投稿者「mitaarchives」のアーカイブ

黒幕・政商たち p.218-219 O記者が河井検事の部屋に出入り

黒幕・政商たち p.218-219 検察内部の派閥抗争——岸本派の井本総長とその支持者池田代議士を葬らんとする、馬場派の河井次席検事と特捜部〝有志検事〟らの権力ろう断をさすものだ。
黒幕・政商たち p.218-219 検察内部の派閥抗争——岸本派の井本総長とその支持者池田代議士を葬らんとする、馬場派の河井次席検事と特捜部〝有志検事〟らの権力ろう断をさすものだ。

すると、「児玉と河井のデッチあげ説は森脇のデマ」というのも否定していることだ。検事が、児玉証人や暴力団員たちと、事前に準備した発言中に、「児玉と河井の共謀説」があったことは、一体何を意味するのであろうか。つまり前述した〝風聞〟を公式な形で否定しようとしたのか? しかし、新聞記事で見る限り、〝共謀説〟は却って裏付けされた感じがするのは否めない。

この時期、八月八日に「勝利」誌九月号が街に出てきた。ひろげてみると、「わが輩のケンカはこれからだ。邪道におちたか検事さん、私は納得できない」と題する、イケショウこと池田正之輔議員の一文がある。題名通りに、検察への〝挑戦〟的な文章だ。もっとも、すでにさる七月一日付で、法務大臣、検事総長への公開質問状と声明書が出されている。これも、もちろん「検察権力内部に巣喰う宿弊と、司法界の浄化・改革」のためのものであった。

池田代議士のいう〝宿弊〟とは、もちろん総長会食事件の報道のさいの、池田談話の趣旨である、検察内部の派閥抗争——岸本派の井本総長とその支持者池田代議士を葬らんとする、馬場派の河井次席検事と特捜部〝有志検事〟らの権力ろう断をさすものだ。

さて、これらの現象を時間的につづり合わせてゆくと、池田代議士の挑戦——河井検事のウィークポイントの〝風聞〟抹殺協議——児玉発言——池田代議士の再挑戦(勝利誌)——「財界展望」誌の原稿締切、と、八月中旬を中心に動きが出ているのである。

そして、さらに注目すべき事実がある。

日時は記録されていないので、正確には判らぬが、八月十日前後ごろ、福田幹事長の市村秘書のもとに、某週刊誌記者なる人物が現われた。O記者は福田幹事長に対し、大要「幹事長の身辺のことが、何か記事になって出るらしい。ほっておいてもいいのですか」と、〝誘い水〟をかけた。身辺のことが何であるかも、何処の記事になるのかも、具体的な話はしていない。

それは困る、何とかしてくれ。それでは私が調べましょう——と進めば、〝金〟が動いても恐喝にはならない。だが、市村秘書は断わった。O記者の〝売りこみ〟にのらなかったのである。というのは、私の調べたところでは、市村秘書は福田幹事長に、以前にクギをさされていた。「Oの話には乗るなよ」と。

司法記者クラブの多くの記者が、このO記者が河井次席検事の部屋に、しばしば出入りしているのを目撃している。そればかりではない。同席したある記者は、河井検事が「まあ、しっかりやりなさい」と励ましの言葉をかけ、O記者が退室したあと、「あんなのを信頼しているワケではない」と、弁解がましくいうのを聞いてもいる。

O記者について、「勝利」誌十月号は、「三和銀行猪原専務の日新製鋼副社長転出」事件という、特集記事をまとめて、その中に匿名で〝恐喝〟者として登場させている。この猪原専務転出の背景について、同誌「本誌特別取材班」は極めてセンセーショナルに、興味本位の取り あげ方をして、真相には、ほど遠い。総長会食事件のキッカケも、知名度の低い経済雑誌財界展望誌の記事であるから、O記者の〝活躍〟紹介と合わせて、ここに事情を述べよう。

黒幕・政商たち p.220-221 小佐野から大橋富重に伝わった

黒幕・政商たち p.220-221 そして、融資の名目で千三百万円をうけとったといわれる。うち、三百万円は、O記者の手にわたったとか…すでに警察が動いていた。それも、油井「実業界」社長の三和銀行恐喝事件としてである。
黒幕・政商たち p.220-221 そして、融資の名目で千三百万円をうけとったといわれる。うち、三百万円は、O記者の手にわたったとか…すでに警察が動いていた。それも、油井「実業界」社長の三和銀行恐喝事件としてである。

O記者について、「勝利」誌十月号は、「三和銀行猪原専務の日新製鋼副社長転出」事件という、特集記事をまとめて、その中に匿名で〝恐喝〟者として登場させている。この猪原専務転出の背景について、同誌「本誌特別取材班」は極めてセンセーショナルに、興味本位の取り

あげ方をして、真相には、ほど遠い。総長会食事件のキッカケも、知名度の低い経済雑誌財界展望誌の記事であるから、O記者の〝活躍〟紹介と合わせて、ここに事情を述べよう。

「三和銀行へ行ってみろ!」

ここに二人の〝トリ屋〟がいた。やがて二人は成長して、一人は鳥飼毅「財界展望」社長、一人は油井宏之「実業界」社長となった。三鬼陽之助「財界」社長が、東洋経済新報の記者出身というのは例外として、群小経済雑誌の社長は、いわゆるA級経済誌か老舗社の営業出身。

