月別アーカイブ: 2019年6月

新宿慕情66-67 かに幸船、蘭、お茶漬け乃志菊、オデン屋利佳、メゾン…

コマ劇場通りとさくら通りの中間にあるオデン屋の利佳は、安藤リカさん。才気煥発の女史で、浅学菲才の私など足許にも寄せつけてもらえない。
コマ劇場通りとさくら通りの中間にあるオデン屋の利佳は、安藤リカさん。才気煥発の女史で、浅学菲才の私など足許にも寄せつけてもらえない。

新宿慕情68-69 しゃぶしゃぶの「牛や」と丸山明宏

隣の五〇三号には、丸山明宏が住んでいた。「黒蜥蜴」がヒットしていたころだった。香料の芳香が立ちこめ美貌が妖しい魅力を呼んで、息苦しいほどだった。
隣の五〇三号には、丸山明宏が住んでいた。「黒蜥蜴」がヒットしていたころだった。香料の芳香が立ちこめ美貌が妖しい魅力を呼んで、息苦しいほどだった。

新宿慕情74-75 牛やから十㍍ほどに、かつ由という店がある

しゃぶしゃぶを、肉だけ二人前も食べる。すると摩訶不思議やナ……翌朝の九時ごろまで、眠気ひとつ覚えず、原稿を書きつづけて、約束通り上げられるのである。
しゃぶしゃぶを、肉だけ二人前も食べる。すると摩訶不思議やナ……翌朝の九時ごろまで、眠気ひとつ覚えず、原稿を書きつづけて、約束通り上げられるのである。

新宿慕情80-81 新装開店ラステンハイム

深い事情は知らぬが、その誇り高きチーフが、やがて辞めてしまって、ママは方向転換を考えたらしい。…どうなることかとみていると、レストラン・ラステンハイムという名前に変わった。
新宿慕情80-81 深い事情は知らぬが、その誇り高きチーフが、やがて辞めてしまって、ママは方向転換を考えたらしい。…どうなることかとみていると、レストラン・ラステンハイムという名前に変わった。

新宿慕情84-85 むかしの、かつ由にもどらせて頂きます

かつ由のオカミさんは、美人とはいえないが、可愛いタイプで、それなりにチャーミングである。サンライトのマダムは、美人であって、これまた、笑顔が魅力的だ。
新宿慕情84-85 かつ由のオカミさんは、美人とはいえないが、可愛いタイプで、それなりにチャーミングである。サンライトのマダムは、美人であって、これまた、笑顔が魅力的だ。

新宿慕情86-87 はみだしは喫茶店

86-87社会部は、そのころでも、七、八十人はいるのである。~クラブ詰め、サツまわりなどの外勤記者が、夕方、社に上がってくると、坐る椅子もない混雑ぶりなのである。
新宿慕情86-87 社会部は、そのころでも、七、八十人はいるのである。~クラブ詰め、サツまわりなどの外勤記者が、夕方、社に上がってくると、坐る椅子もない混雑ぶりなのである。

新宿慕情88-89 「ザ・ヨミウリの記者で小宮山といいます」

88-89私が、三年に及ぶ警視庁記者を〝卒業〟させてもらって、通産、農林両省クラブ詰めになったのは、昭和三十年初夏のことだった。~だが、丸一年で、大特オチをして、部長の眼の届く遊軍勤務になってしまう。
新宿慕情88-89 私が、三年に及ぶ警視庁記者を〝卒業〟させてもらって、通産、農林両省クラブ詰めになったのは、昭和三十年初夏のことだった。~だが、丸一年で、大特オチをして、部長の眼の届く遊軍勤務になってしまう。

新宿慕情90-91 小宮山法務委員長とは〝恋仇〟

90-91「ヨシ。それじゃ、オレが然るべく仕事を手伝わせてやるョ」 これが、平和相互銀行の小宮山一族だと、その当時に知っていたら、私の人生も、あるいは変わっていたかも知れない。
新宿慕情90-91 「ヨシ。それじゃ、オレが然るべく仕事を手伝わせてやるョ」 これが、平和相互銀行の小宮山一族だと、その当時に知っていたら、私の人生も、あるいは変わっていたかも知れない。

新宿慕情92-93 「衆議院議員佐藤栄作・秘書」

92-93遊軍勤務一年。翌三十二年初夏には、私は、司法記者クラブのキャップとして、またまた、激烈な事件記者の世界にもどることになったのだ。それが内示された夜、私は彼女にいった。
新宿慕情92-93 遊軍勤務一年。翌三十二年初夏には、私は、司法記者クラブのキャップとして、またまた、激烈な事件記者の世界にもどることになったのだ。それが内示された夜、私は彼女にいった。

新宿慕情94-95 ピタッときまる洋服屋

94-95私は、コーヒー好きだが、コーヒーについての講釈はできない。~ただ、どこの喫茶店のコーヒーが美味いか不味いか、だけなのである。~衣類もそうだ。
新宿慕情94-95 私は、コーヒー好きだが、コーヒーについての講釈はできない。~ただ、どこの喫茶店のコーヒーが美味いか不味いか、だけなのである。~衣類もそうだ。

