日別アーカイブ: 2020年8月2日

黒幕・政商たち p.206-207 本人の過去、経歴が明らかでない

黒幕・政商たち p.206-207 「中央観光の場合、サギ倒産の疑いが極めて強い。二億円以上の使途不明金がある」という。小島社長をめぐる黒い噂はまだある。
黒幕・政商たち p.206-207 「中央観光の場合、サギ倒産の疑いが極めて強い。二億円以上の使途不明金がある」という。小島社長をめぐる黒い噂はまだある。

長期信用銀行が、中央観光に融資したのは四十一年。麹町税務署が同社箱根事業所を税金の未納で滞納処分にしようとした時、急拠貸しつけられたものという。東海銀行の融資態度と共に、疑惑がもたれるのも当然である。

三信商事は、市中金融業者説があるが、〝実はある相互銀行のトンネル会社。金利は銀行並み〟(中央観光大矢事業対策部長)というのだが、裏利が付きもののトンネル会社なら、貸金業者とみても間違いない。清水建設の債権は本社ビル(千代田区平河町)改築工事の未払代金である。

倒産理由について、大手債権者の東海銀行はこういう。

「箱根を建設した後、本社ビルをムリして取得、改築した。この費用が約一億八千万円。また、南房計画は、当行としても反対していたが、結局遅延してムダな経費をかける始末となった。

箱根の方だけをガッチリ固めてゆけば、月間平均約一千万円の収入があったのだから、何とか破タンを来たさずにやれた筈」

しかし、五月から二カ月余にわたって調査していた栗田氏は、

「中央観光の場合、サギ倒産の疑いが極めて強い。箱根だけでは明らかに収容不可能と判る過剰な会員を集め、一泊五百五十円とうたっても実際には二千円以上にもつき、決して安くはない。また会員預り金や負債などから推定すると二億円以上の使途不明金がある」という。

小島社長をめぐる黒い噂はまだある。乱脈な経営からの役員連中の内紛、五十嵐某の乗取り事件、四十三年二月に爆発した同社労組員の不当解雇、さらに「逓信運輸協会」事件など同社の

メチャクチャな内情、小島社長の放漫経営ぶりを伝える例は余りに多い。今まで表面化した「政治家と結んだ虚業家」の他のケースと同様に、本人の過去、経歴が明らかでないという点でも一致している。

小島社長は福岡県田川の出身といわれ、新報知新聞、京浜ゴルフ常務という略歴が、公式にいわれている。某新聞社営業部、京成電鉄などにも在籍したとの説もあり謎の部分が非常に多い人物だ。

さて、問題は会員からの預り金で、中小企業からかき集めた金は入会保証金、維持会費の二本立てになっており、入会保証金は三年預り(南房の場合、個人会員五年と十年)の建て前である。

小島社長の放漫経営をめぐる黒い噂について、「会員預り金」の持つ意味が大きいだけに、栗田氏の指摘する「使途不明金二億円以上」とともに、今後徹底的な究明がされなければなるまい。

デビ夫人が「パパ」と呼ぶ人

さて、こうして、各種のケースを眺めてみると、〝政治家と結んだ虚業家〟の像が、ハッキリと浮んでくる。旧聞だが、スカルノ氏にミス明眸金勢さき子さんを献じた木下商店や、それ を真似たデビさんの東日貿易久保正雄社長なども、好適例であろう。そして、デビさんは、やがて川島正次郎氏を〝パパ〟と呼ぶようになる。

黒幕・政商たち p.208-209 川島正次郎氏を〝パパ〟と呼ぶ

黒幕・政商たち p.208-209 毎日の写真は、児玉誉士夫氏から入っているが、朝日は児玉氏は入らず、週刊新潮も「詐欺常習者にいつもの顔ぶれ」と題して掲載したが児玉氏がカットされていた。
黒幕・政商たち p.208-209 毎日の写真は、児玉誉士夫氏から入っているが、朝日は児玉氏は入らず、週刊新潮も「詐欺常習者にいつもの顔ぶれ」と題して掲載したが児玉氏がカットされていた。

デビ夫人が「パパ」と呼ぶ人

さて、こうして、各種のケースを眺めてみると、〝政治家と結んだ虚業家〟の像が、ハッキリと浮んでくる。旧聞だが、スカルノ氏にミス明眸金勢さき子さんを献じた木下商店や、それ

