163 松尾警部心中事件の背景を求めて、阪神の〝極道〟たちの間を歩き廻った私は、「松尾事件は、モチロン麻薬があるのさ」と、彼らの間の、無責任な風聞をきき集めてきた。

事実、神戸水上署の保安課長といえば〝陽のあたる場所〟である。それをしも若い女に狂っ

て、棒にふることはあり得よう。だが、それならば、妻と女の母親への手紙で〝愛欲行〟は判っていたのである。どうして、水上署の刑事二人が遠い奥日光まで、追って来なければならなかったのだろうか。

警察では、捜査費用の予算が少ないことが、刑事たちに心身共のオーバー・ワークを強いる結果になることを、常日頃から洩らしているではないか。この出張捜査は、県警本部の了解なしには、行なえるものではない。とすると、やはり、松尾警部の死の愛欲行は、その背後関係を洗わねばならない。

松尾警部心中事件の背景を求めて、阪神の〝極道〟(ゴクドウ。東京でいうヤクザ)たちの間を歩き廻った私は、「松尾警部の事件は、モチロン麻薬があるのさ」「麻薬課長の女房が、オドかされているという、ケッタイな話もあるンヤ」と、彼らの間の、無責任な風聞をきき集めてきた。

それらの中で、フト、私の気持に、何かピンと来る、古い事件があった。一人の麻薬バイ人(ペーヤと呼ばれる、末端の小売り人)が、拘留中に痔のために一般病院に移され、そして間もなくピストル自殺を遂げたという話である。

鈴木兼雄、昭和四年生れ、昭和三十六年四月三日、神戸市生田区加納町四の一山田病院で自殺。神戸の極道、五島会岩田組に属し、常習の麻薬密売人である。

〝サツの犬〟の寝返り

「今回、私が警察でお調べをうける破目になり、反省してみましたが、私のようなインホーマー(注、情報提供者)の犠牲者を再び出さないように、しなければならないこと。麻薬事務所のオトリ捜査の行き方が、これで良いのかといった疑惑を抱くようになりましたことなどから、麻薬捜査の適正化といったことに役立てばと思い、私がインホーマーとして活躍した過程で、知っていることを一切お話したいと思います。これを話すことによって、私自身、自繩自縛のことになる点もあり、また、他から身体生命的な圧迫、迫害といったことも、一応予想されるところです」

このような文章で、この麻薬密売人は兵庫県警防犯課で、昭和三十五年八月十三日、真鍋弥太郎警部補に調書をとられているのである。

この調書の冒頭部分で明らかになったように、鈴木は常習密売人であると同時に、厚生省麻薬取締官近畿事務所のインフォマー(S、スパイのこと)であったのである。そして、鈴木一派の麻薬取締法違反事件は、同時に近畿事務所長近藤正次、同捜査二課長鋤本良徳、東海事務所阿知波重介という、三名の現職麻薬取締官の逮捕へと、意外な発展をしたのであった。

イヤ〝意外な発展〟といっては、正鵠を失しよう。兵庫県警の狙いは、近藤所長以下の、麻薬取締官の逮捕であったといってもよかろう。つまり、商売仇をヤッつけたのであった。

黒幕・政商たち p.164-165 警察と取締官とは犬猿の仲

黒幕・政商たち p.164-165 この五八条が問題なのである。警察官には許されていない、取締官だけの特権である。ということが、この両者の宿命的対立を招いているのである。
黒幕・政商たち p.164-165 この五八条が問題なのである。警察官には許されていない、取締官だけの特権である。ということが、この両者の宿命的対立を招いているのである。

イヤ〝意外な発展〟といっては、正鵠を失しよう。兵庫県警の狙いは、近藤所長以下の、麻

薬取締官の逮捕であったといってもよかろう。つまり、商売仇をヤッつけたのであった。その意気ごみが、鈴木の調書の導入部の作文に、ハッキリと謳われているではないか。

麻薬取締官というのは、麻薬取締法第五四条に、麻薬取締員と共に、その職務権限が示されているが、「厚生大臣の指揮監督を受け、麻薬取締法、大麻取締法もしくはアヘン法に違反する罪、刑法アヘン煙に関する罪、麻薬もしくはアヘンの中毒により犯された罪について、司法警察員として職務を行う」のである。

従って、武器の携行も許されており、「その他の司法警察職員とは、その職務を行うにつき互に協力しなければならない」とまで、定められているが、現実には、麻薬に関しては、警察と取締官とは犬猿の仲である。

さらに、同法第一二条は、「麻薬は、何人も輸入、輸出、製造、製剤、譲渡、譲受、交付、施用、所持、廃棄してはならない」と、厳しい禁止規定を設けてはいるが、同じく五八条で、「麻薬取締官は、麻薬に関する犯罪の捜査にあたり、厚生大臣の許可をうけて、この法律の規定にかかわらず、何人からも麻薬を譲り受けることができる」と、譲り受けに関して、免除条項がある。

この五八条が問題なのである。警察官には許されていない、取締官だけの特権である。ということが、この両者の宿命的対立を招いているのである。つまり、取締官が司法警察員の職務

(犯罪捜査)を行えるのは、麻薬関係だけである。彼らの経歴の多くは、いうなれば、ポッと出の薬剤師で、捜査に関しては、まるでズブの素人である。長年、捜査で叩きあげてきた、職人肌の刑事にとっては、そこが不愉快でならないという、その感情も理解できよう。

Gメンと警官の反目

刑事たちは、麻薬の不法所持者、密売人や中毒患者をみつけ出せば、いわゆるヒッカケ逮捕(他の犯罪容疑で逮捕)もできるし、日本の捜査の現状が、岡ッ引捜査(ショッピいてきて、叩いて、泥を吐かせる)であるだけに、丹念な積み重ね捜査しかできないのである。つまり、麻薬の譲り受けが許されてないから、密売ルートの中に、潜入できないのだ。

これに対し、取締官は、他の法律を援用できないからもちろん、ヒッカケや岡ッ引捜査ができない。つまり、麻薬そのものにタッチして、これを検挙するしか犯罪捜査の手段がないのである。これは、いわば、オトリ捜査である。取締官が、自ら麻薬を買いに行って、その譲り渡しの相手を捕まえる以外に、手がないのである。

この辺のところに、両者の「捜査線」の交錯が生ずるのである。警察が長時間をかけ、遠くからジッと見つめているところへ、取締官がその「線」の中に入りこんで、逃がしたり、警戒されたりして警察の捜査を、ブチ壊すケースが多いことなど、容易に想像されるのである。

黒幕・政商たち p.166-167 所長は『絶対に否認せよ』と強調

黒幕・政商たち p.166-167 この調書の狙いは、所長以下の三取締官の、鈴木との共謀振り(取締官の起訴事実の麻薬密輸、収賄)と、検察庁へ運動の阻止にあると思われる。
黒幕・政商たち p.166-167 この調書の狙いは、所長以下の三取締官の、鈴木との共謀振り(取締官の起訴事実の麻薬密輸、収賄)と、検察庁へ運動の阻止にあると思われる。

麻薬取締法五八条の、取締官の麻薬譲受けの許可は、どのような精神にもとづいて定められたのであろうか。「麻薬の犯罪捜査にあたり」と、但し書きが付されているのだから、これは、いわゆるオトリ捜査を認めているのではないだろうか。麻薬のオトリ捜査が、立法の精神において認められているとすれば、鈴木の警察調書の、冒頭部分のオトリ捜査への非難は警察官、否、兵庫県警麻薬担当官の〝感情〟と判断されよう。