油井社長は、小佐野賢治国際興業社長と同郷のため、経営的には小佐野社長、政治的には中曾根代議士をバックにして、今日の「実業界」誌を築いたと自称している。

大橋事件の主人公、大橋富重興亜建設社長は、事件後にボス児玉氏の不興を招いたらしい。児玉系列の人々は、「児玉さんに見放された大橋はダメ」と、極言する。一方、「児玉さんは吹原から五反田ボーリング場を取りあげて、平本一方にやらせたように、大橋から興亜建設をとりあげて、Oにやらせようとしている」と、語る人もいる。ついでながら、「Oが河井検事のもとに出入りするのは、児玉さんのお使い役のマッチポンプさ」と見る人もいる。

さて、そのような〝情報の渦〟の中で「勝利」誌が活字にした、次のような話が私のもとにもたらされた。

やがて、話は小佐野氏からT氏(注。大橋富重)に伝わった。氏は人も知る財界のアウトロー。つねに黒いウワサの渦中にもまれた人物である。

T氏は、その一部始終をA社の週刊誌記者Oに話し、『三和へ行ってみろ、おもしろいゾ』と、つけ加えた。O記者が取材にいったころあいを見はからってT氏みずから村野氏(注。三和銀行副頭取)に面会を申しこんだ。そして、融資の名目で千三百万円をうけとったといわれる。うち、三百万円は、O記者の手にわたったとか…」

「勝利」誌十月号はこのように書いているが、私も〝情報〟としてこれを知り、すぐ取材に着手した。調べてみると、すでに警察が動いていた。それも、油井「実業界」社長の三和銀行恐喝事件としてである。

三和首脳部は、渡辺会長、上枝頭取、村野副頭取の三人で動かしている。猪原専務の他にも、中井専務も出たし、特別に〝追い出し〟劇を仕組む必要はないし、第一、渡辺忠雄会長の人柄からみて、かつ、その二十年の実績からいって、人事の内紛が起こり得ようハズがない。「財界」三鬼氏の筆によると、「渡辺会長の政治家嫌いは徹底していて、財界関係のパーティでも、政治家が現われるとサッサと帰ってしまう。もう少し何とか…」というほどである。

さて、児玉氏に見放され、〝財界アウトロー〟の孤児となった大橋氏は、千葉県浦安沖に貯木センターを造る、と計画して、前島銘木店に話をもちこんだ。何とか、金を回さねばならぬ

からである。ここで前借を一億円ほどもしたといわれる。一方、三和にも何かといいよったらしいが、三和が相手にしない。

黒幕・政商たち p.222-223 三和の株主総会前にバラまこう

黒幕・政商たち p.222-223 そこで、〝猪原専務追放劇〟を示唆して、油井氏に吹きこんだ。彼は記事を書き、「実業界」六月号に掲載した。猪原氏は小佐野社長にアッセンを頼んだ。「実業界」六月号、公称一万二千部は百五十二万余円で買い取られた。
黒幕・政商たち p.222-223 そこで、〝猪原専務追放劇〟を示唆して、油井氏に吹きこんだ。彼は記事を書き、「実業界」六月号に掲載した。猪原氏は小佐野社長にアッセンを頼んだ。「実業界」六月号、公称一万二千部は百五十二万余円で買い取られた。

さて、児玉氏に見放され、〝財界アウトロー〟の孤児となった大橋氏は、千葉県浦安沖に貯木センターを造る、と計画して、前島銘木店に話をもちこんだ。何とか、金を回さねばならぬ

からである。ここで前借を一億円ほどもしたといわれる。一方、三和にも何かといいよったらしいが、三和が相手にしない。

そこで、〝猪原専務追放劇〟を示唆して、油井氏に吹きこんだ。彼は「猪原が犠牲にされた、可哀想だ。それにしても首脳部は薄情だ」という記事を書き、「実業界」六月号に掲載した。

三和の株主総会前にバラまこうという狙いだ。記事を読んでみると、中味は何もない、説得力に欠ける雑報にすぎない。

彼はそれを第一に、猪原氏に知らせた。三和系列下の日新製鋼副社長ともなれば、三和と協調してやらねば仕事にならない。猪原氏は自分がホメ者で、三人の上司がワル者にされているその記事に、大迷惑である。そして小佐野社長にアッセンを頼んだ。「実業界」六月号、公称一万二千部は百五十二万余円で買い取られた。三和側にいわせると、「すべて小佐野氏が計らってくれたことで三和は関知しない」という。警察は、何とか三和銀行の被害届を取って、事件にしようと考えている、という実情であった。

三和銀行幹部の一人は、私の質問に答え、「千三百万円の件は全く無根です。大橋氏にあってもいないし、例の事件以後、融資は一件もないハズです。第一、銀行がユサブられて千三百万円もヒョイと出ると思いますか」

「鷲見メモ」の内容

警察が、油井事件を調べていた副産物に、「新日本新聞」事件というのがでてきた。大阪で、カネボウに喰いついているこの週刊新聞は、最近しきりと東京、ことに国会筋に入りこもうとしている。近江絹糸の総会に松葉会を導入したのもこの新聞である。猪俣浩三社会党代議士たちが、株を一時期もたされたのも、同代議士によると「自民党へ政治献金した内容が判るから」という、甘言にのせられたのだそうだが、それもこの新聞だ。ここが最近、銀行筋から金を集めて、その集金に歩いているのが、編集長小倉某という。「財展」社の出身、鳥飼社長と仲違いして退社したのも、集金の件だといわれる。「新日本」で福島交通の件を書きなぐって、小針社長らから、二件の名誉毀損の告訴が出され、地検特捜部苅部検事係に入っている。銀行集金の件をいいふらしたのは、O記者だとして、小倉編集長は、「Oはけしからん」と、ふれ歩いている。「財展」誌の鳥飼社長とは不仲だが、「会食」事件の執筆記者村井某とは、昔の同僚のヨシミで交際がある。

