最後の事件記者 p.136-137 シベリアで魂を売った幻兵団

最後の事件記者 p.136-137 データは完全に揃った。談話も集まった。私たちは相談して、このスパイ群に「幻兵団」という呼び名をつけたのであった。
最後の事件記者 p.136-137 データは完全に揃った。談話も集まった。私たちは相談して、このスパイ群に「幻兵団」という呼び名をつけたのであった。

私の場合は、テストさえも済まなかったので、偽名も合言葉も与えられなかったが、他の多くの人は、東京での最初のレポのための、合言葉さえ授けられていた。

例えば、例の三橋事件の三橋正雄は、不忍池のそばで「この池には魚がいますか」と問われて、「戦時中はいましたが、今はいません」と答えるのが合言葉であった。

ラストヴォロフ事件の志位正二元少佐の場合は、通訳が日本語に学のあるところを示そうとして、万葉の古歌「憶良らはいまはまからむ子泣くらむ、そのかの母も吾をまつらむぞ」という、むつかしい合言葉だった。そして、自宅から駅へ向う途中の道で、ジープを修理していた男が「ギブ・ミー・ファイヤ」と、タバコの火を借りられた。その時、その白人は素早く一枚の紙片を彼のポケットにおしこんだ。

彼があとでひろげてみると、金釘流の日本文で「あなたが帰ってから三年です。子供たちもワンワン泣いています。こんどの水曜日の二十一時、テイコク劇場ウラでお待ちしています、もしだめなら、次の水曜日、同じ時間、同じ場所で」とあった。子供がワンワン泣いているというのが、さきの万葉だったのである。

また、「あなたは何時企業をやるつもりですか」「私は金がある時に」とか「私はクレムペラーを持ってくることができませんでした」と話しかける人が、何国人であっても連絡者だ、と教えられたのもある。

データは完全に揃った。談話も集まった。私たちは相談して、このスパイ群に「幻兵団」という呼び名をつけたのであった。そして二十五年一月十一日、社会面の全面を埋めて第一回分、「シベリアで魂を売った幻兵団」を発表した。それから二月十四日まで、八回にわたって、このソ連製スパイの事実を、あらゆる角度からあばいていった。

大きな反響

反響は大きかった。読者をはじめ、警視庁、国警、特審局などの治安当局でさえも、半信半疑であった。CICが確実なデータを握っている時、日本側の治安当局は全くツンボさじきにおかれて、日本側では舞鶴引揚援護局の一部の人しか知らなかった。

『デマだろう』という人に、私は笑って答える。

『大人の紙芝居さ。今に赤いマントの黄金バットが登場するよ』

紙面では、回を追って、〝幻のヴール〟をはがすように、信ぴょう性を高めていった。