大体からして、教育もないし、極道の麻薬密売人で、あのような〝大演説〟を文字通りにブテるハズがないので、調書の冒頭と末尾とは、筆者の体験からしても、調べ官の「……ということなんだろ?」という、断定的な発言に対し、被疑者は「ハイ」と、うなずくだけだ。

この、県警麻薬担当官の、近畿麻薬取締官への〝感情〟は、鈴木の調書の他の部分にもある。つまり、鈴木逮捕当時の取締官事務所との関係を、わざわざ一項目をたてて、三十五年十月十日に、鈴木入院中の山田病院で(数次の調書の日付をみてゆくと、十月になって入院しているようだ)、兵庫署の生田春次巡査部長が、調書をとっている。

「近畿事務所神戸分室に行きましたところ、分室長が『警察本部が君を逮捕するといっており、今、所長(近藤被告)に連絡をとり、検察庁にもなんとかして頂くよう話をしている」

(中略)

分室長が電話を代れというので受話機をとると、近藤所長が出ていて、『鈴木君、二十二日

間の辛抱や、絶対に否認せい。わしが検察庁に話してその間になんとかする』と、いいましたから、私は所長に、『今まで事件の内容をある程度弁護士から聞いていることでもあり、警察へ行って話をする』と、いいましたが、所長は『絶対に否認せよ』ということを強調し、さらに私に、『警察は君だけでなしに、麻薬事務所ということも計算に入れており、麻薬係だけではなくして、捜査二課(鋤本被告が課長)の方も調べることやろ』といいました。

(その打合せに捜査二課長が神戸分室にきて、鈴木は明朝十時=八月二日=に県警本部へ出頭するから、逮捕は待ってくれとの話し合いがついたことになる)同分室を出ようとすると、奥川取締官が、『ああ、警察がおる』というので、フト顔をあげてみると、刑事らしい男が私の自家用車のおいてあるところに立っておりました。(中略)

私は鋤本氏に対し、『今、捕ったら困る。金を一銭も持っていないし、また、警察も約束しておいて、汚ないなあ』というと、鋤本氏は『警察ってそんなとこや。まア、スーさん、行ったらあんばいよう頼む』と、いいました」

この調書の狙いは、所長以下の三取締官の、鈴木との共謀振り(取締官の起訴事実の麻薬密輸、収賄)と、検察庁へ運動の阻止にあると思われる。このような、県警側の〝感情〟は、当然、取締官側にも反映して、近藤被告(前所長)の裁判所への上申書に、ハッキリと警察との協力を否定している部分がある。

黒幕・政商たち p.168-169 近藤正次は近畿事務所長に

黒幕・政商たち p.168-169 着任早々に、インフォーマーのお繕立てにのって、所長自ら〝天理市居住の医師〟に扮して、密輸中国人の手先と接触した。
黒幕・政商たち p.168-169 着任早々に、インフォーマーのお繕立てにのって、所長自ら〝天理市居住の医師〟に扮して、密輸中国人の手先と接触した。

権力の執行者に落し穴

近藤正次被告の、四十一年三月付の上申書は、「関税法違反及び麻薬取締法違反被告事件は、潜入捜査のため生じた、複雑微妙なる経緯を伏在する事案でありますので(中略)本件真相を把握賜りますようお願いいたします」として四三頁にわたり、衷情を訴えている。その目的をみてみよう。

一、当時の麻薬事犯の実情、ならびにこれに対する捜査方針

二、私が近畿地区麻薬取締官事務所に赴任以来、鈴木兼雄を情報提供者として採用した経緯及び同人の情報により検挙した事件の概要、ならびに本件潜入捜査の一目的たる李忠信逮捕にいたるまでの概要

イ 鈴木兼雄採用の経緯

ロ 阿知波取締官の五島会潜入

ハ 欧金奢検挙前後の状況(近藤起訴事実の一)

ニ 高橋正一を情報提供者として採用した経緯

ホ 鋤本取締官の五島会潜入

ヘ 森松敏一検挙前後の状況(起訴事実の二)および李忠信逮捕にいたるまでの概要

ト 宗敏明事件検挙の経緯

三、チサダネ号事件(起訴事実、近藤の三、鋤本の一、阿知波の一)

四、ルイス号事件(阿知波の二)

この上申書の目次をみれば、おおよその事件の経過は明らかである。「昭和三十三年十一月、厚生省麻薬課長に久万楽也氏が就任されるにおよび、全国八ブロックに別れている地区麻薬取締官事務所の、過去十年間における沈滞した空気の刷新を計るため、大規模な人事異動が計画され」て、近藤被告は、近畿事務所長になった。

そして、着任早々に「中国人が麻薬を大量に売りたがっている。そこで、天理市の医師に話したら、取引したいといっていた」という、インフォーマーのお繕立てにのって、所長自ら〝天理市居住の医師〟に扮して、密輸中国人の手先と接触した。往診カバンの中に、見せ金百七十万円を詰め、役所の車のナンバーを、陸運事務所に交渉して取換え、数回の接触ののち、深夜の街頭で、所長の車に壮漢が五人乗込んでくる。お抱え運転手に扮した部下の取締官は、思わず胸に吊った拳銃にふれてみる——こんなスリラーののち、所長の車を尾行している検挙班のオート・三輪が、五人の壮漢のうちの一人鈴木を逮捕するのだ。もちろん、中国人の麻薬の商品見本として持っていたヘロイン三一八グラムの不法所持だ。所長は、第五八条によって

鈴木から譲り受けたそのヘロインの、譲り受け責任はない。ここが、警察官の捜査と違う点である。

黒幕・政商たち p.170-171 麻薬王・王漢勝、欧金奢、李忠信

黒幕・政商たち p.170-171 近藤—阿知波—鈴木のトリオは、王漢勝のすぐ下のクラスの欧金奢を逮捕した。五島会の内偵の結果、洪盛貿易公司の李忠信逮捕へと勇み立ったのである。
黒幕・政商たち p.170-171 近藤—阿知波—鈴木のトリオは、王漢勝のすぐ下のクラスの欧金奢を逮捕した。五島会の内偵の結果、洪盛貿易公司の李忠信逮捕へと勇み立ったのである。

もちろん、中国人の麻薬の商品見本として持っていたヘロイン三一八グラムの不法所持だ。所長は、第五八条によって

鈴木から譲り受けたそのヘロインの、譲り受け責任はない。ここが、警察官の捜査と違う点である。

警察官の麻薬捜査も、現実には、刑法の総則(正当行為による犯罪の不成立)を拡大解釈して、麻薬の譲り受けを認めているが、原則的には、麻薬取締官だけである。だから、警察官は、エス(取締官はインフォーマーという)もろとも、逮捕してしまうし、尾行、職質など、自分たちが直接、麻薬に手を触れなくとも検挙できる捜査能力と組織とを持っているのである。

近藤所長の栄転後の初戦果に、本省はじめ近畿事務所は、すっかり張り切ってしまった。そして、麻薬撲滅のための水際作戦のため、鈴木の保釈を検事に運動して、情報提供者に仕立ててしまう。

極道、ヤクザ、グレン隊——このような人種ほど、権力に弱い卑劣な人間たちはおるまい。自分の悪事を反省するどころか、自分の罪を軽くしてもらうとか、釈放されるとかいう、私利私欲のためにだけ忠実で、仲間を裏切り、権力に迎合し、へつらう。鈴木とて、例外ではなかったのである。

