日別アーカイブ: 2020年8月23日

黒幕・政商たち p.232-233 ネタモトは河井信太郎刑事課長

黒幕・政商たち p.232-233 立松記者は、河井検事の自宅の電話番号を回した。そして、翌日の大〝誤報〟スクープ。あの記事のネタモトは、当時の河井信太郎刑事課長であった。
黒幕・政商たち p.232-233 立松記者は、河井検事の自宅の電話番号を回した。そして、翌日の大〝誤報〟スクープ。あの記事のネタモトは、当時の河井信太郎刑事課長であった。

その間に私が体験として知ったことは、岸本検事長直接指揮の、高検検事たちは、馬場派の河井検事を容疑者として、立松、三田両被疑者の調書にその名を記録し、逮捕状を請求して、河井検事を逮捕しようとしたことであった。

そして、それこそ〝今だから話そう〟である。立松記者は、奈良屋旅館の電話室で私の見ている前で、河井検事の自宅の電話番号を回した。その電話で問答をつづけながら、彼は宇都宮、福田両議員の名前を書き、頭の上に大きな丸印をつけたのである。そして、翌日の大〝誤報〟スクープが生まれた。私が目撃した事実と、立松記者の話から、あの記事のネタモトは、当時の河井信太郎刑事課長であった。そして、立松記者は、この事件以後に本格的に病身となり、ほとんど休職ばかりで、三十七年十月九日、四十歳の若さで、読売城南支局長の閑職で死んだ。——原因は心臓病だが、ニュース・ソース追及の厳しい検事の調べに、三日間も拒みつづけてきた精神の疲れが、彼を廃人にしてしまったようである。

岸本検事長、否、岸本前代議士もまた、失意のうちに、静養先で世を去った。昭和四十年九月九日。無位無官、しかも、選挙違反事件の控訴審被告としてであった。というのは、ついに検事総長を逸した岸本氏に大野伴睦老がハッパをかけたという。

「代議士になれ。当選してきたら、たとえ一年生でもオレが法務大臣にしてやる。そして、馬場のクビを切れ!」

停年半年後の岸本氏は、大阪五区で当選して大野派に属した。だが、岸本氏の当選が決まるや、馬場派の反撃はすさまじく、大阪地検が徹底的に選挙違反を洗いはじめた。当時の検事正は、自他ともに〝岸本派〟と認められていた、橋本乾三検事であったが、〝親分の寝首を掻い

た〟と評された。「検察の長老なるが故に、違反は許されない」と、記者会見で弁明したが、正論は正論としても、風当たりは強かったようである。そして、この時まで馬場次官——竹内刑事局長——河井刑事課長の体制であった。

井本総長は、〝李下の冠〟として非難された。これは、国民に疑いを感じさせてはいけないということである。だが、私は、極めて主観に走りすぎるといわれるかも知れないが、やはり、検察の「公正」に疑いを感ずるのである。

崩れ落ちた〝最後のトリデ〟

マスコミのつくる〝虚像〟——こんどの、井本検事総長「会食」事件の報道をみてつくづく記者の不勉強が感じられる。例えば「河井検事の東京地検か、東京地検の河井検事か」という言葉がある。事件を報道する司法記者クラブ員が、〝検事ベッタリ〟にならざるを得ないのは、現場記者として当然のことである。これをチェックするのが、論説やコラムではあるまいか。今度のケースでは、毎日新聞の報道態度が一番まともである。新聞が不勉強で「謀略」に利用されたり、週刊誌が無知で「虚像」を作りあげるのだから、私は、今更のように考えこんでしまう。

一体、社会正義とはなんだ。

黒幕・政商たち p.234-235 社会正義とはなんだという命題

黒幕・政商たち p.234-235 しかし私は、立松記者不当逮捕事件を想い出す時、河井検事が、「正義派検事」といわれるのに抵抗を感ずるのである。
黒幕・政商たち p.234-235 しかし私は、立松記者不当逮捕事件を想い出す時、河井検事が、「正義派検事」といわれるのに抵抗を感ずるのである。

月刊「現代」誌の、昨年一月創刊号のグラビヤに、河井信太郎検事が出ていて、「河井氏の正義の追及を、世間は大きな期待をもってみつめている」と、書かれている。しかし私は、立松記者不当逮捕事件を想い出す時、河井検事が、「正義派検事」といわれるのに抵抗を感ずるのである。

実例を持ち出すまでもなく、ある大作家が、「正義派の推理作家」といわれているが、しかし、私の著作を盗んでおりながら、そのことを知ってもうすぐ一年になろうとするのに、電話の一本、手紙一本の挨拶すらなく、私の非難に平然としていることから、その先生が、正義派作家といわれることに、怒りさえ覚えるのである。

