読売梁山泊の記者たち p.216-217 上村保安課長は私の抗議を一蹴

読売梁山泊の記者たち p.216-217 「応援にくり出した予備隊」とあるが、これが問題なのである。私は、警視庁クラブから直通電話に呼び出される。福岡キャップが、怒っている。「なんだって、予備隊を動員したんだ。各社とも、バクチの手入れを知ってしまった」
読売梁山泊の記者たち p.216-217 「応援にくり出した予備隊」とあるが、これが問題なのである。私は、警視庁クラブから直通電話に呼び出される。福岡キャップが、怒っている。「なんだって、予備隊を動員したんだ。各社とも、バクチの手入れを知ってしまった」

「そのまま、そのまま!」
バクチ場の手入れで、場馴れしているのか、その声には不思議な魔力と、威圧感がこもっていたのを、今だに覚えている。場内は、その声のほうに、振り向きはしたが、だれも逃げ出そうとはしなかった。
「そのまま、そのまま! 動くな!」
さっきまで、映画のコマが止まったように、ピタッと動きが止まっていたのに、二度目の声で、我

に返ったように、人びとは、声にならない声をあげたけれども、足は釘付けされたように動かない。

俠客モノの映画などでは、手入れに敏速に反応して、灯を消したり、抵抗したりするのだが、それは、プロだからだろうか。

私の記者人生で、タッタ一度だけの、国際トバクの、現場の手入れは、従来のイメージとは、違っていた。

前出記事を、読み返すと、証拠保全のカメラは、なんか、ずっと遅いようだが、「そのまま」の声と同時に、フラッシュは、パッパッ光り出していたのだ。そして、客たちがほんとうに、我に返ったのは、私服につづいて、制服警官が入ってきて、その姿を見てからだった。その間、わずか、数分の出来事であった。

前出の記事の終わりの部分に、「応援にくり出した予備隊」とあるが、これが問題なのである。本社で、原稿を書いている私は、警視庁クラブから、直通電話に呼び出される。福岡キャップが、怒っている。

「なんだって、予備隊を動員したんだ。サイレンを鳴らして、本庁から出動したから、各社とも、バクチの手入れを知ってしまった」

「エエ、現場で、上村とやり合ったのですが、庁内の第一予備隊を呼びやがった」

一足遅れて、マンダリンの二階に上がってきた課長は、四十人近い検挙者に、「これじゃ、手が足りない。予備隊を呼べ」と、係長に命令した。

そばにいた私が、抗議した。「予備隊を呼んだら、各社にバレる。約束が違う!」と。「この人数を見なさい。警官が足りない」と課長。「じゃ、庁内の第一は呼ぶな」「ほかでは、遠くて、時間がかかる。これだけの人数が騒ぎ出したら、一大事だ。ことに、外国軍人がいる!」

上村保安課長は、私の抗議を一蹴した。桜田門から銀座まで、サイレンを鳴らして、第一予備隊が、駈けつけてきた。

「でもキャップ。場内に入ったのは、ウチだけ。写真もウチだけ。仕方なかったンです。各社は、輪転機を止めても、見出し程度しか入れられませんよ」

「そうだナ。マ、よしとするか…」

原稿を出し終えてから、原四郎部長の家に電話で報告した。起きて待っていた部長は、

「十分だ、十分だ。朝刊見れば、ウチのスクープは歴然さ。ご苦労だった。いや、ご苦労」

いつも感ずることだったが、原四郎という部長は、実に、働き易い部長だった。「いいか、新聞記者というのは、結果論だ。書かなきゃダメだし、書いていれば、勝ちさ…」といっていた。

完璧な〝独占スクープ〟の狙いは、外れたけれども、この朝刊の紙面は、努力しただけのことはあった、のだった。

昭和二十七年秋の、「東京租界」の成功が、改めて、〝社会部の読売〟をアピールして、同年度を第一回とする、財団法人・日本文学振興会による、「菊池寛賞」の新聞部門を、原四郎が獲得したのであ

った。