最後の事件記者 p.110-111 ソ連引揚者の〝代々木詣り〟

最後の事件記者 p.110-111 私が日大で三浦逸雄先生に教えられた最大のものは、資料の収集と整理、そのための調査、そして解析である。
最後の事件記者 p.110-111 私が日大で三浦逸雄先生に教えられた最大のものは、資料の収集と整理、そのための調査、そして解析である。

その彼女と、せまい道でバッタリだから、私があわてたのもムリはない。しかし、彼女はすぐには気付なかった。

いぶかしげに、スレ違ってからも、何度も何度も振り返り、ついには立止って、考えこむ有様。逃げ出したら怪まれて、追いかけられたら大変と、何も知らない妻をせかせながら、全神経を背後に配って、足早やに立去る時の気持ちは、夢の中で逃げ出すようなもどかしさであった。

何しろ、この事件以来、私はすっかり半陰陽のオーソリティになって、法医学に興味を抱きはじめたのだ。

何といっても、サツ廻りというのは、一国一城の主。これほど記者として面白い時代はないのに、サツ種のスクープが各社とも少しも見当らないのが不思議でならない。これならば、サツ廻りなどやめてしまった方が、人の使い方としては効果的である。

私の名はソ連スパイ!

〝代々木詣り〟の復員者

私が日大で三浦逸雄先生に教えられた最大のものは、資料の収集と整理、そのための調査、そして解析である。

それが実際に成功したのが、ソ連引揚者の〝代々木詣り〟というケースだった。上野方面のサツ廻りであった私は、上野駅に到着する引揚列車の出迎えを、かかさずにやってきていた。

そこでは婦人団体よりもテキパキと、援護活動を奉仕している学生同盟の、それこそ献身的な姿がみられた。ところが、その学生の一人が、ついに殉職するという、悲惨な事件が起きたのである。

二十三年六月四日朝八時ころのこと。