最後の事件記者 p.174-175 人の名前と顔を記憶する能力

最後の事件記者 p.174-175 私はそこで一計を策した。兵隊の身上調査書を熟読したのだ。家庭の事情がどうで、性格はどうだ、ということを、三晩かかってほとんど覚えてしまったのである。
最後の事件記者 p.174-175 私はそこで一計を策した。兵隊の身上調査書を熟読したのだ。家庭の事情がどうで、性格はどうだ、ということを、三晩かかってほとんど覚えてしまったのである。

これも、「これはイケる」という、ニュース・センスと、そんな話を聞きこめるニュース・ソースとが、両々相俟っていれば、極めて簡単なことである。私は、役人に事件の書類をすべて見

せてもらった、という記憶がない。やはり、それほど役人は、秘密を守る義務に対して忠実である。

従って、役所の机の中をガサったり、書類を盗み出したりといった、非合法取材の経験はない。ただ、私は友人に多く恵まれて、いろんな噂話を聞ける立場にあった。特ダネのヒントは、すべて、このように民間人から得るのであった。

あとは、心理作戦である。第一、私は人の名前と顔を記憶する能力に恵まれていた。恵まれていたというよりは、努力して後天的に築きあげた才能である。

私が保定の予備士官学校を卒業して、晴れて見習士官となり、原隊に帰ってきた時のことである。つい一年ばかり前、初年兵として風呂で背中まで流してやった連中が、今度は部下である。

軍隊はメンコの数といわれる。六年兵までがいる北支の野戦部隊だから、二年兵の見習士官などが、大きな顔のできるハズがないのが当然である。私はそこで一計を策した。

中隊の事務室へ行って、兵隊の身上調査書を熟読したのだ。家庭の事情がどうで、性格はどうだ、ということを、三晩かかってほとんど覚えてしまったのである。もちろん、二百名余りの全員が覚え切れるものではない。各年次の代表的人物をまず覚えたのである。

その効果は適メンであった。学科をやっている時、名前を覚えている兵隊が、居ねむりするのを待つ。或は他所見でもよい。すると私は、注意を与えるのだが、その時に「オイ、〇〇上等兵、眠ってはいけない」と、名指しでやるのだ。

あるいは、手紙の検閲で、母親が病気だということを知った兵隊は、営庭でスレ違う時や、歩哨勤務についているのを、巡察で廻った時に、呼び止めて、「〇〇一等兵、お母さんの病気はその後どうだ」とやったのだ。或は「××兵長、今日は誕生日だナ」と。

この心理作戦の効果は絶大であった。「今度の見習の奴は、どうして俺のことを知ってるのだろう」といった話がでて、尊敬の念を集め得たのであった。それも、着任して数日のことである。私は、それこそ夜もねないで、写真と身上調査書とを見くらべては、覚えこんでいたのである。

この時以来、私は人の名前と顔を覚える力がついたようである。それに、演劇青年時代のオカゲで、芝居がうまいのである。演伎がうまいということは、その役柄の心理状態になりきることである。それには、平常からの人間心理への勉強が怠られない。

特ダネ記者ということは、心理作戦の遂行者ということだ。役人という人種は、理詰めの仕事

をしているので、警察での取調べに一番弱いといわれる。理クツもハチの頭もないような人種ほど、口が堅いという。義理人情の世界に生きる人たちである。