そして、麻薬取締官という、国家権力の執行者であった近藤所長はじめ、三人の取締官は、鈴木を過大評価し、鈴木の狎れに馴染み、権力と権力の走狗というつながりを忘れて、人間感情を持ちすぎた結果、やはり、裏切られたのである。鈴木にとっては、取締官と警察官との、

二つの〝権力〟をハカリにかけて、今、自分を逮捕して、自分の自由を拘束している、兵庫県警に迎合することの方が、重大だったのである。

女を抱いて収賄

さて、忠誠を誓った鈴木の手引きで、神戸でカオを知られていない、東海地区事務所の阿知波取締官が大阪に派遣されて、麻薬暴力団「五島会」に潜入する。彼は偽名して、横浜で麻薬事犯指名手配をうけ、神戸に逃げてきた、鈴木の客人ということで、旅館住いの男。

近藤—阿知波—鈴木のトリオは、その年の暮に、王漢勝のすぐ下のクラス(在日幹部)の欧金奢を逮捕した。再びクリーン・ヒットである。五島会の内偵の結果、王なきあとの在日責任者は、洪盛貿易公司の蔡某こと李忠信と判明、本省の許可もとって、李忠信逮捕へと勇み立ったのである。大隊長クラスではあるが、欧金奢ともども、在日の大物であることは間違いない。

鈴木の紹介で、鈴木より一クラス上にランクされる、山清組の高橋正一が、同じようにインフォーマーになった。密輸外国船の中国人船員を捕えるためだ。だが、この時期から、鈴木は鈴木で秘かにある計画を練っていたらしい。つまり、高橋を紹介し、取締官に中国人船員の面割り(メンワリ。顔を覚えさせる)と称して、彼らを船に連れこみ、税関のフリー・パスを狙

ったものだ。

黒幕・政商たち p.172-173 栄光のカゲに墓穴が

黒幕・政商たち p.172-173 国家公務員の捜査費用で、彼らと対等に、ワリカン(もしくは、オゴられれば、次回オゴリ返す)で、付き合えるであろうか。これらが、すべて「贈収賄」事件として立件されたのである
黒幕・政商たち p.172-173 国家公務員の捜査費用で、彼らと対等に、ワリカン(もしくは、オゴられれば、次回オゴリ返す)で、付き合えるであろうか。これらが、すべて「贈収賄」事件として立件されたのである

だが、この時期から、鈴木は鈴木で秘かにある計画を練っていたらしい。つまり、高橋を紹介し、取締官に中国人船員の面割り(メンワリ。顔を覚えさせる)と称して、彼らを船に連れこみ、税関のフリー・パスを狙

ったものだ。

潜入した阿知波取締官の手腕は、仲々のものであった。その的確な情報で、事務所は、次々と2ラン・ホーマー、満塁ホーマーと打ちつづけた。年があけて、一月にバイ人を二人、二月には、王漢勝と同列の郭建新(欧金奢、李忠信の上部機関、連隊長クラス)の内妻、浜本順子らを逮捕した。

五島会の内部組織の解明が進み、〝麻薬営業部長〟が浮んできたので、ここで九州地区から呼ばれた、鋤本取締官が、密輸時計ブローカーから麻薬ブローカーに転業した男、として、やはり極道の群れに投ずる。

李忠信を追う、麻薬取締官の輪が、だんだんにせばめられ、二月下旬には、厚生省に防弾チョッキを手配してもらい、近畿事務所の二十名に、応援六名を得て、麻薬二ポンドと中国人暴力団数名に護衛された李を追うという、スリリングな場面まできた。

だが、近藤上申書はいう。「引続き、李の立回り先数カ所を、昼夜交代で張込みした。しかし、取締官だけでは人員不足の点、また国外逃走のおそれから、当時の担当検事も心配し、全国指名手配(警察)してはとの助言もあったが、王漢勝事件捜査のいきさつもあり(事件端緒から押収麻薬のすべてを取締官が押えたが=注、取締官の功績=、警察との合同捜査により、王漢勝を全国指名手配せよとの検事指示により、逮捕後は本件すべてを警察に移された苦い経験が

ある=注、手柄をすべて警察にとられた=)厚生省としては、この事件はあくまで取締官の総力を結集して検挙せよ、との指示にもとづき、ついに五月二日、李忠信を逮捕することに成功した」

三月には、五島会の幹部二名、四月にはまた二名と、さらに五月には、念願の李忠信と、潜入取締官たちは、近藤所長指揮のもとに、着々と成果をあげていったが、その間、栄光のカゲに墓穴が掘られていたのだった。

つまり、鈴木に対する信頼度が高まって、鈴木は「権力」に狎れたのである。また、Aは麻薬指名手配の逃走犯、Bは九州の密売ブローカーとして、彼らと行動を共にするのだから、キャバレーで飲み共に娼婦を抱き、するのである。服も紺の背広ではデカ・スタイルだから、派手なサイド・べンツを鈴木に借り、髪は極道刈りということになる。旅客機で東奔西走し、時計はインターということになれば、国家公務員の捜査費用で、彼らと対等に、ワリカン(もしくは、オゴられれば、次回オゴリ返す)で、付き合えるであろうか。

これらが、すべて「贈収賄」事件として立件されたのであるが、果してどんなものであろうか。

鈴木、高橋は、四月、五月、六月と、「密輸船が入ったから」として、神戸港、名古屋港、横浜港を、近藤所長らを引き回した。そして、取締官を船のタラップに待たせ、彼らが船内に

入って、麻薬の密輸を行い、また、取締官事務所の公用車に同車して、税関を通り抜けたのであった。(と、極道たちの警察調書には記録されている)

黒幕・政商たち p.174-175 死ぬことを期待した者は誰か

黒幕・政商たち p.174-175 鈴木は県警に逮捕され、県警の思う通りの調書を取らせ、十月には一般病院に移され、翌年四月に自殺して果てたのである。私がピンときたというのは、〝鈴木の謀殺〟ではないか、ということである。
黒幕・政商たち p.174-175 鈴木は県警に逮捕され、県警の思う通りの調書を取らせ、十月には一般病院に移され、翌年四月に自殺して果てたのである。私がピンときたというのは、〝鈴木の謀殺〟ではないか、ということである。

鈴木、高橋は、四月、五月、六月と、「密輸船が入ったから」として、神戸港、名古屋港、横浜港を、近藤所長らを引き回した。そして、取締官を船のタラップに待たせ、彼らが船内に

入って、麻薬の密輸を行い、また、取締官事務所の公用車に同車して、税関を通り抜けたのであった。(と、極道たちの警察調書には記録されている)

取締官たちは、次便で密輸させるため今回は発注するのだから、相手の中国人船員の面割りをする、という目的で同行していた。面割りしておけば、その船が次回入港したさい、その船員の尾行で、在日幹部が割り出せる、という狙いだ。これが、チサダネ号、ルイス号事件である。

二足のワラジ

事実、鈴木の動作は、事務所が検挙の実績をあげるたびに、密売人としても、威張り出していたようである。彼は、インフォーマーとして、仲間を売りながらも、〝商売〟は続けており、その儲けが取締官たちとの酒色費にもなっていたようである。

