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新宿慕情 p.012-013 目次(つづき) 事件記者と犯罪の間 最後の事件記者

新宿慕情 p.012-013 事件記者と犯罪の間 目次(つづき) 最後の事件記者 目次
新宿慕情 p.012-013 事件記者と犯罪の間 目次(つづき) 最後の事件記者 目次

事件記者と犯罪の間

その名は悪徳記者
特ダネこそいのち
権力への抵抗
根っからの社会部記者

最後の事件記者

我が事敗れたり
共産党はお断り
あこがれの新聞記者
恵まれた再出発
サツ廻り記者
私の名はソ連スバイ!
幻兵団物語
書かれざる特種
特ダネ記者と取材
「東京租界」
スパイは殺される
立正佼成会潜入記
新聞記者というピエロ

あとがき

最後の事件記者 目次

最後の事件記者 目次
最後の事件記者 目次

目次

はしがき

我が事敗れたり

共産党はお断り

あこがれの新聞記者

恵まれた再出発

サツ廻り記者

私の名はソ連スパイ

幻兵団物語

書かれざる特権

特ダネ記者と取材

「東京租界」

スパイは殺される

立正交成会潜入記

新聞記者というピエロ

あとがき

最後の事件記者 p.110-111 ソ連引揚者の〝代々木詣り〟

最後の事件記者 p.110-111 私が日大で三浦逸雄先生に教えられた最大のものは、資料の収集と整理、そのための調査、そして解析である。
最後の事件記者 p.110-111 私が日大で三浦逸雄先生に教えられた最大のものは、資料の収集と整理、そのための調査、そして解析である。

その彼女と、せまい道でバッタリだから、私があわてたのもムリはない。しかし、彼女はすぐには気付なかった。

いぶかしげに、スレ違ってからも、何度も何度も振り返り、ついには立止って、考えこむ有様。逃げ出したら怪まれて、追いかけられたら大変と、何も知らない妻をせかせながら、全神経を背後に配って、足早やに立去る時の気持ちは、夢の中で逃げ出すようなもどかしさであった。

何しろ、この事件以来、私はすっかり半陰陽のオーソリティになって、法医学に興味を抱きはじめたのだ。

何といっても、サツ廻りというのは、一国一城の主。これほど記者として面白い時代はないのに、サツ種のスクープが各社とも少しも見当らないのが不思議でならない。これならば、サツ廻りなどやめてしまった方が、人の使い方としては効果的である。

私の名はソ連スパイ!

〝代々木詣り〟の復員者

私が日大で三浦逸雄先生に教えられた最大のものは、資料の収集と整理、そのための調査、そして解析である。

それが実際に成功したのが、ソ連引揚者の〝代々木詣り〟というケースだった。上野方面のサツ廻りであった私は、上野駅に到着する引揚列車の出迎えを、かかさずにやってきていた。

そこでは婦人団体よりもテキパキと、援護活動を奉仕している学生同盟の、それこそ献身的な姿がみられた。ところが、その学生の一人が、ついに殉職するという、悲惨な事件が起きたのである。

二十三年六月四日朝八時ころのこと。

最後の事件記者 p.114-115 『何? スパイだって?』

最後の事件記者 p.114-115 ソ連側では、引揚者の中にスパイをまぎれこませて、日本内地へ送りこんでいるのです。
最後の事件記者 p.114-115 ソ連側では、引揚者の中にスパイをまぎれこませて、日本内地へ送りこんでいるのです。

早速、引揚者の一人、という署名の投書がきた。

「貴紙に、先月既に八百名、という見出しで、共産党の引揚者に対する活動が、まるで犯罪を行っているように、デカデカと書かれていましたが、あれはいったい、どういうことなのですか? 云々」

私はその人に対して、叮寧な説明の返事を出した。「どうして犯罪のような記事だと、お考えになるのですか。立派な社会現象ではないですか」と。

やがて、この〝代々木詣り〟は事件となって現れてきた。上野駅での、肉親の愛の出迎えをふみにじる、すさまじいタックル、女学生の童心の花束は投げすてられるという騒ぎだ。そして、京都駅での大乱斗、舞鶴援護局でのストなどと、アカハタと日の丸の対立まで、何年にもわたっての、各種の事件を生んだ、そもそもの現象だったのであった。

私の名はソ連スパイ

この一件が、私の新聞記者としての能力が、竹内部長に認められるキッカケだった。私は、その記事のあとで、「部長だけの胸に納めておいて頂きたいのですが、調査の許可を頂けませんか」と、申し出た。

『…実は、ソ連側では、引揚者の中にスパイをまぎれこませて、日本内地へ送りこんでいるのです。それが、どのような規模で、どのように行なわれており、現実にどんな連絡をうけて、どんな仕事をしているかを、時間をかけて、調べてみたいのです』

『何? スパイだって?』

『ハイ。きっと、アメリカ側も、一生懸命になって、その摘発をやっているに違いないと思います。米ソの間にはさまれて、日本人は同朋相剋の悲劇を強いられているに違いないと思います。だから、大きな社会問題でもあるはずですし、戦争が終ってまだ数年だというのに、もう次の戦斗の準備がはじまっていることは、日本人にも大きな問題です』

『それで、調べ終ったら、どうするつもりだね』

『もちろん、書くのです。書き方には問題があると思いますが!』

『書く? 新聞の記事に? ウン。書く自信があるか』

『ハイ。私は新聞記者です』

『ウーン。よし。危険には十分注意してやれよ』

部長は許可してくれた。それから、私のソ連スパイ網との、見えざる戦いがはじまったのであった。もっとも、すでに私には、相当程度のデータは集っていたのである。何故かといえば、例の処女作品「シベリア印象記」で集ってきた投書について、消息一つない各個人の在ソ経歴を調べていたことや、「代々木詣り」一ヵ月のデータの中から、めぼしいものが浮んでいたのである。

だが、それにもまして、私自身が、いうなればソ連のスパイであったからだ。