最後の事件記者 p.070-071 「大本営報道部で会おうな」

最後の事件記者 p.070-071 今度こそ最後だと思った。ソ軍戦車へは一兵が一台。五発の集束手榴弾を抱いて飛びこみ、無理心中をはかるだけの戦法だ。
最後の事件記者 p.070-071 今度こそ最後だと思った。ソ軍戦車へは一兵が一台。五発の集束手榴弾を抱いて飛びこみ、無理心中をはかるだけの戦法だ。

恵まれた再出発

ソ連軍を迎えて

八月十五日。私たちは意外にも北支から満州へ転進して、すでに満ソ国境に布陣していた師団主力へ追及できず、新京に止まっていた。すでにソ軍は満領へ侵入を開始していたので、私たちの大隊は新京防衛部隊に編入された。

八月十四日の命令で、明十五日未明、有力なるソ軍戦車集団が、新京南郊外へ来襲するというので、各隊はそれぞれ徹夜で陣地構築に努めていた。私の隊は、全満随一の文化設備を誇った錦ヶ丘高女に宿営し、日本間の作法室で、金ビョウブに抹茶茶碗でハンゴウ飯を食べたりして、最後の日本気分を味ったのち、タコツボに潜んだ。

湧き水が冷たく尻をぬらす。今度こそ最後だと思った。ソ軍戦車へは一兵が一台。五発の集束

手榴弾を抱いて飛びこみ、無理心中をはかるだけの戦法だ。ジッと前方の闇をすかしてみる。地に耳をつけて、キャタピラの轟音を聞きとろうとする。何と死への時間の空しく退屈だったことか。

読売同期の秀才、大阪読売社会部次長の青木照夫とは、東京駅で手を握り合って、「大本営報道部で会おうな」と別れた。身に軍服をまとおうとも、新聞記者でいたかったのである。私としても、再び社へ帰って、鉛筆を握れる日があろうとは、期待もしてみなかったことである。

短かいながらも、新聞記者になって、精一杯働らいたのだから、もう思い残すことはなかった。あとは、軍人として祖国のために死んでゆけることを、わずかに誇りとしなければならないことが、残されているだけだ。

ジッと回想にふける。南の空はまだ暗い。銃声一つ、しわぶき一つ聞えない静寂だ。この台地一帯に散らばった、三田小隊五十四名が、それぞれに、考えにふけっているのだろう。咋夜、錦ヶ丘高女の教員室で、電話帖をめくって、読売新京支局を探し出した。

一言、別れの言葉を本社に、そして母親に托したかった。もしかしたら、社会部の先輩が支局長でいるかも知れぬ。受話器を耳にあてて、胸をドキドキさせて待っていたが、リーン、リーン

と、空しくコーリングが鳴るだけ。時間に余裕があれば、馬を飛ばしてでも行ってみたかった。