事務所の戦果と、鈴木の横行振りに注目した兵庫県警は、〝蛇の道は蛇〟で、即座に、取締官たちの行動が、シャクシ定規な法律の運用にふれることを判断したらしい。こうして、八月二日、鈴木は県警に逮捕され、県警の思う通りの調書を取らせ、十月には一般病院に移され、翌年四月に自殺して果てたのである。

鈴木の自供にもとづき、近藤所長以下は、刑事訴追をうけるハメに陥った。三人共、数カ月も放置されたあげく、同年暮に保釈となり、爾来、満七年の才月が流れたが、まだ、一審すら

終ってない。国家公務員の身分は、休職のままだ。

六年の才月は、裁判官の健康にも変化をもたらし、そのメンバーも、このほど入れかえになったので、審理は再び、やり直しも同様である。一体、何時になったら、神戸地裁の一審判決がでるのであろうか。

麻薬の恐ろしさを説く、菅原通済氏もまた、特別弁護人として、法廷に立って力説した。警視庁の初代麻薬課長であり、麻薬捜査のオーソリティである町田西新井署長もまた、「麻薬捜査はオトリと潜入以外ないというのは、アメリカはじめ世界の麻薬被害国の常識であり、麻薬取締法五八条の立法の精神もまた、オトリ捜査を認めているのだ」という。

すると、兵庫県警防犯課、真鍋主任の取った鈴木の調書の、オトリ捜査への非難は、一体どういうことであろうか。この調書で鈴木のいった「……他から、身体、生命的な圧迫、迫害といったことも、一応予想されるところです」の言葉の通り、鈴木はピストル〝自殺〟をとげたと、鋤本被告はいっている。

三人の元取締官被告は、唯一の証人である鈴木を失って、その証言に信ぴょう性がないことを、法廷で立証し難い状況に追いこまれている。本人は死んで、調書だけが残ったのである。調書と近藤上申書とは、互に相手に不信を投げつけあっているではないか。

私がピンときたというのは、〝鈴木の謀殺〟ではないか、ということである。鋤本被告のい

う通り、鈴木がピストル自殺であれば、問題である。

また、何故、鈴木が一般病院に出されたかという疑問である。鈴木がスパイとして仲間を売ったことを恐れていれば、調書でもいっているように、仲間の制裁は予想されるところだ。当時の病院の警備は? ピストルの入手先は? 射った手の硝煙反応は? 死体検案書は? ピストルの捜査は?——まだ、一つも裏付け調査にかかっていないので、疑問だけだが、鈴木が、死ぬことを、或は殺されることを、心中秘かに期待した者は誰だろうか?

松尾警部の心中行、麻薬課長の妻の脅迫の噂、そして、スパイと密売人の二足のワラジの男の死——これらの一連の問題は、確かにその背後は、麻薬の何かがあるのだ!

黒幕・政商たち p.176-177 「麻薬」には常に国家の意思が

黒幕・政商たち p.176-177 梅毒と並び称されながらも、その背後関係をみる時「麻薬」のもつ、国際的、思想的、政治的な謀略性は、「梅毒」の比ではないことは、明らかである。
黒幕・政商たち p.176-177 梅毒と並び称されながらも、その背後関係をみる時「麻薬」のもつ、国際的、思想的、政治的な謀略性は、「梅毒」の比ではないことは、明らかである。

私がピンときたというのは、〝鈴木の謀殺〟ではないか、ということである。鋤本被告のい

う通り、鈴木がピストル自殺であれば、問題である。

また、何故、鈴木が一般病院に出されたかという疑問である。鈴木がスパイとして仲間を売ったことを恐れていれば、調書でもいっているように、仲間の制裁は予想されるところだ。当時の病院の警備は? ピストルの入手先は? 射った手の硝煙反応は? 死体検案書は? ピストルの捜査は?——まだ、一つも裏付け調査にかかっていないので、疑問だけだが、鈴木が、死ぬことを、或は殺されることを、心中秘かに期待した者は誰だろうか?

松尾警部の心中行、麻薬課長の妻の脅迫の噂、そして、スパイと密売人の二足のワラジの男の死——これらの一連の問題は、確かにその背後は、麻薬の何かがあるのだ!

白い粉に国家の政略

阿片という武器

最近の日本で、静かなブームを呼んでいるもの——もちろん、加山雄三やサッカーではない、麻薬と梅毒であるという。

北鮮スパイ事件のひんぱんな発表が、一向に〝危機感〟を起さないように、麻薬や梅毒のまんえんが、危機感を呼ばないのは、その潜行性の故であろうが、さきごろのカメラの大手メーカー、ヤシカ専務とその一味の麻薬事犯ほど、世の警鐘となったものはあるまい。

治安当局のある麻薬担当官は「日本の麻薬禍は、上流階級と底辺層とにまんえんしつつある」といっているが、ヤシカ専務事件が、それを雄弁に裏付けてくれる。芸能人や高級コール・ガールを媒介として上層階級に侵透しつつある「麻薬」とは、一体、何であろうか。梅毒と並び称されながらも、その背後関係をみる時「麻薬」のもつ、国際的、思想的、政治的な謀略性は、「梅毒」の比ではないことは、明らかである。

セックス、酒、と博、麻薬などによって人間の弱点に喰いこむ「外国人獲得法」が、ソ連秘

密機関では「科学の段階」にまで高められているという。まず、身近かな実例で「麻薬」に対しては、常に国家の意思がつきまとうということを、実証しなければならない。

黒幕・政商たち p.178-179 時価百億円の阿片塊

黒幕・政商たち p.178-179 満州帝国の武部総務長官は、皇帝溥儀と帝国再建の方途とを考え、満州国が保有していた莫大な量の阿片をその資金とすること考えついた。
黒幕・政商たち p.178-179 満州帝国の武部総務長官は、皇帝溥儀と帝国再建の方途とを考え、満州国が保有していた莫大な量の阿片をその資金とすること考えついた。

セックス、酒、と博、麻薬などによって人間の弱点に喰いこむ「外国人獲得法」が、ソ連秘

密機関では「科学の段階」にまで高められているという。まず、身近かな実例で「麻薬」に対しては、常に国家の意思がつきまとうということを、実証しなければならない。

日本の敗色が濃くなってきた昭和二十年の初夏のころ、満州帝国の武部総務長官は、ソ連の参戦を必至とみて、皇帝溥儀の身のふり方と、帝国再建の方途とを凝らしていた。そして、考えついたのは、満州国が保有していた莫大な量の阿片を、ひそかに日本に運んで、その資金とすることである。当時の日本円に換算して、百億円ともいわれるほどの量であった。目方についての、正確な資料が残っていないので、時価百億円の阿片塊としかいえない。

武部長官は、関東軍に交渉して、その輸送に護衛を一個中隊つけることを頼んだが北方の風雲は急を告げており、一個小隊の日本軍が配属されたにすぎなかった。こうして、暮夜ひそかに首都新京(現在長春)を出発した輸送隊は、まず、道を吉林へととったが、やがて、ソ連の参戦、日本の降伏と、情勢の転変に、輸送指揮官の満州国総務庁の岩崎参事官は、辛酸を嘗めながらも、ようやく、仁川港にたどりつき、そこで船便を仕立てて、佐賀県の呼子港まで運んできた。

もちろん、この阿片塊の日本輸送については、当時の日本政府との、打ち合せ了解済みのことであった。日本政府としては、厚生省を主務官庁として、その阿片受け入れを「閣議決定していたのであった。日本側の担当官は、当時の、亀山幸一厚生次官であった。

