読売梁山泊の記者たち p.192-193 独立間もない日本の首都に魔手を

読売梁山泊の記者たち p.192-193 銀座のド真中の国際的な賭博場レストラン「クラブ・マンダリン」の実態については、警視庁保安課で十八日、責任者岩橋勝一郎氏の出頭を求めて本格的調査に乗り出したが、まだ実相は、ナゾのヴェールに包まれたままである。
読売梁山泊の記者たち p.192-193 銀座のド真中の国際的な賭博場レストラン「クラブ・マンダリン」の実態については、警視庁保安課で十八日、責任者岩橋勝一郎氏の出頭を求めて本格的調査に乗り出したが、まだ実相は、ナゾのヴェールに包まれたままである。

私と牧野拓司とのコンビで、取材は進行した。不良外人のアクラツな手口と、経歴と、犯罪事実や

不法行為のメモが、つづられていた。取締当局の係官も、かげから取材に協力してくれた。

第一線刑事たちは、自分たちの手のとどかない、〝三無原則〟の特権の座を、新聞の力で、くつがえして欲しいと、願っていたのだった。そして欧米人たちは、ポリスよりもプレスを恐れていた。

国際ギャングによる日本のナワ張り争い

昭和二十七年六月十九日付読売朝刊は、匿名の外人記者のレポートを、トップで掲載した。おもしろいものなので、再録してみよう。

《銀座のド真中の国際的な賭博場レストラン「クラブ・マンダリン」の実態については、警視庁保安課で十八日、責任者岩橋勝一郎氏の出頭を求めて本格的調査に乗り出したが、まだ外人を主体としたクラブ組織というだけで、複雑な治外法権然とした実相は、ナゾのヴェールに包まれたままである。

この事件は、外人記者間でも注視を浴び、事件前早くも取材が続けられていたものだが、その一人(特に名を秘す)は、十八日、本社に、次のような、驚くべきリポートを寄せた。

これによると、同賭博場は、フィリピンから流れてきた、世界的博徒によって作られたことが、明らかになったが、このほか東京には、かつてのアメリカの有名なギャング、アル・カポネの残党と、上海から乗りこんだ中国きっての博徒が三巴の縄張り争いを続け、国際的なスケールで、独立間もない日本の首都に、魔手をのばしている、といわれる。

膨大な金力を背景とする、これら企業家たちは、「犯罪の植民地」化のために、いかに東京を狙って

いるか、以下はその秘密情報…

こんどのマンダリンの秘密賭博クラブに対する、警視庁保安課の早急な解答がなければ東京はやがて、本拠を戦前の上海、戦後アメリカ治下のマニラ、アメリカの賭博連盟本部シカゴの三都市におく、国際賭博団の凶手におちてしまうだろう。

国際商社にとって、対日投資が有利だ、というニュースが伝わると、彼らはすぐやってきた。投資に有利なところは、賭博に好都合に違いないからだが、着くとさっそく、賭博場の設立許可をうるために、東京の官憲諸方面に、わたりをつけにかかった。

ある博徒が記者にいった。「どいつにも握らせてあるから、大丈夫さ。外務省に至るまでね」

これはあとになって、本当でないとわかったが、これら国際博徒たちが、いかにえげつない方法をとるかがわかる。読売新聞の記事で、クラブ・マンダリンが閉鎖された当夜、親分モーリス・リプトンは、閉鎖の理由を聞かれて、「なに、明日の晩には開いてみせるよ」と、答えた。これは彼個人の単なる誤解だが、日本の警察としても、「私有クラブ」を、妨害するわけにはいかない。

リプトンは、日本における拳闘、その他娯楽の世話役だが、テッド・ルーインと協同して、クラブ・マンダリンを賭博場として開設した。ルーインはフィリピン賭博界の重要人物で、六月はじめ、東京「私有クラブ」の特殊賭博機械を仕入れるため、サンフランシスコに赴いたところを、逮捕された。

リプトン、ルーインの博徒に対抗する勢力に、ジェィソン・リー(李)という、ニューヨーク生れ

の朝鮮人二世がいる。リーは「ワシントン秘密情報」で有名な、レイト、モーティマー共著の、「シカゴ秘密情報」にも登場している、シカゴの東洋人地区の賭博の総元締で、カポネ一味に一定の貢物を納め、賭博場開設の指令を仰いでは、各地に出張する男である。