こうして、八月二十九日に「財展」誌が発売されるや、翌三十日付アカハタ紙にも、この会食事件がスクープされた。つまり、アカハタ紙は、「財展」誌の発行を待って、同時にスター

トしたのである。九月二日に検事総長が司法記者クラブでの会見で、事実関係を認めて、三日付各紙に大々的に報道されるや、アカハタ紙も三日付で報道、さらに翌四日付は一面、社会面の両面を使うという、大扱いぶりである。

黒幕・政商たち p.224-225 捜査当局でなければ知り得ない

黒幕・政商たち p.224-225 このことは、検事の押収した証拠資料が、アカハタ記者(もしくは関係者)に〝見られている〟ことか、〝見せられている〟ことかの、どちらかを裏付けている。ニュース・ソースが地検特捜部という疑い
黒幕・政商たち p.224-225 このことは、検事の押収した証拠資料が、アカハタ記者(もしくは関係者)に〝見られている〟ことか、〝見せられている〟ことかの、どちらかを裏付けている。ニュース・ソースが地検特捜部という疑い

こうして、八月二十九日に「財展」誌が発売されるや、翌三十日付アカハタ紙にも、この会食事件がスクープされた。つまり、アカハタ紙は、「財展」誌の発行を待って、同時にスター

トしたのである。九月二日に検事総長が司法記者クラブでの会見で、事実関係を認めて、三日付各紙に大々的に報道されるや、アカハタ紙も三日付で報道、さらに翌四日付は一面、社会面の両面を使うという、大扱いぶりである。

「財展」誌の記事を良く読んでみると、内容は、四月十九日の花蝶での三者会食、領収証番号と金額、五人の芸者の名前、という、三つの事実しかなく、他の長文は解説である。

さらに仔細に検討してみると、故意か偶然か、領収証番号の末尾二数字が、「四九」と記されており、本物の「九四」が間違えてある。また、芸者の名前がすべてカタカナという点に、ことさららしい技巧を感ずる。

ところが、アカハタ紙の四日付記事には、どの新聞雑誌にも出ていない、「政治評論家I氏」なる人物が登場し、馬場検事総長の後任問題で、I氏が首相に進言、「同時に井本氏は七月二十六日夜(注。四十二年)、赤坂の料亭『小松』で池田代議士と面談、前後して、同代議士秘書鷲見一雄氏とI氏宅を訪れています」と、具体的に〝就任秘話〟を詳細に述べている。

この〝就任秘話〟の部分は、検察当局が押収した「鷲見メモ」の内容そのものである。鷲見氏が、自分の行動予定表に「日付、時間、井本、鷲見、I氏訪問」と記入しておいたもので、井本総長の意志も都合も問い合わせてはおらず、従って〝予定〟に終わり、事実はなかったという。同記事もI氏の否定談話をのせているが井本総長も否定している。当然である。個人の予

定メモにすぎないからだ。

しかし、関係者の供述を知らずに、このメモだけを見た者が判断すれば、「井本総長が池田秘書鷲見氏とI氏宅を訪問した」過去完了の〝事実〟と誤まるのが自然であり、アカハタ紙の記事は、その通りに書かれている。

このことは、検事の押収した証拠資料が、アカハタ記者(もしくは関係者)に〝見られている〟ことか、〝見せられている〟ことかの、どちらかを裏付けている。しかも、この〝就任秘話〟は、池田議員の三百万円贈収賄被疑事件と関係のないことである。ここに、これらの記事の「謀略性」がひそんでいる点であり、ニュース・ソースが地検特捜部という疑いをかけられる点である。「謀略」と国民の「知る権利」とを抱き合わせることは、許さるべきことではない。

「謀略」は「公正なる報道」ではない。だから、これらの記事のソースは、国家公務員法違反被疑事件として、厳しく追及されねばならない。告発されるべきである。

スクープの同時掲載による、アカハタ紙と「財展」誌の、双方の記事を検討してみると、このような特徴が見出される。

いずれにせよ、両紙誌の記事の内容は、捜査当局でなければ知り得ないことであるのは事実である。そして、そこに、この二つの記事の「謀略」性が発見されるのである。

黒幕・政商たち p.226-227 岸本派と馬場派の抗争の激戦期

黒幕・政商たち p.226-227 岸本派。当時の東京高検検事長、岸本義広氏を頂点とする一派だ。塩野季彦司法大臣からつづく、思想検事の流れである。馬場派。小原直司法大臣からつづく、経済検事の系統で、当時の法務事務次官、馬場義続氏を統領としていた。
黒幕・政商たち p.226-227 岸本派。当時の東京高検検事長、岸本義広氏を頂点とする一派だ。塩野季彦司法大臣からつづく、思想検事の流れである。馬場派。小原直司法大臣からつづく、経済検事の系統で、当時の法務事務次官、馬場義続氏を統領としていた。

いずれにせよ、両紙誌の記事の内容は、捜査当局でなければ知り得ないことであるのは事実である。そして、そこに、この二つの記事の「謀略」性が発見されるのである。

検察、とくに地検特捜部に近く、しかも、「財展」誌とアカハタ紙とを、ともに結べる人物というのは、一体誰であろうか。

もちろん池田正之輔代議士の関係個所に家宅捜索が行なわれ、手帖、メモ類の押収書類からこの会食事件が明らかになったというのだから、日通事件の打ち切りまでの時点で、司法記者クラブ加盟紙がスクープしたというのならば、会食事件記事の「謀略性」は薄くなる。