呼子港へ着いたものの、連合軍の占領下にあった日本では、MPの麻薬取締りが厳しくなり、だ捕される危険が迫ったので、岩崎参事官は、船を高知県大方港へ回したが、神戸で一部船員が阿片を盗んで上陸し、MPに逮捕されるという破目になった。

何しろ、溥儀皇帝も日本に亡命し、その満州帝国再建の資金という予定で出発した輸送隊だけに、本家本元の日本が降伏してしまった現在では、受入れるハズの日本政府が鹿十で横を向いてしまったのだから、岩崎参事官以下の一行は、全く宙に浮いた格好で、いうなれば、二階に上っている間にハシゴを外された形になってしまった。

これを知った頭山秀三、五島徳次郎らの国士たちが「引揚同胞の援護資金」にしようというので、米占領軍の第六軍司令官に交渉をはじめ、その管内である和歌山沖に船を回送させて、幾度かの折衝を重ねたが、第六軍司令官を説得し切れず、ついに一行は船もろとも、MPにだ捕されてしまった。満州、朝鮮の輸送間に暴徒に襲われて、一部を掠奪され、日本政府にソッポを向かれたため、船員の賃金は未払いとなって、またまた一部が船員に盗まれ、米軍に押収された時には、時価約八十億円に減っていたという。

黒幕・政商たち p.180-181 すべて密輸入麻薬によるもの

黒幕・政商たち p.180-181 李金水、李秀峰、王漢勝らの、〝在日麻薬王〟が相次いで検挙され、ヤミ麻薬が品薄になった当時、横浜の一部で街頭まで中毒者があふれ出したことがあった。
黒幕・政商たち p.180-181 李金水、李秀峰、王漢勝らの、〝在日麻薬王〟が相次いで検挙され、ヤミ麻薬が品薄になった当時、横浜の一部で街頭まで中毒者があふれ出したことがあった。

日本人、流通機構の中の役割り

当時は、すでにポツダム勅令で、麻薬取締規則が公布されていたので、岩崎参事官以下の輸送隊の連中は、麻薬の密輸となって、罪が大変に重くなる。折角、国のために働らいて、麻薬密輸犯の汚名を着せられては、というので、頭山秀三らの運動が効を奏し、米軍の軍事裁判にかけられずに、日本側に身柄を引取り、単なる密輸事件として裁判を行い、一行は数カ月の服役ののち、仮釈放の形で出獄することができたのであった。——そして、時価八十億円という阿片は、米軍に没収されたまま、その消息を絶ったのであった。

時価八十億円の阿片塊! これが末端価格になると、八百億にも、八千億にもなるのであろうが、ここで注意しなければならないのは、麻薬は世界各国とも、取締られているため、ヤミ価格が高いのであって、医療用麻薬は決してそんなに高価ではないのだ。すると、満州帝国再興の資金といい、引揚同胞援護資金といっても、これは、麻薬中毒者を需要家としての、密売による収入ということである。

ヤミ市場であるから、需給には敏感である。大量に流せば時価は下落する。ひところ、李金水、李秀峰、王漢勝らの、〝在日麻薬王〟が相次いで検挙され、ヤミ麻薬が品薄になった当時、横浜の一部で街頭まで中毒者があふれ出したことがあった。もし米軍に押収されなかったなら

ば、この莫大な麻薬は、どのようなルートで、どこに流れ出たであろうか。まさか、日本国内で、日本人中毒者を対象として、密売されるわけではなかろうが、外国へ密輸出しても、それが逆輸入されて、日本と日本人とを蝕ばまないと、誰が保証できようか。

麻薬は、このように、国家の意思さえもシビれさせる〝魔薬〟である。武部総務長官、岩崎参事官、亀山厚生次官と、いずれも「官」の字がつく人々である。そして日本人である。満洲帝国と大日本帝国という、二つの国家の意思決定に対して、忠実に、その「国家意思」に従った人々であるが、この終戦秘話ともいうべき、満州国の阿片塊事件は、もう少し調べて、事実を究明しなければならない。関係者のうち、まだ何人かは現存しているハズである。

ポツ勅による麻薬取締規則にもとづいてアメリカの麻薬法を引写しに、麻薬取締法(旧法)が公布され、厚生省麻薬取締官という、新しい官制もしかれた。こうして、戦後の日本には、麻薬撲滅のための二重、三重の治安態勢が整ったハズであったが、事実は、果してどうであったろうか。

ある治安当局では、直接、麻薬事犯の検挙にはタッチしないが、戦後の麻薬事犯がすべて密輸入麻薬によるものであるため、関係者の名前とその系列とを、丹念にひろって、整理を進めていった。いわゆる文書情報である。最近の数字で、年間取引額は四十億円を上回り、中毒者は、常時二十万人を超えることも判明してきた。

黒幕・政商たち p.182-183 中共の日本に対する麻薬攻勢

黒幕・政商たち p.182-183 李金水、李秀峰、王漢勝たちの、上部機構。取締当局はそれを追及した。そして、背後に、ハッキリと中共という、「国家の意思」を認めたのであった。
黒幕・政商たち p.182-183 李金水、李秀峰、王漢勝たちの、上部機構。取締当局はそれを追及した。そして、背後に、ハッキリと中共という、「国家の意思」を認めたのであった。

国内における販売組織は、AからEまでの約五段階。A(扱い量キロ単位)、B(ポンド単位)、C(1/4ポンド単位。この段階で15%程度のブドウ糖が混入される)、D(5グラム単位。さらにまた、15%のブドウ糖を混入する)、E(俗にペーヤと呼ばれる末端密売人。このクラスから中毒者に渡る。5グラム包をさらに二百包に分包し、一包三百円から五百円ほどで売られる)と、組織されている。

クスリの世界では、ポンドというのは慣習で五百グラムをいう。AからEまでの流通の経過を逆算してゆくと、五グラムが十万円で売れる。しかしこの五グラムは15%のブドウ糖含有であるから、麻薬は四・二五グラムしかない。その以前のC段階で、またさらに15%のブドウ糖が混入されるから実質は、約三・六グラムである。従って、B段階のポンド(五百グラム)は、一千四百万円程度ということになる。この簡単な計算でも、麻薬が生産者、もしくは、卸売り業者にとって、どんなに莫大な利益をもたらすか、明らかである。

さる四十一年七月二日付毎日夕刊は、看護婦が病院からリン酸コデイン約百グラムを盗み出して、暴力団に流していた事件を報じているが、この記事には時価約一千万円と書かれている。また、同読売によると、公定価格二万四千四百円とある。すると、三・六グラムで約八百七十八万円。これが前記流通機構にのると、約十万円になるのだから、ヤミ麻薬の密売の実態が判断されよう。

 さて、当局では、この流通機構の各ランクに、検挙者をあてはめていってみると、D、Eクラスは、ほとんど全く、日本人であり、暴力団員、もしくは、中毒者であったが、A、B、Cクラスは、例外を除いては、すべて中国人であることに注目した。

A級幹部の背後に中共政府

もちろん、これはすでに常識であるといっても良いであろう。第一線当局は、検挙した被疑者を、徹底的に追及して、彼に麻薬を提供した人物、機関、組織を自供させた。さきの流通機構における、キロ単位の扱量をもつAクラスの連中が、〝麻薬王〟と新聞辞令を冠された、李金水、李秀峰、王漢勝たちである。このAクラスの上部機構は、日本国内にはない。取締当局はそれを追及したのである。そして、その結果、背後に、ハッキリと中共という、「国家の意思」を認めたのであった。

