読売梁山泊の記者たち p.284-285 サイは投げられたのだった

読売梁山泊の記者たち p.284-285 駅の雑踏には、私服の刑事がウロウロしているケースも多い。小笠原の姿が、改札口の向こうで、人混みにまぎれてしまうと、肩の力が抜けた。待たせておいた車に戻り、深々と座席に身を沈めた。
読売梁山泊の記者たち p.284-285 駅の雑踏には、私服の刑事がウロウロしているケースも多い。小笠原の姿が、改札口の向こうで、人混みにまぎれてしまうと、肩の力が抜けた。待たせておいた車に戻り、深々と座席に身を沈めた。

「あくまで、安藤親分の自首までの間、ですからね。そして、安藤が自首する前、私にはインタビューさせて下さい。警視総監が首相に叱られた事件だから、多分、実情は自首であったとしても、逮捕

という形を取ることになるでしょう。

それから、上野駅までは、私が送ります。落ち着き先へ到着したら、連絡を入れますから、食費その他の経費は、そちらで賄って下さい。切符代もね。もちろん、先方では、なにも事情は、一切知らないのですから。軍隊と捕虜の〈友情〉なのです。

途中、職質で逮捕されたりしたら、私は、まったく、関知しませんから、旅館のマッチやメモ類など、持たないこと。花田さんの電話番号は、頭の中に入れて下さい」

私は、あらゆる場合を想定して、安藤の自首までの、時間稼ぎを考えていた。警視庁は安藤の足取りを、まだ、つかんでいないことは確かだった。

安藤と千葉の身柄を、捜査二課が押さえた段階で、小笠原は、自首してもらえばいいという、プログラムだった。

そして、それらの連絡は、合法面に残っている花田である。私が想定した情況は、十分に知識のある、日本共産党の九幹部潜行の実例であった。その時も、合法面には、椎野議長ひとりが残って、連絡係をしていたのだ。当時、日共担当だった私は、同じ捜査二課の捜査手法には、通じているつもりだった。

のちに、捜査四課が設けられて、暴力団担当となり、公安一、二、三課ができて、左翼、右翼、外事を、分掌したが、当時はまだ、捜査二課の一、二、三係であった。

奈良旅館に、車を呼んだ。社の自家用ではなく、雇い上げのハイヤーを指定した。

旅館の門のところで、花田は、「では、なにとぞ、宜しくお願いします」と、頭を下げて、去っていった。

少し離れて、待っていた車に、私と小笠原は乗りこんだ。私の人生で、〝夜のヤミ〟を気にしたことは、この時が最初だったろう。

赤い横線の入った、読売の社旗が、ヘッドライトの横でハタめく。

——まず、検問を受けることはない…。

それでも、車窓に流れる制服警官の姿には緊張する。上野駅に着いて、正面玄関から、一階の広場を抜けて、右手の大改札口に至る数十メートルの歩きには、あとでクタクタになるほどに、精神が張りつめていた。

むかし、サツまわりで、上野署を担当したので、駅警備の詰め所や、巡回コースなどの知識はあったが、駅の雑踏には、私服の刑事がウロウロしているケースも多い。

小笠原の姿が、改札口の向こうで、人混みにまぎれてしまうと、肩の力が抜けた。

——済んだ…。あとは連絡船の乗降だけが賭けだ!

待たせておいた車に戻り、「ウチまで送ってよ」と、運転手にいって、深々と、座席に身を沈めた。頭の中が、空ッぽのような感じだった。サイは投げられたのだった。

夜遅く、梅ヶ丘の自宅に戻った。妻も、二人の男の子たちも、もう寝静まって、家中がシーンとし

ていた。