検察内部の深刻な対立

だが、今まで述べたような、いろいろの「人」と「事件」があったのちの、このスクープである。何らかの意図で、何らかの目的のための〝つくられた〟スクープである。

検察官が「公益の代表者」であることは、法律に明示されている。検事総長の言行が、それに相応しくないのならば、それを糾弾する道は、検察官適格審査会令をはじめとして、公正な方法と手段を用うるべきである。もしも、現職検事にして、その意があるならば、退官して戦うべきである。「犯罪捜査権」という、絶大な国家権力を用いて入手した資料をもって、法律に違反して(秘密を守る義務違反)、検事総長の非違を責めんとするのは、私闘であり、私憤である。大前提である「公益の代表者」ではない。〝就任秘話〟をバクロして、〝黒い霧〟ムードをまき散らさんとする。しかも、おのれは〝安全圏〟に身をひそめている——これが、

私憤、私闘でなくてなんであろうか。唾棄すべき卑劣漢である。

検察の派閥の対立について、これを否定する者がいたら、是非会いたいものである。私は、読売社会部記者として、昭和二十三年秋から、当時の法務庁記者クラブに二年間、昭和三十二年夏から一年間を、司法記者会クラブ員としてすごしたので、その実態をマザマザと目撃してきた。

「検察一体の原則」というのがある。検察庁法を読めば判るのであるが、検事は検事総長を頂点として〝一体〟になる、ということである。従って、総長人事ほど、全検事にとって関心のあるものはない。私が二度目にクラブのキャップとして、検察庁にもどってきた当時が、岸本派と馬場派の抗争の激戦期であった。

岸本派。当時の東京高検検事長、岸本義広氏を頂点とする一派だ。塩野季彦司法大臣からつづく、思想検事の流れである。馬場派。小原直司法大臣からつづく、経済検事の系統で、当時の法務事務次官、馬場義続氏を統領としていた。戦前の塩野、小原の対立が、そのまま戦後に引き継がれてきていたのである。

米軍占領時代、岸本派の領袖は、多く特高検事としてパージにかかっていたため馬場—河井ラインが、昭電事件を契機として勢力を植えつけた。当時の堀検事正は好々爺で、馬場次席—河井特捜検事の組み合わせは、現在の武内検事正、河井次席—栗本特捜副部長—大熊検事を想

起させる。

黒幕・政商たち p.228-229 「ニュースソースは検事だ」と

黒幕・政商たち p.228-229 馬場次官は、研修所長官だった河井検事を法務省刑事課長という〝陽のあたる場所〟にもどした。岸本検事長の指揮下にある、東京地検へは入れなかった。
黒幕・政商たち p.228-229 馬場次官は、研修所長官だった河井検事を法務省刑事課長という〝陽のあたる場所〟にもどした。岸本検事長の指揮下にある、東京地検へは入れなかった。

米軍占領時代、岸本派の領袖は、多く特高検事としてパージにかかっていたため馬場—河井ラインが、昭電事件を契機として勢力を植えつけた。当時の堀検事正は好々爺で、馬場次席—河井特捜検事の組み合わせは、現在の武内検事正、河井次席—栗本特捜副部長—大熊検事を想

起させる。

岸本法務事務次官は、河井検事を法務研修所教官へ左遷した。馬場最高検刑事部長は人事権がないから黙ってみていたのである。岸本次官が東京高検検事長に移るや、馬場氏が後を襲って次官となった。昭和三十二年八月、佐藤藤佐総長の停年に際し、岸本次官は総長を期したが、情勢に阻まれて、無色の花井忠総長(東京検事長)が実現した。すでに、検事長や次長検事を経て次官となった岸本氏だから、東京検事長はそれほど栄転ではなかった。当事の政治部記者の〝噂〟では、馬場次官実現に力をいたしたのは、造船疑獄のエニシで佐藤栄作氏だったといわれる。

「お願いです。検察のためです。あなた方の応援なしでは、検察は堕落します。どうか宜しくお願いします」

手を握りしめんばかりに、気魄のこもった低い声が、一人の若い検事の口から洩れた。当事新任キャップとしての、庁内挨拶回りの時の情景である。このS検事は、岸本総長が実現したら、検察は堕落すると、言外に意味していた。彼は馬場派であったのだ。

馬場次官は、研修所長官だった河井検事を法務省刑事課長という〝陽のあたる場所〟にもどした。岸本検事長の指揮下にある、東京地検へは入れなかった。検事長の停年は六十三歳、検事総長は六十五歳、二年の開きがある。花井総長が在職二年で停年が迫るや、それこそ、両派

は再び激突した。三十四年八月のこと、この停年年齢が岸本検事長の総長就任最後の機会を意味する。なぜなら、翌年四月に岸本検事長の停年がくるからだ。

逮捕されたかもしれない河井検事

佐藤総長の後任争いで、若い検事ですらこのように興奮していたのだから、花井総長の後任問題は、さらに凄まじかったであろう。馬場派の奮戦は、ついに岸本氏の二年後輩である清原最高検次長検事の、総長昇格を実現して、〝岸本総長〟を阻止し切った。

総長を阻まれた岸本検事長にやがて絶好のチャンスがめぐってきた。昭和三十二年十月十八日付の読売朝刊が、当時地検が摘発中の売春汚職で「宇都宮徳馬、福田篤泰両代議士、売春汚職で召喚必至」の、大スクープを放ったからである。その日の午後、両代議士は、読売と地検最高検を名誉棄損で、東京高検に告訴した。「ニュースソースは検事だ」という理由である。