 中国大陸が麻薬の生産地として、世界的に知られているのも、常識である。しかし、生産地であるということは、必らずしも、その生産と販売とに、政治目的が伴っているということにはならない。だが、治安当局の、戦後二十年に及ぶ、麻薬取締の実績と、その資料の整理とが、中共の日本に対する麻薬攻勢を実証したのであった。

 点は検挙中国人である。治安当局では、この点と点を結ぶ線を求めた。警察官調書や検察官

調書、麻薬取締官調書の、片言隻句をつづり合わせて、線が結ばれた。こうして、別表のように、中共政府の「国家意思」をみつけだしたのだった。

黒幕・政商たち p.184-185 沈士秋、麻薬スパイだった

黒幕・政商たち p.184-185 もし、この沈士秋を捕えていれば、名前だけは浮んでおりながら、実体不明だった、麻薬と中共の関係交点にいる、李士華などの重要人物の解明ができたのであった。
黒幕・政商たち p.184-185 もし、この沈士秋を捕えていれば、名前だけは浮んでおりながら、実体不明だった、麻薬と中共の関係交点にいる、李士華などの重要人物の解明ができたのであった。

点は検挙中国人である。治安当局では、この点と点を結ぶ線を求めた。警察官調書や検察官

調書、麻薬取締官調書の、片言隻句をつづり合わせて、線が結ばれた。こうして、別表のように、中共政府の「国家意思」をみつけだしたのだった。

警視庁外事課が、ある一人の中国人を追っていた。令状の容疑は、麻薬取締法違反である。その名前は沈士秋。ようやく追いつめて、都内下町のアジトに係官たちが踏みこんだ。

沈士秋と目された男は不在だった。しかし、間もなく帰宅するであろうという。二階に上って、何気なく押入れのフスマをあけた係官たちは、アッと叫んだまま、息をのんで立ちつくしていた。

大型の無電機が、押入れ一パイに装置されているではないか。

単なる麻薬の卸売り人、もしかしたら、他にナニかが出てくるかもしれない。過去の経験から、そんな莫然とした期待がないでもなかったが、係官たちは、彼がこんなに大物だとは思いもよらなかった。

麻薬スパイだったのである。アジトに無電局を開設しているのだから、やはり、中枢にいる人物に違いない!

この意外な呑舟の大魚に、流石の、警視庁外事課のヴェテラン刑事たちも、日頃のタシナミを忘れてしまった。アジトの玄関先に、脱ぎ散らされた六足の男靴!

刑事たちは、もっと意外な発見があるかもしれないと、やがて帰宅するであろう沈士秋の逮

捕も忘れて、家宅捜索に夢中になってしまったのである。そして、そのチャンスに、沈は玄関先までもどってきて、異様な雰囲気を察して、キビスを返して逃走した。

警視庁の全国指名手配は、直ちに全警察に行き渡ったが、兵庫県警から連絡すべき、法務省入国管理局神戸事務所へはこの重要手配が届かなかったのだった。港で、人間の出入国を監視するのは、入管事務所の仕事である。沈は、タッチの差で、神戸港から乗船し、国外へ逃走してしまったのであった。

東京で取り逃がした警視庁は、その手配が十分に間に合っているにもかかわらず、兵庫県警と神戸入管との、感情的対立から、またもや、神戸で逃げられたと知って、それこそ、地団駄をふんで口惜しがったのである。

もし、この沈士秋を捕えていれば、今までの、外事、麻薬捜査の積み重ねの中で、名前だけは浮んでおりながら、実体不明だった、麻薬と中共の関係交点にいる、李士華などの重要人物の解明ができたのであった。

黒幕・政商たち p.186-187 暴力団担当官の合同捜査会議

黒幕・政商たち p.186-187 第9章 夜の〝紳士録〟ハイライト これら知能暴力団は犯罪が起ってから捜査するやり方では抑制しきれるものではないので、被害届を出したがらない大会社、市民の暴力追放への関心を呼びさます
黒幕・政商たち p.186-187 第9章 夜の〝紳士録〟ハイライト これら知能暴力団は犯罪が起ってから捜査するやり方では抑制しきれるものではないので、被害届を出したがらない大会社、市民の暴力追放への関心を呼びさます

第9章 夜の〝紳士録〟ハイライト

昭和四十二年。八月二十六日付読売新聞=警察庁は二十五日、東日本の各警察本部暴力団担当官の合同捜査会議を開き、最近の暴力団の動きとその対策などについて協議した。その席上、暴力団への総合対策として、これら知能暴力団は犯罪が起ってから捜査するやり方ではとても抑制しきれるものではないので、被害届を出したがらない大会社、最近低調になった市民の暴力追放への関心などを呼びさますことが論議された。

黒幕・政商たち p.188-189 当日の怒声、罵声のものすごさ

黒幕・政商たち p.188-189 吉川清氏が社長として乗りこんできた。吉川氏は、〝政界の黒幕〟といわれる児玉誉士夫、警察庁指定広域暴力団「錦政会」の稲川角二両氏に〝調停〟を依頼した
黒幕・政商たち p.188-189 吉川清氏が社長として乗りこんできた。吉川氏は、〝政界の黒幕〟といわれる児玉誉士夫、警察庁指定広域暴力団「錦政会」の稲川角二両氏に〝調停〟を依頼した

餌食にされた資生堂

盗まれた〝花椿〟の素顔

そのさい関係者から明らかにされたところによると、化粧品トップメーカーの株式会社「資生堂」が、何と一億七千五百万円もの巨額を、知能暴力団にしてやられ、しかもその後も百万円を恐喝されていながら、どうしても捜査当局に被害を認めず、タカリとグルになって百万円もの横領を働らいた社員の上司を、当局の追及をさえぎって海外出張に出してしまうなど、徹底した捜査非協力ぶりで、「これでは積極的に暴力団を培養しているものだ」と暴力担当官たちの間で、はげしく非難されている。

同社は、独禁法の〝抜け穴〟といわれ、当時の公正取引委員会に疑惑の噂さえ呼んだ「再販制度」に支えられて、値崩れのないボロ儲け営業で好収益をあげている会社だが、それらの利潤が大衆や社会に還元されるどころか、暴力団関係者のウマイ汁となっている現実が明らかにされたわけで、華麗な〝花椿〟のウラ側の〝きたなさ〟に、世の指弾を買っている。

事件というのは、すでに時効となっている昭和三十六年八月ごろのこと。当時英国から原料

を入れていた「モルガン化粧品」というのがあった。このうちのモルガン・ポマードなどは、「養毛料入りで、日常愛用しているうち、白髪も黒くなる」などの宣伝文句で売り出されていたが、もともとがあまり優秀品でなかったため、売れ行きはかんばしくなかった。ところが、このモルガン化粧品が鉛分の含有量が厚生省許可基準を上回っている有毒化粧品であるとして、大手化粧品メーカーたちが連名、協力して、厚生省に「製造許可取消し」を陳情したことからはじまった。

モルガン化粧品本舗では、売れ行き不振からデッド・ストックが莫大な数量にのぼったので、これの一掃と換金を計画し、吉川清氏が社長として乗りこんできた。吉川氏は、〝政界の黒幕〟といわれる児玉誉士夫、警察庁指定広域暴力団「錦政会」の稲川角二両氏に〝調停〟を依頼した。

