日別アーカイブ: 2020年1月26日

黒幕・政商たち jacket flap カバーそで

黒幕・政商たち jacket flap カバーそで 惹句:暴かれた政・財・官界の著名人たちの仮面!
黒幕・政商たち jacket flap カバーそで 惹句:暴かれた政・財・官界の著名人たちの仮面!

暴かれた政・財・官界の著名人たちの仮面!

マイ・ホームの夢を喰う、住宅公団汚職。大銀行を舞台の取り屋の暗躍。国民の血税を吸って太る企業。——これらのマスコミでは報道されない色と欲の裏街道で、陰の主役たちは、何をもくろみ、何をしているのだろうか? 高級官僚群と政、財界人たちとの驚くべきつながりを、事実に即して描く異色のリポートである。

本書に実名で登場する著名人は600余名にのぼるが、なかでも佐藤栄作、川島正次郎、田中角栄、中曽根康弘の各氏や、児玉誉士夫、稲川角二、植村甲午郎、足立正、藤井丙午、水野成夫など、日本を動かす実力者たちの素顔が巧まずして描き出される。

黒幕・政商たち p.004-005 preface まえがき

黒幕・政商たち p.004-005 preface まえがき
黒幕・政商たち p.004-005 preface まえがき

まえがき

昭和三十年の夏、当時、読売新聞社会部の外事・公安担当記者であった私は、戦後十年の裏面史として、貯めこんだ取材メモを材料に、「東京コンフィデンシャル・シリーズ」という、二冊の著書をまとめた。

四部作の予定が、二冊に終わったのだが『迎えにきたジープ』『赤い広場—霞ヶ関』という、既刊のその本のあとがきに、

「真実を伝えるということは難しい。…しかし、真実の追及という、この著での私の根本的な執筆態度は認めて頂きたい。
真実を伝えるということは、また同時に勇気がいることである。…私も本音を吐くならば、この著を公にすることはコワイのである。不安や恐怖を感ずるのである。だから、何も今更波風を立てなくとも、といった卑怯な妥協も頭に浮かんでくる。しかし、『真実を伝える』ということのため、私は勇気を奮って、関係者の名前を実名で登場させたのである」

と、書いた。

その当時から、また十余年——。

戦後史。この激動の二十年をまとめるべき時がきているようである。そして私は、読売を退社してフリーになるという、身辺上の変化はあったけれども、相変わらずペンを握って、〝現代史の目撃者〟たることをつづけてきた。

「報道・言論の自由」は、国民の「知る権利」の代理行使として、その「自由」の意義があるのである。

戦後二十年とはいえないが、ここ数年の間に現象化してきた、あの事件、この事件。それらの事件の本質を見極めるには、少なくとも、マッカーサーがコーン・パイプ片手に、厚木飛行場に降り立った時点からの、ひそやかな底流に、眼を注がねばならない。

私たちは、ともすれば、事件という現象の動きに、流れに、そして華やかさに、眼を奪われて、その本質を、見誤る恐れがある。この〝眼を奪う〟ものが、マスコミの伝える「虚像」である。虚像に狎れて、真実を見失うのである。しかし、しっかりと真実を踏まえて、虚像に酔おうというのならば、それもまた可なり、である。

戦後の一連の汚職事件、昭電、造船にはじまり、最近の日通にいたるまで、そしてまた佐藤三選のカゲの動きなど、やはり〝底流〟に眼をそそがねばならない。