を真似たデビさんの東日貿易久保正雄社長なども、好適例であろう。そして、デビさんは、やがて川島正次郎氏を〝パパ〟と呼ぶようになる。しかし、最近でいうならば何といっても、四十一年暮の「東京大証」事件である。そして、毎日新聞は、十一月二十九日朝刊に、「政治家の顔、また登場」と、水野社長の結婚披露宴の、メイン・テーブルの写真をスクープした。朝日は十二月三日付朝刊で、毎日の写真と角度をかえて、「波紋描く詐欺師の祝宴」と同様な〝証拠写真〟を報じた。

毎日の写真は、左手前なので、児玉誉士夫氏から入っているが、朝日は右手前からで児玉氏は入らず、後を追った週刊新潮も「詐欺常習者にいつもの顔ぶれ」と題してこの写真を掲載したが児玉氏がカットされていた。

詐欺師と政治家——この奇妙な交際を確認するため、ここでは、一昨年の吹原——森脇——大橋富重——田中彰治事件と、こんどの大証事件にいたるまでの、「週刊新潮」誌のサワリをひろって、なぞってみた。

〝黒い霧〟周辺の人言行録

「吹原さんの共犯者みたいにいわれている黒金もほんとうは被害者でそれも大平さんなんかよりもずっと大きい被害者なんですのよ。黒金の女性関係までウワサされているようですが、あのウワサされている方(注=吹原ビル地下の喫茶店〝絵美〟の女経営者で、元新橋芸者であった南雲美奈江さんのこと)は、ほんとは黒金のじゃなく、黒金の友人のなのですよ」(黒金泰美氏夫人)(週刊新潮四十年五月十七日号)

元新橋の芸者で今はレストランのマダムに納まっているI女史がズバリ。

「黒金さんの奥さんが喜美代さん(美南江さんの新橋時代の源氏名)は黒金の友人の二号さんだというようなことをいってるらしいけど、あれはいけませんねえ。他人に迷惑かけることですわ。黒金さんの友人なんていったら、大平さんとか前尾さんが疑われますよ。喜美代さんが黒金さんの二号さんだということはハッキリしていることだし、子供もいることなんだから、ああいういい方をしてはいけませんよ」(週刊新潮四十年六月十九日号)

事件の方向転換に、結果的に片棒をかつぐことになった大橋富重氏の「問題の経緯」に関する話を聞いておこう。「今度の発表(地検の)では、森脇さんの金利違反脱税をまるでぼくが 裏付け、そっちへホコ先を向けるのに一役買っているようだ。——といわれてもあれは森脇さんが(地検に)ご自分で持ってった書類から出たんでしょう。

黒幕・政商たち p.210-211 四人が組んでやった大きな仕事

黒幕・政商たち p.210-211 光明池だけでも田中角栄は十億円もうけた。田中—小佐野のコンビは、このほかに七カ所の土地売買で巨額の利益をあげた。この手口を見ていたのが田中彰治
黒幕・政商たち p.210-211 光明池だけでも田中角栄は十億円もうけた。田中—小佐野のコンビは、このほかに七カ所の土地売買で巨額の利益をあげた。この手口を見ていたのが田中彰治

事件の方向転換に、結果的に片棒をかつぐことになった大橋富重氏の「問題の経緯」に関する話を聞いておこう。「今度の発表(地検の)では、森脇さんの金利違反脱税をまるでぼくが

裏付け、そっちへホコ先を向けるのに一役買っているようだ。——といわれてもあれは森脇さんが(地検に)ご自分で持ってった書類から出たんでしょう。政治家との関係もどうこういわれるんでしょうが、そら伴さん(故大野伴睦氏のこと)とは親子のような関係でしたし、政治家でもトップクラスの方なら、池田さんでも佐藤さんでも川島さんでも河野さんでも——中曾根代議士なんか、十何年の親しい仲ですしねえ」(週刊新潮四十年七月二十四日号)

二宮氏によると、田中角栄、小佐野の両氏は古くからのなじみであり、蔵相就任前に田中氏が代表取締役をしていた家の月賦販売会社「日本電建」を経営困難から小佐野氏に「引き取っ

てもらった」という間柄である。〝光明池〟問題は、この田中氏の〝民間業者と大臣との身分の使い分け〟がいっそうロコツに現われているという。

「あの光明池だけでも田中角栄は十億円ちょっともうけたという話を、私は大橋富重の口から聞いています。また田中——小佐野のコンビは、このほかに七カ所の土地売買で巨額の利益をあげたらしい。この手口をずっと見ていたのが田中彰治で、彼は小佐野や大橋をゆさぶったわけです。大橋、田中(彰)が逮捕されてから、もうかなりその辺の事実を自供してしまっているというから、あるいは事件は小佐野——田中(角)へ飛火し、さらに進めばこの二人にさる右翼の大将、それに某銀行家を加えた四人が組んでやった〝大きな仕事〟にも火がつくかも知れない…」と某代議士は語っている。(週刊新潮四十一年十月二十二日号)

