読売梁山泊の記者たち p.132-133 〝代々木詣り〟の引揚者

読売梁山泊の記者たち p.132-133 いまでいう調査報道の先駆けともいえる姿勢だった。竹内部長は、こんなふうに資料を収集、整理して、それを示しながら、事件を予想するような記者は、はじめてだというような顔をしていった。「それで?」
読売梁山泊の記者たち p.132-133 いまでいう調査報道の先駆けともいえる姿勢だった。竹内部長は、こんなふうに資料を収集、整理して、それを示しながら、事件を予想するような記者は、はじめてだというような顔をしていった。「それで?」

それからの私は、毎日詳細な記録をとりはじめた。品川、東京、上野の三駅での、学生同盟と共産党との対立が、目立って激しくなってきた。共産党は何をしようとしているのだろうか。党勢拡張を

狙う共産党は、東北、北海道方面の引揚者が、上野駅で乗換時間に余裕のあるのをみて、この時間を利用して、党本部訪問という計画を実行しはじめていたのである。

私もこれに同行して、データを集めはじめた。出迎え党員の数も、逐次ふえていき、それに比例して、〝代々木詣り〟の引揚者もふえていった。約一カ月、一日おきに千名近い引揚者を迎える上野駅での、引揚者に関する細かな資料ができ上がった。私は、これを竹内社会部長に示して説明した。グラフも作ったのである。

「部長、この傾向がこの通り激しくなってゆきます。こちらが、出迎えの党員数です。これは、もっともっと激しくなり、事件になるか、事件を引き起こすと思います」

いまでいう調査報道の先駆けともいえる姿勢だった。

竹内部長は、こんなふうに資料を収集、整理して、それを示しながら、事件を予想するような記者は、はじめてだというような顔をしていった。

「それで?」

「予告篇とでもいったような記事を、今のうちに書いたほうがいいと思います」

こうして、私は七月二日の新聞に、「先月既に八百名、復員者代々木詣り」という見出しの記事を書いた。それに対して、早速、引揚者の一人、という署名の投書がきた。

「貴社に、先月既に八百名という見出しで、共産党の引揚者に対する活動が、まるで犯罪を行なっているように、デカデカと書かれていましたが、あれはいったい、どういうことなのですか? 云々」

私はその人に対して、丁寧な説明の返事を出した。「どうして犯罪のような記事だと、お考えになるのですか。立派な社会現象ではないですか」と。

やがて、この〝代々木詣り〟は事件となって現われてきた。上野駅での、肉親の愛の出迎えをふみにじる、すさまじいタックル、女学生の童心の花束は投げすてられるという騒ぎだ。そして京都駅での大乱闘、舞鶴援護局でのストなどと、アカハタと日の丸の対立まで、何年にもわたっての、各種の事件を生んだ、そもそもの現象だったのであった。

この一件が、私の新聞記者としての能力が、竹内部長に認められるキッカケだった。私はその記事のあとで、「部長だけの胸に納めておいて頂きたいのですが、調査の許可を頂けませんか」と、申し出た。

「…実は、ソ連側では、引揚者の中にスパイをまぎれこませて、日本内地へ送りこんでいるのです。それが、どのような規模で、どのように行なわれており、現実にどんな連絡をうけて、どんな仕事をしているのかを、時間をかけて、調べてみたいのです」

「何? スパイだって?」

「ハイ。きっと、アメリカ側も、一生懸命になって、その摘発をやっているのに違いないと思います。米ソの間にはさまれて、日本人は、同胞相剋の悲劇を強いられているのに違いない、と思います。だから、大きな社会問題でもあるはずですし、戦争が終わってまだ数年だというのに、もう次の戦争の準備がはじまっていることは、日本人にも大きな問題です」