読売梁山泊の記者たち p.246-247 安井・藤山をどうしても当選させねばならない

読売梁山泊の記者たち p.246-247 現役議員がいる。選挙におけるかぎり、〝敵〟は味方の陣営である。つまり、保守の〝敵〟は保守である。保守系の票を分割するからである。同一選挙区に、同系候補がふえれば、基礎票が割れるのである。
読売梁山泊の記者たち p.246-247 現役議員がいる。選挙におけるかぎり、〝敵〟は味方の陣営である。つまり、保守の〝敵〟は保守である。保守系の票を分割するからである。同一選挙区に、同系候補がふえれば、基礎票が割れるのである。

当時、浮かんでは消えた人名を、列挙してみよう。第一に、中山伊知郎、松下正寿らの学者グループ。松下などは、「選挙費用が五千万円」と聞いて、乗り気だったのが、一度に〝その気〟をなくした、という。

藤山愛一郎、一万田尚登、高碕達之助、鮎川義介、渋沢敬三、河合良成らの財界人。つづいて、吉

田茂、鳩山一郎、石橋湛山の元、前首相ら。鳩山の場合など、本人がダメなら大蔵官僚の長男威一郎、薫子夫人の名前まで出たが、都議団に笑い飛ばされて、消えてしまったほど。

次は、沢田廉三、鶴見祐輔、永田清らが出たのち、グッと現実的になって、花村四郎、中村梅吉といった、地元議員になった。これには都議団も賛成したが、本人たちが受けない。そして、松永東、東竜太郎と動いてきたが、これまた固辞して、振り出しにもどった感じ。

都知事の後任問題は、まったく目鼻さえつかなかったが、藤山、安井両氏の出馬は確定し、しかも、国会には〝解散風〟が吹きはじめていた。選挙の見通しは、早期解散ならば翌三十三年春。おそくも、秋には、という声がしきりであった。

安井の出馬は、都知事だったのだから、当然、東京である。そして、一区の安藤正純の地盤のアト釜かと見られた。東京一区は、鳩山一郎、安藤正純、原彪、浅沼稲次郎という保守、革新の大物、ベテランが四議席を二分していたが、安藤が死亡して、空いたのであった。

一区が駄目なら、三多摩の七区。十二年の在任中に、そのことあるを予期して、三多摩には、十分に金をマイていた、といわれる。安井の出馬は、一区か七区というのが、決定的であった。

一方の藤山はどうか。「芝で生まれて、芝で育ったボクは、芝以外からは選挙に出られない」と公言していた。学校も慶応だから、芝一本槍の方針だ。芝といえば、東京二区である。

なにしろ、入閣に当たって、一九四社という、関係会社に辞表を出し、七つの会社の役員会を招集して、奇麗サッパリと、財界から足を洗っての、政界入りだから、出馬→当選は必死である。

だが、選挙という〝怪物〟は、生やさしいものではない。出たい人が出て、その政見が選挙民に支持されれば当選する、といった、公式通りにはいかないのである。

ことに、現役議員がいる。選挙におけるかぎり、〝敵〟は味方の陣営である。つまり、保守の〝敵〟は保守である。保守系の票を分割するからである。選挙の見通しは、地盤という、基礎票からスタートする。同一選挙区に、同系候補がふえれば、この基礎票が割れるのである。

安井は、地検にすら、都庁に手を入れさせなかった、東京の〝実力者〟である。安井の応援がなくては、例えば、吉田茂が都知事に立候補しても、安井系の票がすべて離れたら落選の可能性が強くなるのである。

「都知事は保守で」を、至上命令としているのが、岸首相ら自民党首脳であるならば、安井の発言権が、強まるのも当然である。また議席のない藤山を、内閣に迎えたのも岸首相である。

とすると、安井、藤山両氏を、どうしても当選させねばならない、という人——それは岸内閣の主流派である。当時、主流派とされたのは、岸派、大野派、河野派、佐藤派の四個師団である。

さて、安井の七区、藤山の二区という、その出馬予想区の現況はどうか。

別表を見ていただきたい。二十二年四月の総選挙から、二十四年一月、二十七年十月、二十八年四月、三十年二月と、三十二年秋、現在において、過去五回の選挙が、同一選挙区、同一定員で行なわれている。そのうち、問題の二区、七区の当選議員と、その得票の実績である。(点線より下の人名は次点以下)