読売梁山泊の記者たち p.118-119 伊達男そのもののハラチン

読売梁山泊の記者たち p.118-119 大ゲサにいうならば、そのバナナのスジはピタンという、大きな音を立てて、原四郎のホッペタにひっついた、感じであった。それに気付いて、みんなは、爆笑しようとした。
読売梁山泊の記者たち p.118-119 大ゲサにいうならば、そのバナナのスジはピタンという、大きな音を立てて、原四郎のホッペタにひっついた、感じであった。それに気付いて、みんなは、爆笑しようとした。

無言で促して、われわれの部屋に入る。薄暗い電燈の六帖間。〝女優〟サンが現われて、演技を始め

た。型通りに、まずは、皮をムいたバナナの輪切り。つづいて、ユデ玉子のカラをとって、玉子飛ばしである。

事件は、この瞬間に起こった! といっても、「御用だ!」と、刑事たちが、乱入してきたのではない。なにしろ、本庁保安課の、〝官許〟だからである。

彼女が、ヤッとばかりに、二メートルほども、気合とともに、ユデ玉子を飛ばした時、内部に残っていたバナナのスジが、玉子の肌に付着して飛び出し、ハラチンのホッペタにピタンと、ひっついたのである。

すでに紹介したが、長身にダブルの背広を着こなし、ややアミダに冠ったソフトの両びんには、ロマンスグレーの髪がのぞけて見える。まさに、ダンディー、伊達男そのもののハラチンである。

一度も、原のワイ談を聞いたことはない。そのハラチンに、花電車を見せて、どんな反応を示すか、が、われわれ警視庁クラブ員の最大の関心事だったのである。従って、見馴れた花電車よりは、多くの記者たちは、原の表情に、注意を向けていたのである。

大ゲサにいうならば、そのバナナのスジはピタンという、大きな音を立てて、原四郎のホッペタにひっついた、感じであった。それに気付いて、みんなは、爆笑しようとした。ピタンの瞬間だけ、原の表情には、この際、どんな態度を取るべきか、といった、困惑が走った、と、私は見てとった…。

だが、次の瞬間には、原の表情は、真実のみを見つめようとする、新聞記者の眼に戻っていた。も

っとも、さり気なく、片手で、バナナのスジを、拭き取ってはいたが。

爆笑というのは、〝吹く〟というように、まず、大きく息を吸いこんでから、吹き出すのである。みんなの爆笑は、吸いこんだままで、止まってしまったのである。

ある意味で、座は白けてしまった。もう、花電車のコースは、なんの感興も呼ばなかった。原にとっての、花電車ショーは、多分、この時、一回だけであったろう。しかし、彼は、座興として、これを見なかった。

あるいは、ルポルタージュを書く、記者の眼で、展開される現実を、シッカと、見ていたのかも知れない。

竹内四郎が、遊びにきた部下たちとのマージャンで、賭け金を捲き上げ(もっとも、それ以上に、御馳走を並べていたが)、新聞休刊日の全舷上陸(旅行)に、愛人の芸妓を伴うなど、人間まる出しであったのに比べると、原四郎は、まったくの〈新聞記者〉であったというべきだろう。

しかし、その原四郎が、読売新聞の興隆期を、紙面で指揮していたことは、事実なのである。そしてまた私も、原という〝伯楽〟のもとで、大きく成長したのであった。

古き良き時代の記者像をもう一つ紹介しよう。

かつて、大阪読売の編集局長栗山利男(読売取締役)が、編集局長の原四郎にたずねたという。「誰か、パチンコ狂はいないか?」と。