月別アーカイブ: 2019年6月
新宿慕情68-69 しゃぶしゃぶの「牛や」と丸山明宏
新宿慕情70-71 丸山明宏は成城に引っ越した
新宿慕情72-73 冷たい水を一升ぐらい飲む
新宿慕情74-75 牛やから十㍍ほどに、かつ由という店がある
新宿慕情76-77 ママが揚げたカツ
新宿慕情78-79 かつ由、ご自慢のビフテキ
新宿慕情80-81 新装開店ラステンハイム
新宿慕情82-83 ホテル・サンライトのマダム
新宿慕情84-85 むかしの、かつ由にもどらせて頂きます
新宿慕情86-87 はみだしは喫茶店
新宿慕情88-89 「ザ・ヨミウリの記者で小宮山といいます」
新宿慕情90-91 小宮山法務委員長とは〝恋仇〟
新宿慕情92-93 「衆議院議員佐藤栄作・秘書」
新宿慕情94-95 ピタッときまる洋服屋
新宿慕情96-97 私の時計はオメガ。
新宿慕情98-99 おかまの松喜鮨
新宿慕情100-101 どんな話題にも即座に対応
新宿慕情102-103 ヤッちゃんの〈バラ趣味〉
赤い広場―霞ヶ関 p040-041 “東京租界”にひそむ謀略の黒い手。
赤いとみられることが、生活上にも不便が多いとすれば、ソ連籍を放棄するのが当然であろう。
この傾向はスターリンの死とともに、一そうハッキリとしてきて、ミチューリン、スコロボード、アハナシェフと後に続くものたちが現れた。さらに目黒に住む元ロシヤ近衛騎兵大尉チェレムシャンスキー、元参謀大佐ストレジェンスキーらが白露委員会を組織した。
だが、最初に国籍放棄をして〝白〟に返った、老ミネンコ夫婦の小ミネンコは、あくまでソ連人である。それどころか、巣鴨にある赤系の本拠ソ連人クラブの委員で、いろいろな事業を活溌にやっている。
そしてまた、このヤンコフスキーである。この一家には第二次大戦中、ウラジオから北鮮清津に渡ってきて、〝ある目的〟の仕事をしていた、白系露人老ヤンコフスキーを父として、三人の息子と二人の娘がいた。
その息子の一人、アルセーニェ・ヤンコフスキーは米国籍人となり、歴とした情報担当の中尉となり、クリコフ誘致工作をやっている。他の二人の兄弟と父とはソ連に、二人の娘は中共治下の上海と南米チリとに、それぞれ別れ住まねばならなくなってしまった。
このヤンコフスキー一家の渦、これもミネンコ一家の渦と同じように、民族の宿命を肯負って〝東京租界〟の濁流へと流れこんでくるのだ。
白露委員会の幹部たちは、うらぶれた屋根職人や裁縫師にすぎないのだが、ソ連人クラブに集まる人たちは堂々たる実業家ばかりである。何のための事業であり、資金はどこから来、利潤はどこへ行くのか。
〝東京租界〟とは、単純な不良外人の巣喰う犯罪都市のことではない。密航と密輸と、賭博と麻薬と、そして売春、ヤミドル、脱税――この七つの大罪のかげには、謀略の黒い手がかくされているのだ。(第三集「羽田25時」参照)
秘められた「山本調書」の拔き書
一 先手を打つ「アカハタ」 二十九年八月十四日、ラストヴォロフの亡命について、日米共同発表が行われた。その三日後の十七日に、警庁記者クラブの公安担当記者たちと、当局側の指揮官山本鎮彦公安三課長(現同一課長)との懇談会が聞かれた。
その席上、山本課長はワシントンでのラ氏取調の状況をこんな風に話していた。
山本課長と公安調査庁の柏村第一部長(現警察庁次長)とが、ラ氏にはじめて逢ったのは、ワシントン特別区内のあるビルの一室、せいぜい六坪ぐらいの簡素な事務室であった。