総長会食事件にも似たケースであった。

この記事を取材、執筆したのは、読売の司法記者として高名な立松和博記者であった。彼は、当時病気上がりで、クラブ員ではなかったが、社会部長の直轄で、売春汚職取材を命ぜられていた。彼は、判事の息子で、昭電事件の連続スクープで名を馳せたのであるが、当時の最高検木内次長検事(小原派=馬場派)に、父親の関係から可愛がられていた。彼は当時、馬場次席

の下で事件を担当していた伊尾宏(浦和検事正)、羽中田金一(名古屋検事長)、河井検事らに密着し、雑談での取材打ち明け話では「検事が机上に書類をひろげていて、タバコを探して席を立つ。或いは、便所に行ってくるからといって、書類を伏せて立つと、逮捕状がハミ出ている、といった状態だった」と、私に語っている。

黒幕・政商たち p.230-231 「政治的陰謀」ではないか

黒幕・政商たち p.230-231 岸本検事長直接指揮の、高検検事たちは、馬場派の河井検事を容疑者として、立松、三田両被疑者の調書にその名を記録し、逮捕状を請求して、河井検事を逮捕しようとした。
黒幕・政商たち p.230-231 岸本検事長直接指揮の、高検検事たちは、馬場派の河井検事を容疑者として、立松、三田両被疑者の調書にその名を記録し、逮捕状を請求して、河井検事を逮捕しようとした。

総長会食事件にも似たケースであった。

この記事を取材、執筆したのは、読売の司法記者として高名な立松和博記者であった。彼は、当時病気上がりで、クラブ員ではなかったが、社会部長の直轄で、売春汚職取材を命ぜられていた。彼は、判事の息子で、昭電事件の連続スクープで名を馳せたのであるが、当時の最高検木内次長検事(小原派=馬場派)に、父親の関係から可愛がられていた。彼は当時、馬場次席

の下で事件を担当していた伊尾宏(浦和検事正)、羽中田金一(名古屋検事長)、河井検事らに密着し、雑談での取材打ち明け話では「検事が机上に書類をひろげていて、タバコを探して席を立つ。或いは、便所に行ってくるからといって、書類を伏せて立つと、逮捕状がハミ出ている、といった状態だった」と、私に語っている。

詳しい話は抜きにして、私がつきそって立松記者は、翌日の午後、高検に出頭した。彼を大津検事の調べ室に入れると、私は川口検事に連れられて一室に呼びこまれた。身柄不拘束のまま「被疑者調書」をとるという。調べはニュース・ソースをいえ、であった。

「あんたは、奈良屋旅館で原稿を書いた時一緒にいたという。それじゃ、その前に電話をかけた時も一緒でしょう?」

「ネ、誰です? 明かして下さい。それだけでいいんです。誰検事です?」

言葉は叮嚀ではあったが、川口検事の調べはしつようであった。私は反問した。

「私が、ここで現職検事の名前を、ニュース・ソースとして供述する。調書になる。すると高検はどうします。国家公務員法違反の逮捕状を請求して、その現職検事を逮捕するのですか?」

「ウム。たとえ検事であろうと、そういうことになりますナ」

私は知っていたが、知らないで頑張り通した。読売の方針が、ソースを徹底的に秘匿すると

決まっていたからだ。社の方針には従ったが、私自身の考えは別であった。両代議士が名誉棄損の告訴を起こすほどだから、これは「誤報」であるに違いない。誤報であるならば、その取材経過を公表して、読者に詫びるべきであるし、犠牲となった両代議士の名誉回復を図るべきだ、と考えていた。そして、当時の政治情勢から、藤山愛一郎、安井誠一郎両氏が初出馬する東京二区と七区とから、宇都宮、福田両代議士を落選させる「政治的陰謀」ではないか、と感じていた。

何しろ、娼婦が身体で稼いだ金をピンハネして、売春防止法の成立を阻止しようと、赤線業者がワイロを贈ったという「売春汚職」だから、これに関係した政治家は、〝史上最低の汚職議員〟として、再起できないと見られていた時である。その時〝新聞〟を利用した謀略——考えられることであった。

立松記者もソースの供述を拒否して、逮捕された。〝不当逮捕〟の世論が湧き、拘留請求は却下となり、三日目に釈放された。問題は正力社主の出馬となり、全面取り消しを掲載して両議員に謝罪、告訴は取り下げられて、すべてが片付いた。

その間に私が体験として知ったことは、岸本検事長直接指揮の、高検検事たちは、馬場派の河井検事を容疑者として、立松、三田両被疑者の調書にその名を記録し、逮捕状を請求して、河井検事を逮捕しようとしたことであった。

黒幕・政商たち p.232-233 ネタモトは河井信太郎刑事課長

黒幕・政商たち p.232-233 立松記者は、河井検事の自宅の電話番号を回した。そして、翌日の大〝誤報〟スクープ。あの記事のネタモトは、当時の河井信太郎刑事課長であった。
黒幕・政商たち p.232-233 立松記者は、河井検事の自宅の電話番号を回した。そして、翌日の大〝誤報〟スクープ。あの記事のネタモトは、当時の河井信太郎刑事課長であった。

その間に私が体験として知ったことは、岸本検事長直接指揮の、高検検事たちは、馬場派の河井検事を容疑者として、立松、三田両被疑者の調書にその名を記録し、逮捕状を請求して、河井検事を逮捕しようとしたことであった。

