読売梁山泊の記者たち p.242-243 河井の政治的思惑

読売梁山泊の記者たち p.242-243 ここの部分が、重要なのである。芦田内閣を倒閣に追いこんだ以後、河井は、極めて〈政治的思惑〉を持つにいたったことが、実証されるのである。河井の政治的思惑について、説明しなければならない。
読売梁山泊の記者たち p.242-243 ここの部分が、重要なのである。芦田内閣を倒閣に追いこんだ以後、河井は、極めて〈政治的思惑〉を持つにいたったことが、実証されるのである。河井の政治的思惑について、説明しなければならない。

政治的思惑で立松を利用した河井検事

そして、本田の最後の部分、「岸本が告訴洩れになった」ことについて、「故意か、偶然か」と、表現しているが、司法記者の常識として、一流日刊紙の名誉毀損被疑事件で、担当記者が逮捕されるこ

となど、あり得ないことであった。

だから、結果論として、「故意か」と思っているようだが、「故意」とは、宇都宮、福田両代議士が、事前に、岸本検事長と謀議して、告訴洩れにするから、逮捕しようと、計画したことを意味する。これまた、まったくあり得ないことである。

のちに、宇都宮代議士に直接たずねてみたが、本人は弁護士まかせ。弁護士は、地検の監督責任は最高検と考えた、とのことだ。

そこで、今度は、伊藤栄樹らの、ガセネタ流しについて、考えてみよう。前述したように、「売春汚職で、初期から読売に抜けた」ことはない。これは、河井にガセネタを流してみることの、修飾語であろう。昭電事件以来の疑惑に、結論を出そうとしたのだろう。いずれにせよ、もはや、この部分の真実は明らかにはできない。

しかし、河井が、立松に対して、九名の国会議員のうちの五名が、容疑が濃く、そのうちでも、二名の捜査が進展している、と、リークした。そうすると、伊藤らが、法務省刑事局に報告したのは、五名の名前であろう。

その様子は、本田の描写(立松の電話の受け答え)で、ほぼ明らかである。すると、その五名のうちから、宇都宮、福田両代議士を特に指名したのは、河井の判断、ということになる。

《「そのうち、はっきりウラが取れているのはだれとだれですか。もう一度、名前を読み上げてみますから…」》

と、立松は河井にいい、丸済メモのうち、宇都宮、福田の名前の上に印をつけた。片手に受話器、片手で印(しるし)をつけたのを、私は目撃している。

《「——」

「わかりました、それじゃ、明日の朝刊は、その二人だけ、実名でいくことにします」》

つまり、伊藤らのガセネタ流しでは、この二人の名前だけではなく、読売紙面での、K、S、Nのイニシャル三名も含まれていたのに、河井の〝判断〟で、二名がえらばれた、ということになる。

ここの部分が、重要なのである。そして、そこに、芦田内閣を倒閣に追いこんだ以後、河井は、極めて〈政治的思惑〉を持つにいたった、ということが、実証されるのである。

河井の政治的思惑について、説明しなければならない。それには、当時の政治情勢を見なければならない。

昭和三十二年はじめ、岸内閣にただ一人魅力ある新人として、藤山愛一郎が入閣した。財界出身で国会に議席を持たない新人である。これは当然、次の総選挙には出馬する、という含みである。

そして、その夏。東京都知事安井誠一郎が衆院選出馬を声明した。昭和三十四年春までまだ、任期が一年半もある、というのにである。

この二人の〝新人〟の衆院選出馬は、どのような影響を、当時の政界地図に及ぼすであろうか。現役の代議士にとっては、実に重大な問題である。