モルガン化粧品に狙われたのは「資生堂」一社で、一番金をもっておりかつ警察沙汰にしないであろうとの見通しをつけ、「資生堂」に対して、「モルガンの鉛分が多いなどと逆宣伝をして、営業妨害をしたのはどういうわけだ。おかげで売れなくなったのだから品物を引き取れ」と強要、同三十六年八月ごろ築地の料亭に、資生堂森治樹社長(現相談役)、伊藤前社長らの三氏を呼びだし、児玉、稲川両人立会の上、吉川社長から強硬な申し入れを行った。

当日の怒声、罵声のものすごさは、料亭の他の座敷の客まで、シーンとしてしまったほどだ

といわれ、捜査当局に参考人として呼ばれた〝見聞者の一人〟は「それこそ森社長以下三人の恐怖におそわれた姿と顔が、目に見えるようでした」と語っているほどであった。

黒幕・政商たち p.190-191 その実損害は二億を越える

黒幕・政商たち p.190-191 日本観光新聞木村伍六社長(恐喝で起訴ずみ)のオイ木村政彦が経営する「日刊観光」紙広告代理店で、資生堂総務課員山本一郎が(仮名)百万円を横領
黒幕・政商たち p.190-191 日本観光新聞木村伍六社長(恐喝で起訴ずみ)のオイ木村政彦が経営する「日刊観光」紙広告代理店で、資生堂総務課員山本一郎が(仮名)百万円を横領

当日の怒声、罵声のものすごさは、料亭の他の座敷の客まで、シーンとしてしまったほどだ

といわれ、捜査当局に参考人として呼ばれた〝見聞者の一人〟は「それこそ森社長以下三人の恐怖におそわれた姿と顔が、目に見えるようでした」と語っているほどであった。

この「料亭会談」の結果、資生堂のモルガン化粧品デッド・ストック買取りが決定され、モルガン化粧品の販売権買収の形の商行為とされることになった。このデッド・ストックを資生堂側は次々と廃棄処分にしたが、税法上の損金扱いをうけるため、国税庁係官の確認を得たほどであった。

モルガン側から次々に持ちこまれた現品に対して、資生堂が支払った金は総計一億七千五百万円におよび、これにさらに経費をかけて廃棄、焼却を行ったので、その実損害は二億を越えるといわれている。

この情報を入手した捜査当局では、もともと、モルガン化粧品への反対陳情が資生堂一社だけの行動ではなかったら、「料亭」のオドシの証拠を固め得たので、立派な〝恐喝事件〟として捜査をはじめたが、資生堂側の徹底した「商行為で、恐喝被害ではない」という拒否にあい、ついにモルガン一味の追及を断念せざるを得なかった。

ところが、さる四十二年五月、日本観光新聞社の幹部五人の恐喝事件を捜査したところ、同社に資生堂の広告が極めて多いことに疑問をもち、さらに同新聞社の資生堂に対する「恐喝事件」が伏在しているものとみて追及した。

恐喝→広告掲載→入金

その結果、日本観光新聞木村伍六社長(恐喝で起訴ずみ)のオイ木村政彦が経営する「日刊観光」紙専属の広告代理店で、資生堂の広告を扱ったさい、資生堂総務課員山本一郎が(仮名)広告料の半額百万円を横領していることが明らかになった。

当局では、山本が総務課員であることから〝資生堂が簡単に恐喝されるナゾ〟を解明するチャンスとみて、同人の取調べをしようとしたところ、早くも資生堂側では当局の企図を察知したらしく、自社内の横領犯人を告訴したり、クビにするどころか、反対にその上司の五ツ木課長(仮名)に「海外出張」を命じて、アメリカに逃走させ、証拠固めを不能にしてしまった。

「これでは〝会社ぐるみの犯罪〟ともいえる。捜査非協力どころか、捜査妨害だ」との声が第一線捜査官の間におきている。

資生堂では四十二年はじめに社長交代が行なわれ、過去の事情を一番知っている森前社長もまた、五ツ木のアメリカ逃走とキビスを接してパリに旅立っているが、これも、当局の捜査を事前に〝封殺〟する手だとみられている。

再販制度というのは、「再販売価格維持契約制度」といって、販売店がメーカーの指示価格で売るという契約を認めたものである。この独禁法の〝抜け穴〟が認められたのは、当時の小

売市場の販売価格の混乱から、消費者保護を必要とするということだったが、やがて混乱が納ってくると、この特例はかえってメーカー保護の妙味をみせてきて、はじめからこの狙いがあったのではなかったか、とさえいわれてきた。

黒幕・政商たち p.192-193 暴力団のつけこむスキとなる

黒幕・政商たち p.192-193 大正製薬、資生堂、いずれもマスコミの大スポンサーであるため、「広告出稿停止」などのポーズで新聞雑誌をおどし、化粧品、医薬品業界の醜い内幕は、いままでほとんど報道されていない
黒幕・政商たち p.192-193 大正製薬、資生堂、いずれもマスコミの大スポンサーであるため、「広告出稿停止」などのポーズで新聞雑誌をおどし、化粧品、医薬品業界の醜い内幕は、いままでほとんど報道されていない

再販制度というのは、「再販売価格維持契約制度」といって、販売店がメーカーの指示価格で売るという契約を認めたものである。この独禁法の〝抜け穴〟が認められたのは、当時の小

売市場の販売価格の混乱から、消費者保護を必要とするということだったが、やがて混乱が納ってくると、この特例はかえってメーカー保護の妙味をみせてきて、はじめからこの狙いがあったのではなかったか、とさえいわれてきた。

それを示すものが藤山愛一郎経企庁長官時代、中山伊知郎氏を会長として設けられた「物価問題懇談会」の四十一年六月の医薬品、化粧品、石けん、洗剤の四家庭用品についての報告書で指摘された再販制度の弊害がこれを雄弁に物語っている。

同報告書の「再販制度の三大欠点」は、

①流通機構の合理化による利益を消費者に還元していない。

②メーカーのか占化によって価格のこう着状態が起っていても、それを小売価格まで反映させている。

③リベートその他の小売業への過大なサービス、過剰な宣伝広告によって、消費者の利益を害するばかりか、浪費を助長する。

以上の三点に示されるようにさまざまな社会的問題を起すなどの弊害をもたらしているというものである。

そこで、公取委では本格的検討の時期がきたとして、国会に「再販制度規制法案」を提出したが流れてしまったもので、山田公取委委員長は、再提案を公約している。

この再販制度が、大正製薬のかつての目覚ましい大躍進をもたらしたほか、資生堂などの大メーカーにはことのほかの恩恵を与えていた。〝ビタミン戦争〟なども、同制度の招いたものだが、いずれもマスコミの大スポンサーであるため、「広告出稿停止」などのポーズで新聞雑誌をおどし、化粧品、医薬品業界の醜い内幕は、いままでほとんど報道されていない。

関係者の話もそえねばならない。

経済専門誌編集長村田忠氏の話

「化粧品と一口にいうが〝制度品〟と〝一般品〟とがあり、クリームでいえば、前者は八百—千円、後者は百—三百円というほど格差がある。品質そのものにはそれほどの差はないようだ。〝制度品〟というのが、問題の〝再販制〟に指定されている品物のことだ。資生堂はじめ大手メーカーがそれだ。

資生堂の例でいうと、定価千円のうち二百四十円は宣伝広告経費だといわれており、〝花椿〟の発行部数は五百万部ともいう。これらの数字をみても、資生堂の収益が想像されよう。