そして、それこそ〝今だから話そう〟である。立松記者は、奈良屋旅館の電話室で私の見ている前で、河井検事の自宅の電話番号を回した。その電話で問答をつづけながら、彼は宇都宮、福田両議員の名前を書き、頭の上に大きな丸印をつけたのである。そして、翌日の大〝誤報〟スクープが生まれた。私が目撃した事実と、立松記者の話から、あの記事のネタモトは、当時の河井信太郎刑事課長であった。そして、立松記者は、この事件以後に本格的に病身となり、ほとんど休職ばかりで、三十七年十月九日、四十歳の若さで、読売城南支局長の閑職で死んだ。——原因は心臓病だが、ニュース・ソース追及の厳しい検事の調べに、三日間も拒みつづけてきた精神の疲れが、彼を廃人にしてしまったようである。

岸本検事長、否、岸本前代議士もまた、失意のうちに、静養先で世を去った。昭和四十年九月九日。無位無官、しかも、選挙違反事件の控訴審被告としてであった。というのは、ついに検事総長を逸した岸本氏に大野伴睦老がハッパをかけたという。

「代議士になれ。当選してきたら、たとえ一年生でもオレが法務大臣にしてやる。そして、馬場のクビを切れ!」

停年半年後の岸本氏は、大阪五区で当選して大野派に属した。だが、岸本氏の当選が決まるや、馬場派の反撃はすさまじく、大阪地検が徹底的に選挙違反を洗いはじめた。当時の検事正は、自他ともに〝岸本派〟と認められていた、橋本乾三検事であったが、〝親分の寝首を掻い

た〟と評された。「検察の長老なるが故に、違反は許されない」と、記者会見で弁明したが、正論は正論としても、風当たりは強かったようである。そして、この時まで馬場次官——竹内刑事局長——河井刑事課長の体制であった。

井本総長は、〝李下の冠〟として非難された。これは、国民に疑いを感じさせてはいけないということである。だが、私は、極めて主観に走りすぎるといわれるかも知れないが、やはり、検察の「公正」に疑いを感ずるのである。

崩れ落ちた〝最後のトリデ〟

マスコミのつくる〝虚像〟——こんどの、井本検事総長「会食」事件の報道をみてつくづく記者の不勉強が感じられる。例えば「河井検事の東京地検か、東京地検の河井検事か」という言葉がある。事件を報道する司法記者クラブ員が、〝検事ベッタリ〟にならざるを得ないのは、現場記者として当然のことである。これをチェックするのが、論説やコラムではあるまいか。今度のケースでは、毎日新聞の報道態度が一番まともである。新聞が不勉強で「謀略」に利用されたり、週刊誌が無知で「虚像」を作りあげるのだから、私は、今更のように考えこんでしまう。

一体、社会正義とはなんだ。

黒幕・政商たち p.234-235 社会正義とはなんだという命題

黒幕・政商たち p.234-235 しかし私は、立松記者不当逮捕事件を想い出す時、河井検事が、「正義派検事」といわれるのに抵抗を感ずるのである。
黒幕・政商たち p.234-235 しかし私は、立松記者不当逮捕事件を想い出す時、河井検事が、「正義派検事」といわれるのに抵抗を感ずるのである。

月刊「現代」誌の、昨年一月創刊号のグラビヤに、河井信太郎検事が出ていて、「河井氏の正義の追及を、世間は大きな期待をもってみつめている」と、書かれている。しかし私は、立松記者不当逮捕事件を想い出す時、河井検事が、「正義派検事」といわれるのに抵抗を感ずるのである。

実例を持ち出すまでもなく、ある大作家が、「正義派の推理作家」といわれているが、しかし、私の著作を盗んでおりながら、そのことを知ってもうすぐ一年になろうとするのに、電話の一本、手紙一本の挨拶すらなく、私の非難に平然としていることから、その先生が、正義派作家といわれることに、怒りさえ覚えるのである。

大森創造参院議員も、「正義派議員」である。だが、予告のアドバルーンばかりが、高くあがって、肝心の国会質問が他の議員になったり、御本人が知らない間に、トッポイ男の〝恐喝〟の材料に使われたりしていては、それこそ、〝李下の冠〟であろう。

井本総長事件の最後をしめくくらねばならない。これまで多くの「人」を、ほとんど実名で登場させた。或いは名誉棄損の告訴をうけるかも知れない。しかし、「社会正義とはなんだ」という命題のもとで、国民のみんなに、正確な判断をしてもらうためには、仮名では「真実」が伝わらない。

そして、これも〝解説〟〝風聞〟である。

河井検事が、昭和十九年以来東京勤務で、研修所教官と本省刑事課長以外、東京地検を離れないのは、人事問題としてオカシイ、という声が、政府部内にあった。次席から東京の検事正に上るのもオカシイ、との声もあった。同氏に〝密着〟した人物についての批判もあった。そこで横浜の検事正という内示があった。同氏は応じない。では、最高検事という内示であった。

各紙誌の記事に、池田代議士の逮捕が行なわれずに、在宅起訴と決まるまでの、六月二十日から二十五日までの期間、井本総長らが現場の地検の意見に反対したのが、「会食」事件に結びつけられて、書かれている。しかし、一方では、逆の〝解説〟もある。

河井検事の異動を推進したのは、福田幹事長の線だといわれている。次席からそのまま東京検事正昇格を期待していた、若手検事たちが多かったのも事実であろう。それが東京という〝現場〟をはずされたり、最高検などの〝栄転〟ではけしからん——それなら福田にシッペ返しをしてやろう。倉石問題で右手を奪われた幹事長だから、左手のイケショウを傷めてやれ。あわよくば幹事長失脚で〝異動の内示〟は御破算カモネ、とばかりに服役中の久保の調書をとり、突如として〝イケショウへの疑惑〟が具体化した。

