在日ソ連代表部二等書記官ユーリ・アレクサンドロヴィッチ・ラストヴォロフ」タグアーカイブ

赤い広場ー霞ヶ関 p004-005 『LIFE』誌のラストヴォロフ手記を文春が転載

赤い広場ー霞ヶ関 4-5ページ 文芸春秋に掲載されたラストヴォロフ手記は一部が削除されていた
赤い広場ー霞ヶ関 About the note of Jurij Aljeksandrovich Rastvorov from the LIFE

つまりそれぞれに思想的背景があるか、もしくは集団的威力のある犯

罪の摘発をする係である。公安三課の中は、さらに欧米人、朝鮮人、中国人と三つの係に分れて、二百数十名の私服警官が、情報、捜査、翻訳などの仕事を分担している。

だが、いくら外人が関係していても単純な殺人、強盗、サギなどの刑法犯は刑事部捜査第三課にまかせており、出入国管理令、外国人登録法、刑事特別法の三法令に拠って、これら思想的犯罪を追っているのである。

もちろん捜査技術として、一般刑法や外国為替、外国貿易管理法などの事件も扱うことはいうまでもない。

戦後、「外事警察」という言葉がなくなったが、二十七年四月二十八日の独立以来、再びこの言葉が用いられはじめてきた。『外事警察なくして何の独立国ぞや』というところである。だから、ここの課員たちは誇りにみちて働らいている。

二 削除されたラ氏手記 ここまで書けばすでにお分りになったことだろう。この原稿というのは、文芸春秋誌三十年二月号に発表された「日本をスパイした四年半」という、元在日ソ連代表部二等書記官ユーリ・アレクサンドロヴィッチ・ラストヴォロフ氏の手記である。これは実はアメリカのグラフ雑誌「ライフ」の転載である。それは二十九年十一月二十九日号に第一回「赤色両巨頭の権力争奪戦顚末記――スターリンの死後表面化したマレンコフ、ベリヤ武装対立の大詰」、同十二月六日号に第二回、「極東における赤の偽瞞と陰謀――ロシヤ人が共産主義の武器として、いかに脅かし手段を用いたかを、元のスパイが暴露する」、同十二月十三日号に第三回、「赤色テロよ、さようなら」と題して揭載されている。

ところが、これはライフ誌のアメリカ国内版であって、外国へ出している国際版では若干変ってきている。従って、日本で市販されている国際版では、三十年の一月十日、十七日、二十四日の三号にわたって連載されているが、内容はある部分がまったく削除されてしまっているのだ。

このライフ誌のアメリカ版に手記が発表された当時、外電はそのつど内容を報じている。これを日本の新聞でみてみると、昨年十一月二十五日付読売には「ニューヨーク特電(AFP) 二十四日発」で第一回目の分を、十二月二日付產経には「 ニューヨーク一日AP=共同」で第二回分、十二月九日付産経には「ニューヨーク八日=UP」で第三回分の内容要旨が報じられている。

ラ氏はこの第二回で、その日本に対する工作の内容を明らかにしたのだ。この部分を文芸春秋誌でみると、「日本人をスパイに買収」(二月号一九八頁)という見出しがついている。これは原文では脅喝で動かされた新聞記者」となっている点が違う。参考までに文春の記事を引用 すると、

赤い広場―霞ヶ関 p034-035 米人パーミンがクリコフにつきまとう。

赤い広場―霞ヶ関 p.34-35 米人パーミンがクリコフにつきまとう。
赤い広場ー霞ヶ関 p.034-035 An American, Parmin, was dogging Krikov.

クリコフは以上のことをソ同盟政府に報吿すると共に、その帰国を促進させるため、できるだけの措置をとるよう依頼した。一力月以上前、代表部員ラストヴォロフが忽然と失踪したこと、及びクリコフの声明にのべられたような事実は、在日アメリカ諜報員が犯罪的な目的をもって、ソ同盟市民に対しほしいままに、挑発行動をとっていることを示している。代表部は、在日ソヴエト市民に対するアメリカ諜報部の挑発行動を取締るため、日本当局が適当な措置をとる義務があると考える。

早くもCIAと覚しき米国秘密機関の手が伸びていたのであった。この事件については私自身は直接関係していないので、週刊読売二十八年三月二十一日号をみてみる。

二月二十四日、元ソ連代表部ルーノフ参事官は、札幌入管事務所を訪れ、植田所長に『クリコフを仮放免のまま旭川におくのは、引致されるおそれもあるから、札幌に身柄を移し、強制収容のうえ保護を与えてほしい』と申入れた。

これらのただならぬ言葉がほのめかしている事実、それが判決前後クリコフ船長の周辺に突然現われた二人の怪米人の存在なのである。

二月十六日午後八時頃。クリコフは宿舎旭川ニュー北海ホテルのロビーで休んでいた。と、そこへ派手な緑のダブル背広を着込んだ三十五、六、中肉中背、面長のアメリカ人らしい一外人が現われ、 クリコフの肩を叩き乍らロシヤ語で挨拶をかわし、談笑していたが、そのまま自室三十五号室にクリコフを連れ込んだ。

夜おそくまで二人が替る替る酔った声でロシヤ民謡を歌うのが、ドアの外に聞えていた。そして飲み明した十七日午前四時には連れ立ってハイヤーに乗り、市内某特飲店から女二人を連れホテルに引揚げた。突然現われたこの怪米人の行動を怪んだ、クリコフ付添いの日共党員が、ホテルの宿帳を調ベてみると、アルバート・パ—ミン(ALBERT PARMIN)宿所連絡先AFO500=電話57・8507 勤務先U・S・ARMYと書かれてあった。

この日からこのパーミン氏はずっとクリコフに付きまとい、更に同日夜にはエドワード・マーチンと称する米人が現れてクリコフと酒食を共にした。

クリコフ付添いの日共上川地区委員会山口清さんはこれについて『数回にわたって「ソ連代表部は君を見放している。ソ連からさえ見捨てられて一体どうする気だ。アメリカに行く気があるなら飛行機で連れて行ってやる。家は準備してある」と持ちかけ、誓約書への署名を迫った。そして金に窮しているクリコフに規金一万二千円を与え、酒、女、金でクリコフを亡命させ、反ソ宣伝工作を行わせるつもりだったのだ』と語っている。

国警や札幌入管など治安当局も、最初は単なる観光客を日共が神経質に騒いでいるものと、見ていたらしいが、やがて、パーミン氏が日露英三国語をいずれも巧みに話すことや、 57・8507という電話の所在地が東京都千代田区霞ヶ関三ノ二、キャンプ東京であるなどの点に疑問をもち、それとなくクリコフの身辺に注意を向けるようになっていた。