自由化でマックス・ファクターの〝侵攻〟が心配されたが、さすがにそれを押えたのは資生堂だともいわれている。しかし、その実情も、消費者への経費をおしつけによる高価格という〝アグラかき商売〟の結果だというのだから、皮肉なものだ。

広告宜伝費がぼう大だということが、広告代理店とのナレアイの不正や、暴力団のつけこむ

スキとなる。女性がオシャレをして、暴力団を〝養って〟いるとすれば、これほどの喜劇はあるまい」

黒幕・政商たち p.194-195 東棉側二十万円の現金を出した

黒幕・政商たち p.194-195 素ッパ抜きとお色気で有名な日刊観光が、五月二十二日付の社会面全面を埋めて、「東洋棉花のサギ・政治献金、疑獄化するか」と、派手にやっつけているのである
黒幕・政商たち p.194-195 素ッパ抜きとお色気で有名な日刊観光が、五月二十二日付の社会面全面を埋めて、「東洋棉花のサギ・政治献金、疑獄化するか」と、派手にやっつけているのである

広告宜伝費がぼう大だということが、広告代理店とのナレアイの不正や、暴力団のつけこむ

スキとなる。女性がオシャレをして、暴力団を〝養って〟いるとすれば、これほどの喜劇はあるまい」

資生堂三浦秘書室長の話

「一月ほど前に経理から転任したので横領社員のことも、アメリカ逃走のことも知らない。昔、モルガン化粧品を相当大量に廃棄したことはあるが、これは資生堂の品質保持と同じ意味だ。ウチは固い会社だから暴力団におどされるなどあり得ない」

東棉の〝痛いハラ〟

こうして、日本観光新聞の広告面から、資生堂問題がでてきたのだから、日本観光新聞はさらに追及された。すると、まさに〝因果はめぐる小車〟である。第四章の住宅公団光明池事件の項で述べた、広布産業事件の東洋棉花がでてきたのである。

というのは、現社長香川英史氏が、故池田首相に極めて近く、その強力な推せんの結果、諸先輩を飛び越えて、東京駐在の専務から社長へと栄進したということである。内部情報が伝える〝巻説〟は、香川社長が、池田政権の資金造りに協力していた、その論功行賞の〝社長〟でもあるという。

また、ダイヤモンド社職員録によると、香川社長は昭和四年の入社であるが、副社長は大正十三年入社、専務の一人が大正十四年入社、もう一人の専務が昭和四年の同期であるから、先輩を飛び越えて、社長になったというのも、事実であるとみるべきである。朝日の志賀質問の記事におくれること旬日にして、素ッパ抜きとお色気で有名な日刊観光が、五月二十二日付の社会面全面を埋めて、「東洋棉花のサギ・政治献金、疑獄化するか」と、派手にやっつけているのである。

そしてまた、軌を一つにして同日付の週刊新聞「マスコミ」が、同様に一面全段で、「第二吹原事件か、防衛庁を舞台に詐欺事件」と、やっているが、例のマンション殺人事件(四十年四月十日)で、〝政治的謀殺か?〟と、一時は騒がれた倉地社長の経営していたこの新聞には、派手な扱いのクセに、見出しに「東棉」の文字が一つも出てこないで、逆に、「原告は前科八犯、どちらもどちらの当事者」という、見出しが目立っている。

奇怪な事実というのは他でもない。日刊観光の記者が、この事件を取材にいったところ、東棉側では、二十万円の現金を封筒に入れて出したという。若いこの記者が、出された金の処置に困って、席を立ち、電話を社に入れ、責任者の編集局次長B氏に報告した。記者に与えたB氏の指示内容は判らないが、記者が席にもどってみると、東棉側の相手はいなくなって、テーブルには二十万円の封筒が置き去りにされていた。

黒幕・政商たち p.196-197 C氏が東棉から五百万円取った

黒幕・政商たち p.196-197 後に判明したところによると、出先記者と二十万円を山分けしたのち、B氏は自身で出かけていって、さらに東棉総務部長から五十万円をもらってきた。
黒幕・政商たち p.196-197 後に判明したところによると、出先記者と二十万円を山分けしたのち、B氏は自身で出かけていって、さらに東棉総務部長から五十万円をもらってきた。

記者が席にもどってみると、東棉側の相手はいなくなって、テーブルには二十万円の封筒が置き去りにされていた。

若い出先記者は、やむなくその現金を持って帰社すると、B氏は半分の十万円を、「取っておき給え」と、ポンとくれたという。だが、もちろん、話はそれで終らない。

編集の実力者であるB氏は、平記者で入ってから十余年の社歴があり、肩書こそ局次長だが取締役でもあり、広告、販売にも実績のある勢力家だった。後に判明したところによると、出先記者と二十万円を山分けしたのち、B氏は自身で出かけていって、さらに東棉総務部長から五十万円をもらってきた。

この事実を知った同紙の専務のC氏は、自分をおびやかす勢力をもつ、B氏を斬るチャンスとみたらしい。C氏は直ちに東棉にかけつけ、五十万円を出した総務部長とB記者とを同席させ、合計七十万円の話を対決させた。その結果、事実と判ってC専務はB記者に命じ、即座に五十万円を東棉に返却させ、翌日には、二十万円も返させた上、B氏の責任を追及して、ツメ腹を切らせたのであった。

無念やる方ないのがB氏である。いうなれば、〝恐喝呼ばわり〟されて、七十万円(部下にやった十万円分も負担)を吐き出させられた上、相手の前で面詰されて恥をかかされ、揚句の果ては、それを理由のクビである。編集を握っていたのだから自派系の記者を動員して、C専務を逆捜査した結果、C氏が今度は、東棉から五百万円を取ったという、〝噂〟を握ったから大変。肩書がなくなって一介の浪人とはなったが、そもそも、東棉の〝痛いハラ〟の材料を握

っているB氏である。香川社長に面談して、C氏の書いた五百万円の受取りの写しを要求する段取りとなった。

再び共産党代議士の登場

筆者の調査によれば、B氏のもとには、〝噂〟を伝え聞いた総会屋が数名、「共同作戦で東棉をシボろう」と申しこんできているといわれ、また、同社内の情報では、C専務の受取った金は、合計一千万円とまでいわれている。

朝日記事の続報は、週刊誌では、六月五日付の新潮が「経済」の一頁もので、朝日記事をなぞった程度。文中の談話から判断すると、告訴人の佐々木氏には会ってないようで、防衛庁政務次官で、〝某高官〟に擬せられている、自民党井原岸高代議士、被告訴人の東洋殖産岡林氏と、東棉豊田不動産部長らの話をまとめ、談話には登場しないが、告訴状については、質問者の志賀義雄代議士について取材しているようである。

週刊誌では「新潮」だけで、小新聞が前述の通りの、「マスコミ」と日刊観光。この二つの小新聞の記事を見くらべると、「マスコミ」が、「東棉」を見出しに一字も加えず、「井原代議士が介在か」、「政務次官室で取引」、「オマケに工作費も追加」、「政治への不信に拍車」と続いて、「原告は前科八犯」に終っているのが面白い。日刊観光の「東棉」ばかりの見出しと

極めて対照的で、「原告は前科八犯」に対応して、最後に「東棉側は逆にフンガイ」の見出しで終っており、第一弾の記事のうちから、「東綿」が姿を消している。週刊紙「マスコミ」と対比してみると、興味深い。