終章 検事総長会食事件

昭和四十三年。十月八日付日本経済新聞夕刊=東京地検特捜部は、八日朝から新日本新聞社社長小原英丘(えいきゅう=本名孝二・55)と、同社員ら計六名を、中曾根康弘運輸相らに対する名誉棄損と、日通をきょうかつした容疑で、任意出頭を求めて取り調べを始めた。調べが済みしだい同日中に次々と逮捕していく見込み。

黒幕・政商たち p.212-213 暴力団員が〝たまたま〟傍聴

黒幕・政商たち p.212-213 吹原・森脇事件の公判廷で児玉誉士夫氏が「森脇被告におどかされた」と申し立てた事件。〝児玉と河井次席検事のデッチあげ〟は、朝日だけ書いてある。
黒幕・政商たち p.212-213 吹原・森脇事件の公判廷で児玉誉士夫氏が「森脇被告におどかされた」と申し立てた事件。〝児玉と河井次席検事のデッチあげ〟は、朝日だけ書いてある。

真の支配者は誰か

〝児玉アレルギー〟の震源地

虚業家が政治家に結びつこうとするなら、ゴロ新聞雑誌は大企業に喰いつこうとする。彼らはその草創期においては、広告収入がないために何とかして喰いついて、広告をとらねばならないからだ。その〝苦闘〟時代を終って、安定期に入った新聞社や雑誌社、しかも政界新聞、経済雑誌などでは、そのような過去を、口を拭って素知らぬフリをしているのもある。このような連中が、〝トリ屋〟である。総会屋の経営するものとは、若干の違いがある。

例えば、サイエンス・ランドの項に登場して頂いた、「新評」の御喜屋康太郎氏などは、スケールが大きくて〝トリ屋〟には入らないし、進歩的な編集で知られる綜合雑誌「現代の眼」の社長木島力也氏なども、また別の意味で〝トリ屋〟ではない。

木島氏は、総会屋の親分の住込書生からスタートした、立志伝中の人物である。親分が警視庁に逮捕されるや、雨の日も風の日も休まず差入れに通って、刑事たちに感心されたという。

大会社の総務担当者(総会屋、トリ屋係)たちの評判も良いし、経済雑誌をさけて、進歩的

綜合雑誌に注目したあたり、さすが〝代議士〟たらんとするだけはある。

ここで注目をしなければならない事実がある。

八月七日、吹原・森脇事件の公判廷で弁護側証人として出廷した児玉誉士夫氏が、証言前に特に発言を求めて、「森脇被告におどかされた。暴力団をよこして、証言をかえろといわれた」と、裁判所に申し立てた、という事件である。

この新聞報道をみると、三紙はそれぞれ三段ほどで書いているが、一番詳しい八日付の東京タイムズ(共同通信の原稿と思われる)をみてみよう。「証言訂正でおどす、児玉誉士夫氏が爆騨宣言、保釈取り消しか」という三段見出しの記事である。

読売、毎日には〝スイス亡命説〟はあるが〝児玉と河井次席検事のデッチあげ〟はなく、朝日だけ「児玉氏と捜査当局が結託して、デッチあげた事件」だと書いてある。

総長会食事件を報じた、「財界展望」という経済雑誌は、九月一日号で八月二十九日の発売である。この雑誌の体裁から類推すると、表紙にまで刷りこんだトップ記事であるから、原稿の締切は二週間から三週間前の、八月八日から十五日までの間である。大体、十日前後と見るべきであろう。

さて、前記の児玉証言の記事である。読み通してみると、児玉氏を〝オドカ〟した二人の暴力団員が、〝たまたま〟傍聴にきていたので、検察側が即座に在廷証人として申請して、対決

の結果、児玉証言を裏付けたというものである。しかも、〝その事実〟によって森脇被告らの保釈取消しの検討をした、という内容である。

黒幕・政商たち p.214-215 何という被告らへの〝オドカシ〟

黒幕・政商たち p.214-215 大熊昇検事。特捜部のエースと呼ばれ、河井次席検事の〝秘蔵ッ子〟である。特捜部の情報(内偵)担当で、重要な〝事件〟は主としてこの人に割り当てられる。
黒幕・政商たち p.214-215 大熊昇検事。特捜部のエースと呼ばれ、河井次席検事の〝秘蔵ッ子〟である。特捜部の情報(内偵)担当で、重要な〝事件〟は主としてこの人に割り当てられる。

