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雑誌『キング』p.119下段 幻兵団の全貌 ファシズム教育

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.119 下段
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.119 下段

がら、私が幼年学校、士官学校と純粋のファシズム教育をうけていること、現在は民主運動の指導者格ではあるが、将来階級制の強調に伴って脱落せしめられることを予期していること、などを理由に拒みましたが、少尉はかえってそれが好都合であり、万一他の日本人に知れても、彼(私)は出身があんなだから取調べをうけているのだろうとみられて危険性がないし、ファシズムにこりた人間は信頼するに足るのだなど申して、はては死の脅威をもひらめかしました。

その後は平均二カ月に三回ほどの割で、風のように来たり、風のように去る通訳と二人だけの少尉に、窓に鉄格子、二重扉という密室に呼び出されました。約束の時間に三十分おくれても不忠実呼ばわりされて脅かされたこともあり、調査に熱意をかくといわれ、裏切る気かと迫られたこともありました。その当時の暗い気持ち、板ばさみの境地は、その人ならでは分からぬ、不気味なものでした。(中略)

果たして帰れるか、他に送られるか、言い知れぬ不安の何日か、その時、突然列車の中央から現れたのはエルマーク少尉であったのです。小蔭に呼ばれて『ナホトカまで車中の動静に注意して、旧歴を暴露する者や、反ソ的言辞を弄した者を速やかに報告せよ。任務はナホトカにて乗船

雑誌『キング』p.119中段 幻兵団の全貌 ソ連内務省に協力

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.119 中段
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.119 中段

何も与えられずに収容所に帰ってきた。

五、E氏の場合(書簡)

E氏(今泉丈彦氏、二十四歳、元見習士官、幼年学校、陸士卒、会社員、東京都世田谷区東玉川、タイセット地区より二十四年に復員)

彼の地では二十三年二月以来、帰還の日までラーゲル内民主委員をつとめてきましたが、二十四年正月半ば、NKのエルマーク少尉なる者に呼び出され、誓約書とさらに八項目にわたる内容についての情報提供を強要されました。実はそのエルマーク少尉も二十三年秋に収容所に配属されてから、個人的にも親しく正月の休みには遊びに行ったほどで、かつ彼が独身で炊事の面倒もみてやっている仲でした。

誓約書をとられる前、つまり元旦すぎて直ちに呼び出されて、半紙三枚ほどに『現在の世界の二大勢力について』『天皇制支配機構について』『収容所内の民主運動について』の三つのテーマで所感を書くべく命ぜられたこともありました。その後呼び出されて、少尉はおもむろに、ソ連邦内務省への協力を要求したのです。平素の親しさは何処へやら、その時の彼の冷たい態度は、驚駭の淵に突っ込まれた私に、ちゅうちょなく承諾を迫りました。私は当惑の色を浮かべな

雑誌『キング』p.119上段 幻兵団の全貌 諜報業務に協力

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.119 上段
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.119 上段

この日は意外にも四人の将校がおり、モスクワの大佐というのが取調べに当たった。前日の大尉と少尉のほかに、霜降りの詰襟に乗馬ズボンの男がいたが、何者か分からなかった。この男だけは全く沈黙を守っていた。

政治的な話題からはじまって、履歴、収容所内の状況、情報勤務の状況など、詳細に取調べをうけ、さらに続いて一日おきに二十日、二十二日と呼び出された。

二十二日には、諜報業務に協力しないかといわれ、ついに誓約書を書いた。

白西洋紙の美濃判の紙にペン書きしたが、深夜の一時ごろ終わった。大佐は握手を求めて、砂糖湯、鮭カン詰、カルバサ(腸詰)、リビョーシカ(ジャガイモ料理)、黒パンなどを御馳走してくれた。金は一〇〇ルーブルもらった。

翌々二十四日に再び大佐の調べ室に呼び出されたので、何事だろうと思って行くと、大佐は厳粛な態度で、

『Dは戦犯事実なきことを宣言する。近日中に釈放を許可する』

と、誓約書の一件など全く知らないような顔で、私の戦犯容疑が晴れたという判決を下したのだった。そのころ、私の写真はすでに調べ室で撮影済みだった。

私は翌々二十六日に釈放となり、スパイ命令は