その辺の、捜査の経過や証拠関係に〝作為〟が感じられたので、総長らは(事情が読めたので)現場の地検の意見に同意せず、慎重を期して、会議決定が長びき、最終的に在宅起訴となった——とする〝解説〟である。

黒幕・政商たち p.236-237 「社会正義」の最後のトリデ

黒幕・政商たち p.236-237 「検察の押収資料が日共機関紙アカハタに流れ、検察最高会議の内容が洩れるのは、重大問題だ」という、同氏の主張は「正論」である。
黒幕・政商たち p.236-237 「検察の押収資料が日共機関紙アカハタに流れ、検察最高会議の内容が洩れるのは、重大問題だ」という、同氏の主張は「正論」である。

一方は、会食事件の事前打ち合わせが、総長の在宅起訴裁決につながるといい、他方は、河井検事異動への反発捜査の不純さに、総長の熟慮になったという。司法の独立とはいっても、それは裁判所のことであり、検察官はやはり行政官なのである。この二説とも、いずれも虚妄でもあり、また真実でもあろうか。〝総長のみが知る〟である。その総長が「公正を曲げていない」という。信ずる以外はあるまい。

事実、社会党の大倉議員の嫌疑進行の段取りに比して、池田議員は幕切れ近く突然の登場であり、久保供述(池田氏によれば、久保が福島から前に池田宛と称して百万円とったのを、横領で追起訴するゾと責めて、引き換えに供述させた=週刊現代七月十一日号)問題も、後味の悪いことは確かである。

池田代議士の容疑は、いずれ公判で明らかにされるのだからさておけば、「検察の押収資料が日共機関紙アカハタに流れ、検察最高会議の内容が洩れるのは、重大問題だ」という、同氏の主張は「正論」である。

はてさて、正義とはなんだろうか。

力のある奴、金のある奴、権力をもつ奴、ズウズウしい奴、ハレンチな奴——それが、「社会正義」ならば、私も考え直して、バスに乗るとしようか。イヤハヤ……

私たち市民が、「社会正義」の最後のトリデと恃んでいた「検察」が、馬場派にせよ、岸本

派にせよ、このていたらくでは、それこそ、ベ平連にならって、「検察に正義を!市民連合」でも、組織をせざるばなるまい。

〝法の正義〟は、いまや、集団の前で蹂躙されつつあるのではないか。〝力の正義〟と戦うために、私たちはどうしたらよいか。

一体、「社会正義」とはなんだ!

黒幕・政商たち p.238-239 〝ニュースの焦点〟に体当りで

黒幕・政商たち p.238-239 あとがき 本篇に収録したものは、「現代の眼」「二十世紀」「軍事研究」「自由世界」「財界」「株主手帳」「経営経済」などの、月刊諸雑誌に、その折々に書いたものに、手を入れたものである。
黒幕・政商たち p.238-239 あとがき 本篇に収録したものは、「現代の眼」「二十世紀」「軍事研究」「自由世界」「財界」「株主手帳」「経営経済」などの、月刊諸雑誌に、その折々に書いたものに、手を入れたものである。

あとがき

本篇に収録したものは、「現代の眼」「二十世紀」「軍事研究」「自由世界」「財界」「株主手帳」「経営経済」などの、月刊諸雑誌に、その折々に書いたものに、手を入れたものである。

そして、ここ四、五年の間の、時の流れにしたがって、系統的に整理し、まとめたものであることを、お断わりしておかねばならない。しかし、材料は取材分の六、七割しか使っておらず、まだまだ、書き足りない感じがするのが残念である。

第二にお断わりしなければならないのは、出来るだけ、本名で登場して頂いたのであるけれども、事件の本質に関係ない人物の場合には、頭文字などで省略させて頂いた。

そして、政治家諸公をはじめ、何回も、何個所ででも、登場される人名の方が何人かいるのだが、もちろん、それらの方々への、私的な感情などの、他意がないことを御理解頂きたいことである。

何回も出る名前の方は、現実に、〝ニュースの焦点〟なのだからである。その行動の是非論

は別として、いうなれば、〝日本を動かしている実力者〟なのである。

かつての読売記者時代、アカハタ紙は、私を目して〝反動読売の反動記者〟と攻撃していた。にもかかわらず、同じ私の書いた反政府的な記事は、「何日付の読売によれば」と、引用する——私は、いつも〝ニュースの焦点〟に、体当りで突っこんでゆくだけなのである。それがニュースであれば、右も左もない。取材して書くのである。

だから、この激動期の日本での、ニュースの〝黒幕〟は、どうしても取りあげる率が高くなる。御寛恕を乞う次第である。

フリーになっての十年は、それこそ山あり谷ありであった。日大芸術科時代、三浦朱門氏の父、三浦逸雄先生にジャーナリストへの眼を見開かせられ、読売での社歴十五年、合計すると、ペンを握ってから二十五年にもなる。それ以前、まだ東京府立五中の生徒のころ、演劇雑誌「テアトロ」への投稿が、活字になったころから起算すれば三十年だ。

しかし、私は「読売新聞記者」の金看板を外したのちに、ようやく〝事件記者〟開眼をしたように思う。新聞を外部から眺める立場を得、はじめて「言論・報道の自由」の意義を理解し、そして、ここ十年の主張である「マスコミ虚像論」に結実したのであった。