さて、前記の児玉証言の記事である。読み通してみると、児玉氏を〝オドカ〟した二人の暴力団員が、〝たまたま〟傍聴にきていたので、検察側が即座に在廷証人として申請して、対決

の結果、児玉証言を裏付けたというものである。しかも、〝その事実〟によって森脇被告らの保釈取消しの検討をした、という内容である。

何という猿芝居であろうか。そして、何という被告らへの〝オドカシ〟であろうか。

児玉証言の〝事実〟の有無ではない。朝日記事の通り〝児玉氏と捜査当局の結託〟が、これほど明らかに示されたことはあるまい。今、政財、官界を問わず、名のある人、金のある人に一番コワガラれているのは、〝右翼の巨頭〟と紹介され〝政界の黒幕〟と呼ばれる、児玉誉士夫その人であって、新聞雑誌の記者、編集者たちが、「児玉」と聞いただけで緊張し、その姓名を活字にするのを避けようとする奇妙な〝児玉アレルギー〟の震源地ではないか。

その人物が、逆にオドカされたとは! しかも博徒という連中が、何の理由でツマラヌ裁判の傍聴に、二人打ち揃ってきていたというのか? 仲間の傷害裁判ならともかく、政界裏面の〝黒い霧〟に、この御両人はそんなに興味があったのか? そして、素早く在廷証人を申請して対決させる公判検事。

もちろん、弁護側の児玉証人と公判検事との、事前の十分な打ち合わせで、脅迫者二人を呼びよせての茶番劇であることは、東タイの記事で明らかである。朝日は「立会いの藤本一孝検事」の名前を出しているが、私が調べてみると難波主任検事のほかに、同事件の捜査検事である、地検特捜部の大熊昇検事も公判に出ている。

サル芝居に踊る被告・森脇

大熊昇検事。特捜部のエースと呼ばれ、河井次席検事の〝秘蔵ッ子〟である。特捜部の情報(内偵)担当で、重要な〝事件〟は主としてこの人に割り当てられる。日通事件の最中に、防衛庁・伊藤忠事件が起き、これを機密ろうえい事件として、地検公安部が捜査することになるや、特捜部から公安部に出張して、事件の捜査経過にタッチしていた。記者クラブの見方は、大熊検事が昨秋ごろから、「汚職」事件としての防衛庁事件を手がけていたからだという。

このことをさらに〝解説〟して、「日通で忙しいから、今はスパイ事件だけにして、あとで特捜が汚職をほるための資料あつめ」説と「折角、公安部に割り振って、スパイで喰い止めようとしているのに、公安部に暴走されて、掘られすぎるのを防ぐ」説との二説がささやかれる。

事実、伊藤忠商事ばかりが〝悪役〟にされて、防衛庁事件は終わった。今秋のFX以降、伊藤忠商事は、防衛庁特需に肩身がせまくなるのは当然だし、現役将官の自殺者まで出ているのだから、伊藤忠は〝商戦〟に参加できなくなろう。機密ろうえい事件の事実関係はさておき、伊藤忠の脱落で利益を得る者は誰なのか? どこの商社なのか?

大熊検事が、昨秋から手がけていた情報捜査となると、そのネタモトは誰か? ということ になってくる。話はさかのぼって、ロッキード・グラマン空中戦以来の、登場人物たちを調べねばならない

護国青年隊関連資料/『日本を哭く』推薦の言葉・三田和夫

関連資料 元護国団団長・石井一昌著『日本を哭く』推薦の言葉 正論新聞編集長 三田和夫
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関連資料 元護国団団長・石井一昌著『日本を哭く』推薦の言葉 正論新聞編集長 三田和夫

石井一昌著「日本を哭く」をご紹介する

正論新聞 編集長 三田 和夫

昭和三十二年春ごろのこと。当時、読売新聞社会部記者だった私は、光文社発行の「三光」(注・支那派遣軍の暴虐ぶりをバクロした本)が、護国青年隊の抗議に、広告を中止し、絶版を約束させられた、という情報を得て調べはじめた。と、岸首相が自民党幹事長時代に、やはりオドされて、金を出したという話も出てきた。当時の中村長芳秘書が、警視庁捜査二課に事情をきかれた、という。

それらの取材を終えて、社会面の大きな記事になったその日から、社の読者相談室は、護国青年隊の抗議の波状攻撃を受けて、騒然とした空気に包まれていた。

「三田の奴メ! 同志のような顔をしやがって、裏切りやがったな。どうするかみていやが れ!」(拙著「最後の事件記者」より)