新宿慕情96-97 私の時計はオメガ。

96-97腕時計やライター、万年筆、ネクタイ、ベルト、靴にいたるまで、高価な外国のメーカー名が記され、値段まで紹介されている。~これは編集者の痛烈な皮肉か、と思って、眼を瞠ったものだ~
新宿慕情96-97 腕時計やライター、万年筆、ネクタイ、ベルト、靴にいたるまで、高価な外国のメーカー名が記され、値段まで紹介されている。~これは編集者の痛烈な皮肉か、と思って、眼を瞠ったものだ~

新宿慕情98-99 おかまの松喜鮨

98-99そして、裏側には、こういう文字が彫ってある。TO K.MITA FROM M.MUTAI 45.7.21 読売の務台社長が、正力サンの急逝のあとを受けて、副社長から社長に就かれ、その披露パーティーのあった直後~
新宿慕情98-99 そして、裏側には、こういう文字が彫ってある。TO K.MITA FROM M.MUTAI 45.7.21 読売の務台社長が、正力サンの急逝のあとを受けて、副社長から社長に就かれ、その披露パーティーのあった直後~

新宿慕情100-101 どんな話題にも即座に対応

100-101寺山修司作・演出……と、そう書かれたそのレコードは、例の〈バラ族〉のものだったのだ。~仔細に眺めてゆくと、たったひとり、男装(?)の麗人がいた。それが、ヤッちゃんだった。
新宿慕情100-101 寺山修司作・演出……と、そう書かれたそのレコードは、例の〈バラ族〉のものだったのだ。~仔細に眺めてゆくと、たったひとり、男装(?)の麗人がいた。それが、ヤッちゃんだった。

新宿慕情102-103 ヤッちゃんの〈バラ趣味〉

102-103勘定は、極めて大ザッパだ。~それでも、高い勘定の客も、安い、ホントに〝喰べるだけ〟の客も、この店のフンイキ、というよりは、ヤッちゃんの客あしらいに満足して、たのしんで帰って行くから、奇妙だ。
新宿慕情102-103 勘定は、極めて大ザッパだ。~それでも、高い勘定の客も、安い、ホントに〝喰べるだけ〟の客も、この店のフンイキ、というよりは、ヤッちゃんの客あしらいに満足して、たのしんで帰って行くから、奇妙だ。

赤い広場―霞ヶ関 p040-041 “東京租界”にひそむ謀略の黒い手。

赤い広場―霞ヶ関 p.40-41 “東京租界”にひそむ謀略の黒い手。
赤い広場ー霞ヶ関 p.040-041 A trap of stratagem hidden in the foreign settlement of Tokyo underworld.

赤いとみられることが、生活上にも不便が多いとすれば、ソ連籍を放棄するのが当然であろう。

この傾向はスターリンの死とともに、一そうハッキリとしてきて、ミチューリン、スコロボード、アハナシェフと後に続くものたちが現れた。さらに目黒に住む元ロシヤ近衛騎兵大尉チェレムシャンスキー、元参謀大佐ストレジェンスキーらが白露委員会を組織した。

だが、最初に国籍放棄をして〝白〟に返った、老ミネンコ夫婦の小ミネンコは、あくまでソ連人である。それどころか、巣鴨にある赤系の本拠ソ連人クラブの委員で、いろいろな事業を活溌にやっている。

そしてまた、このヤンコフスキーである。この一家には第二次大戦中、ウラジオから北鮮清津に渡ってきて、〝ある目的〟の仕事をしていた、白系露人老ヤンコフスキーを父として、三人の息子と二人の娘がいた。

その息子の一人、アルセーニェ・ヤンコフスキーは米国籍人となり、歴とした情報担当の中尉となり、クリコフ誘致工作をやっている。他の二人の兄弟と父とはソ連に、二人の娘は中共治下の上海と南米チリとに、それぞれ別れ住まねばならなくなってしまった。

このヤンコフスキー一家の渦、これもミネンコ一家の渦と同じように、民族の宿命を肯負って〝東京租界〟の濁流へと流れこんでくるのだ。

白露委員会の幹部たちは、うらぶれた屋根職人や裁縫師にすぎないのだが、ソ連人クラブに集まる人たちは堂々たる実業家ばかりである。何のための事業であり、資金はどこから来、利潤はどこへ行くのか。

〝東京租界〟とは、単純な不良外人の巣喰う犯罪都市のことではない。密航と密輸と、賭博と麻薬と、そして売春、ヤミドル、脱税――この七つの大罪のかげには、謀略の黒い手がかくされているのだ。(第三集「羽田25時」参照)

秘められた「山本調書」の拔き書

一 先手を打つ「アカハタ」 二十九年八月十四日、ラストヴォロフの亡命について、日米共同発表が行われた。その三日後の十七日に、警庁記者クラブの公安担当記者たちと、当局側の指揮官山本鎮彦公安三課長(現同一課長)との懇談会が聞かれた。

その席上、山本課長はワシントンでのラ氏取調の状況をこんな風に話していた。

山本課長と公安調査庁の柏村第一部長(現警察庁次長)とが、ラ氏にはじめて逢ったのは、ワシントン特別区内のあるビルの一室、せいぜい六坪ぐらいの簡素な事務室であった。