最後の事件記者 p.068-069 『下腹に力を入れ、歯を喰いしばれ!』

最後の事件記者 p.068-069 十九か二十才のその班長は、それこそオロオロ声で泣きじゃくりながらも、一点を凝視しながら立っている私に、なお、帯革ビンタを振いつづけていた。
最後の事件記者 p.068-069 十九か二十才のその班長は、それこそオロオロ声で泣きじゃくりながらも、一点を凝視しながら立っている私に、なお、帯革ビンタを振いつづけていた。

私の教育班長は、埼玉出身の飯田伍長。志願で入隊して下士候隊を卒業したての、十九才ばかりの、それこそ火の玉のように張り切った男だった。もちろん、私より

数年も若いのだ。

『三田候補生。下腹に力を入れ、両脚を開け。眼を閉じ、歯を喰いしばれ! 何で呼ばれたか判っているか。人が見ている、見ていない、それによって、行動が変ってよいか』

『………』

『お前はやがて将校になる兵隊だ。将校とは皇軍の根幹だ。心にやましくして、部下を率いられると思うか』

『心の弱い者には、班長はこのような教育はしない。心の強い者には、強い教育が必要なんだ!』

飯田伍長は激しい言葉でそう叫ぶと、身構えた。カチャと、帯革のサンカン(バックルというか、尾錠というか)が鳴った。私は眼をつむったまま、これは大変だゾと心で身構えた。眼を傾けないようにギュッとつぶり、ホオの肉をちぢめて、口の中を歯で切らないように力を入れた。

ビシリーッ、あの幅広の兵隊バンドが、私の下アゴに喰い入ると、その先のサンカンが反対側の首すぢにビシッと当る。班長がバンドを引ッ張ると、よろめく私は、たちまち次の一撃を喰って立止る。ビシリーッ、ビシリーッ。

私の耳と、眼を、故意にさけているその叩き方に、班長の〝愛情〟が感じられて、私は冷静に

眼を見開いた。背の高い私に、班長は躍り上るような感じで、帯革を振う。だが、その両眼からは、大粒の涙がさんさんと流れ出ているではないか。

『三田、覚えていろ! 強い奴には強い教育が必要なンだゾォ!』

十九か二十才のその班長は、それこそオロオロ声で泣きじゃくりながらも、一点を凝視しながら立っている私に、なお、帯革ビンタを振いつづけていた。——この男も、南方に転戦して連隊と一緒に、あの焔のような生命を消してしまったと聞いている。

この松木次長には、ただの一度だけれども、教官らしく教えられたことがある。兵器の部分輸送の包装紙として、古新聞の供出運動が行われた。私はその記事の中で、「一世帯あたり三十枚の割当も、〝古新聞も兵器だ〟の合言葉に応じて……」と書いたものである。

第一夕刊のその記事には、〝古新聞も兵器だ〟という見出しが使われていた。インクの香も快よい刷り上りの夕刊をみて、松木次長はいった。

『見出しに使える言葉を、原稿の前文に入れるのだ。それが原稿の優劣さ』と。

ニコリともしないこの一言が、松木次長の教育らしくない教育の中での、たった一度だけの教育らしい教育だった。