権力の執行者に落し穴
近藤正次被告の、四十一年三月付の上申書は、「関税法違反及び麻薬取締法違反被告事件は、潜入捜査のため生じた、複雑微妙なる経緯を伏在する事案でありますので(中略)本件真相を把握賜りますようお願いいたします」として四三頁にわたり、衷情を訴えている。その目的をみてみよう。
一、当時の麻薬事犯の実情、ならびにこれに対する捜査方針
二、私が近畿地区麻薬取締官事務所に赴任以来、鈴木兼雄を情報提供者として採用した経緯及び同人の情報により検挙した事件の概要、ならびに本件潜入捜査の一目的たる李忠信逮捕にいたるまでの概要
イ 鈴木兼雄採用の経緯
ロ 阿知波取締官の五島会潜入
ハ 欧金奢検挙前後の状況(近藤起訴事実の一)
ニ 高橋正一を情報提供者として採用した経緯
ホ 鋤本取締官の五島会潜入
ヘ 森松敏一検挙前後の状況(起訴事実の二)および李忠信逮捕にいたるまでの概要
ト 宗敏明事件検挙の経緯
三、チサダネ号事件(起訴事実、近藤の三、鋤本の一、阿知波の一)
四、ルイス号事件(阿知波の二)
この上申書の目次をみれば、おおよその事件の経過は明らかである。「昭和三十三年十一月、厚生省麻薬課長に久万楽也氏が就任されるにおよび、全国八ブロックに別れている地区麻薬取締官事務所の、過去十年間における沈滞した空気の刷新を計るため、大規模な人事異動が計画され」て、近藤被告は、近畿事務所長になった。
そして、着任早々に「中国人が麻薬を大量に売りたがっている。そこで、天理市の医師に話したら、取引したいといっていた」という、インフォーマーのお繕立てにのって、所長自ら〝天理市居住の医師〟に扮して、密輸中国人の手先と接触した。往診カバンの中に、見せ金百七十万円を詰め、役所の車のナンバーを、陸運事務所に交渉して取換え、数回の接触ののち、深夜の街頭で、所長の車に壮漢が五人乗込んでくる。お抱え運転手に扮した部下の取締官は、思わず胸に吊った拳銃にふれてみる——こんなスリラーののち、所長の車を尾行している検挙班のオート・三輪が、五人の壮漢のうちの一人鈴木を逮捕するのだ。もちろん、中国人の麻薬の商品見本として持っていたヘロイン三一八グラムの不法所持だ。所長は、第五八条によって
鈴木から譲り受けたそのヘロインの、譲り受け責任はない。ここが、警察官の捜査と違う点である。