大森創造参院議員も、「正義派議員」である。だが、予告のアドバルーンばかりが、高くあがって、肝心の国会質問が他の議員になったり、御本人が知らない間に、トッポイ男の〝恐喝〟の材料に使われたりしていては、それこそ、〝李下の冠〟であろう。

井本総長事件の最後をしめくくらねばならない。これまで多くの「人」を、ほとんど実名で登場させた。或いは名誉棄損の告訴をうけるかも知れない。しかし、「社会正義とはなんだ」という命題のもとで、国民のみんなに、正確な判断をしてもらうためには、仮名では「真実」が伝わらない。

そして、これも〝解説〟〝風聞〟である。

河井検事が、昭和十九年以来東京勤務で、研修所教官と本省刑事課長以外、東京地検を離れないのは、人事問題としてオカシイ、という声が、政府部内にあった。次席から東京の検事正に上るのもオカシイ、との声もあった。同氏に〝密着〟した人物についての批判もあった。そこで横浜の検事正という内示があった。同氏は応じない。では、最高検事という内示であった。

各紙誌の記事に、池田代議士の逮捕が行なわれずに、在宅起訴と決まるまでの、六月二十日から二十五日までの期間、井本総長らが現場の地検の意見に反対したのが、「会食」事件に結びつけられて、書かれている。しかし、一方では、逆の〝解説〟もある。

河井検事の異動を推進したのは、福田幹事長の線だといわれている。次席からそのまま東京検事正昇格を期待していた、若手検事たちが多かったのも事実であろう。それが東京という〝現場〟をはずされたり、最高検などの〝栄転〟ではけしからん——それなら福田にシッペ返しをしてやろう。倉石問題で右手を奪われた幹事長だから、左手のイケショウを傷めてやれ。あわよくば幹事長失脚で〝異動の内示〟は御破算カモネ、とばかりに服役中の久保の調書をとり、突如として〝イケショウへの疑惑〟が具体化した。

その辺の、捜査の経過や証拠関係に〝作為〟が感じられたので、総長らは(事情が読めたので)現場の地検の意見に同意せず、慎重を期して、会議決定が長びき、最終的に在宅起訴となった——とする〝解説〟である。

黒幕・政商たち p.236-237 「社会正義」の最後のトリデ

黒幕・政商たち p.236-237 「検察の押収資料が日共機関紙アカハタに流れ、検察最高会議の内容が洩れるのは、重大問題だ」という、同氏の主張は「正論」である。
黒幕・政商たち p.236-237 「検察の押収資料が日共機関紙アカハタに流れ、検察最高会議の内容が洩れるのは、重大問題だ」という、同氏の主張は「正論」である。

一方は、会食事件の事前打ち合わせが、総長の在宅起訴裁決につながるといい、他方は、河井検事異動への反発捜査の不純さに、総長の熟慮になったという。司法の独立とはいっても、それは裁判所のことであり、検察官はやはり行政官なのである。この二説とも、いずれも虚妄でもあり、また真実でもあろうか。〝総長のみが知る〟である。その総長が「公正を曲げていない」という。信ずる以外はあるまい。

事実、社会党の大倉議員の嫌疑進行の段取りに比して、池田議員は幕切れ近く突然の登場であり、久保供述(池田氏によれば、久保が福島から前に池田宛と称して百万円とったのを、横領で追起訴するゾと責めて、引き換えに供述させた=週刊現代七月十一日号)問題も、後味の悪いことは確かである。

池田代議士の容疑は、いずれ公判で明らかにされるのだからさておけば、「検察の押収資料が日共機関紙アカハタに流れ、検察最高会議の内容が洩れるのは、重大問題だ」という、同氏の主張は「正論」である。

はてさて、正義とはなんだろうか。

力のある奴、金のある奴、権力をもつ奴、ズウズウしい奴、ハレンチな奴——それが、「社会正義」ならば、私も考え直して、バスに乗るとしようか。イヤハヤ……

私たち市民が、「社会正義」の最後のトリデと恃んでいた「検察」が、馬場派にせよ、岸本

派にせよ、このていたらくでは、それこそ、ベ平連にならって、「検察に正義を!市民連合」でも、組織をせざるばなるまい。

〝法の正義〟は、いまや、集団の前で蹂躙されつつあるのではないか。〝力の正義〟と戦うために、私たちはどうしたらよいか。

一体、「社会正義」とはなんだ!