そんな彼らの言葉も、耳には入ってきていた——それから一年余を経て、私は、横井英樹殺害未遂事件にからむ、安藤組の犯人隠避事件の責任を取って、読売を退社する。

昭和四十二年元旦付号から、私は、独力で「正論新聞」を創刊する。読売退社から八年余、雑誌の寄稿家として生活するうち、出版社の都合で、私の原稿はカットされ、ボツにされることが多くなった。本当のことを書くとモメるのである。「三田の原稿はヤバイ」ということである。そのため、自分が発行人で、編集人で、執筆者でなければならない、という結論に至ったからだ。

「私はかつて読売記者時代、『護国青年隊』の恐喝事件を取材して、総隊長・石井一昌に会った。昭和三十二年四月十九日である。その時の印象は、まさに粗暴な〝飢えた狼〟であった。彼は、読売記事を読んで激怒し、私を憎んだ。連日のように、読売本社に押しかけ、私を痛罵したものだった。

そして、本紙(注・正論新聞)がさる四十五年暮れに、『右翼暴力団・護国団』を取りあげるや、当時潜行中の彼は機関誌の『護国』に地下寄稿して、またもや、私を非難攻撃した。

しかし、因果はめぐる小車…で、私は、彼の自首説得に、小さな力をかすことになる。保釈になった彼は、その尊敬する先輩の事務所で、正論新聞の綴じこみを見て、質問したのだった。その先輩は、『真の右翼浪人たらんとするなら、正論新聞もまた読むべし』と訓えられたという。…こうして、私と彼とは満十五年目のさる昭和四十七年四月二十九日に、再び相会って握手をした」(正論新聞47・10・15付、連載『恐喝の論理…〝無法石〟の半生記』続きもののはじめに、より)

こうして、私と彼との交際がはじまり、すでに二十三年になる。さる平成六年四月二十九日、「護国団創立四十周年記念会」の席上、私は指名されて、あいさつを述べた。

「…実は、石井さんは、当時隊員たちに指令して、〝いのちを取っちゃえ〟という目標の人物を十五名リストアップしていた。その最後の第十六位にランクされたのが、私だったのです…」と。

いのちを〝取る〟側は、国の将来を憂えてその邪魔者を排除する信念。〝取られる〟側は、真実を書き貫こうとする信念。その死生観には、共通するものがあって、対立する立場を乗り越えて、結ばれた友人である。これをいうならば、〝怪〟友といわんか。それは 快友であり、戒友であり、魁友でもある。

平成三年十一月「正論新聞創刊二十五年を祝う会」で、私は、この話を披露した。「この席には〝捕える側〟も〝捕えられる側〟も参会されている…」と。

読売の警視庁記者時代に親しくした、土田国保、富田朝彦、山本鎮彦の昭和十八年採用の元長官たちと、石井さんはじめ、稲川会や住吉会の幹部たちのことを話したのだった。

昭和三十二年、売春汚職事件にからんだ立松記者誤報事件で、対立関係にあった当時の岡原昌男・東京高検次席検事(故人。元最高裁長官)も、「…正論新聞の論調は〝おおむね〟正論である。どうして、おおむねをつけたかといえば、ある時には、三田編集長の個人的見解が、色濃く出されているからです…」と祝辞を下さった——対立のあとにくる友情とは、こういうものであろうか。

「右翼といいながら、ゴルフ三昧の奴や、クラブを経営しているのもいるんだ」——このパーティーのあとで、石井さんは、痛憤の情を吐露した。

「ウン。むかしの『恐喝の論理』の続編でもやろうか。日ごろ、感じていることを、メモに書き留めておきなさいよ」と私。それからまた歳月が流れる。「石井一昌の憂国の書を出版したいんだ。もう年だから、総括をしておきたい。だれか、書き手を紹介してよ」と頼まれて、まる五年——とうとう、このほど「日本を哭く—祖国の建直し、魁より始めよ」が立派な本になった。

「この本のため、石井のいのちを取っちゃえというのが、現れるかもしれない。だが、自分の信念のために斃れるなンて、カッコいいじゃないですか」と、石井さんは笑う。かつて私は、彼の第一印象を、「粗暴な〝飢えた狼〟」と評した。が、いまも、顔は笑いながらも、眼は、決して笑っていなかった。

この著の、戦後秘史としての価値が大きいことを、ご紹介の第一の理由とする。

(平成七年十二月一日記)