真実を伝えることの勇気——現在の私には、失うべき何ものもないのだから、恐怖も不安もない。私の読売同期生はもう一等部長になっている。彼のその収入と地位とは、やはり、ある

時には彼を臆病にする大きな要素であろう。名誉も地位も金もなく、ただ〝版木〟だけある私はなおも取材し、書き続けるだろう。

機会を得て、さらに資料を整理し、この書を、戦後二十年史に、書き改めたいと考えている。

昭和四十三年十月

三 田 和 夫

黒幕・政商たち p.240-奥付 あとがき(つづき) 奥付

黒幕・政商たち p.240-奥付 あとがき(つづき) 「文華新書」刊行のことば 奥付
黒幕・政商たち p.240-奥付 あとがき(つづき) 「文華新書」刊行のことば 奥付

真実を伝えることの勇気——現在の私には、失うべき何ものもないのだから、恐怖も不安もない。私の読売同期生はもう一等部長になっている。彼のその収入と地位とは、やはり、ある

時には彼を臆病にする大きな要素であろう。名誉も地位も金もなく、ただ〝版木〟だけある私はなおも取材し、書き続けるだろう。

機会を得て、さらに資料を整理し、この書を、戦後二十年史に、書き改めたいと考えている。

昭和四十三年十月

三 田 和 夫

奥付
黒幕・政商たち
昭和43年11月30日 発行
¥300
著 者 三田和夫
発行者 大島敬司
印刷所 飯島印刷株式会社
発行所 東京都千代田区丸の内 丸ビル783区
    株式会社 日本文華社
    TEL 東京・(201)2752 4750 (211)5063
振替 東京43444番
○万一落丁、乱丁の場合は、返送次第本社でお取り替致します。
○小社発行品切れの図書雑誌は近くの書店又は本社へご注文下さい。

黒幕・政商たち 裏表紙 著者紹介 推薦コメント

黒幕・政商たち back cover 裏表紙 著者紹介 推薦コメント 読売新聞編集局長・原四郎 作家・菊村到
黒幕・政商たち back cover 裏表紙 著者紹介 推薦コメント 読売新聞編集局長・原四郎 作家・菊村到

BUNKA BUSINESS

著者近影
〈著者紹介〉
読売社会部時代に、第1回菊池寛賞を受賞した『東京租界』をはじめ、ソ連スパイ幻兵団、鹿地—三橋—ラストボロフ事件、国際バクチのマンダリン事件など、多彩なスクープでスター記者だった。のち新聞を退社。フリーで健筆をふるっている。大正十年岩手県生れ。日本大学芸術科卒。著書に「最後の事件記者」「赤い広場—霞ヶ関」などがある。

〝根性の記者〟が書いた〝怖ろしい〟本

読売新聞編集局長  原 四郎
社会部の若い連中にハッパをかけて、私はこういったものだ。「読売の大社会部時代を築いた先輩たち、例えば三田のような〝根性の記者〟になれ!」
三田君は、いろいろな意味で、新聞史に名の残る記者だと思っている。針の先ほどのことでも、三日もかけて調べてくる男だ。この本も、その意味で私は興味深いものだと思う。

作家  菊 村 到
三田さんは、私の読売新聞社会部時代の先輩で、ときにはシゴかれたりしたものだ。火の中、水の中にも、頭からとびこんでいく姿に、怖ろしさを感じたこともあるが、この本はそうした怖ろしさの結晶だろう。

日本文華社
¥300

迎えにきたジープ Cover 表紙

迎えにきたジープ Cover Jeep came to fetch -Peace usurped- by Kazuo Mita TOKYO CONFIDENTIAL SERIES 20th century company
迎えにきたジープ Cover Jeep came to fetch -Peace usurped- by Kazuo Mita TOKYO CONFIDENTIAL SERIES 20th century company

表紙

迎えにきたジープ

―奪われた平和―

三田和夫 著

TOKYO CONFIDENTIAL SERIES

20世紀社

迎えにきたジープ inside cover-Title page

迎えにきたジープ inside cover-Title page Jeep came to fetch -Peace usurped- by Kazuo Mita TOKYO CONFIDENTIAL SERIES 20th century company
迎えにきたジープ inside cover-Title page Jeep came to fetch -Peace usurped- by Kazuo Mita TOKYO CONFIDENTIAL SERIES 20th century company

・東京秘密情報シリーズ・

迎えにきたジープ

―奪われた平和―

三田和夫 著

20世紀社

迎えにきたジープ Dedication-Contents001 亡き父に捧ぐ

迎えにきたジープ Dedication-Contents001 「上野正吉」は三田和夫の義兄。三田和夫の手許にはカバー欠損の破損本しか残っていなかったので、おそらく義兄への献呈本を返してもらったものと思われる。 なお、本文画像は献呈本が見つかる前に破損本から撮影したものです。
迎えにきたジープ Dedication-Contents001 「上野正吉」は三田和夫の義兄。三田和夫の手許にはカバー欠損の破損本しか残っていなかったので、おそらく義兄への献呈本を返してもらったものと思われる。 なお、本文画像は献呈本が見つかる前に破損本から撮影したものです。

亡き父に捧ぐ

目次

悲しき独立国民

黙って死んだ日本人

佐々木大尉とキスレンコ中佐

還らざる父

キング・オブ・マイズル

関東軍特機全滅せり

ウイロビー少将の顧問団

天皇島に上陸した「幻兵団」

パチンコのテイラー

秘密戦の宣戦布告

見えざる影におののく七万人

参院引揚委の証言台

迎えにきたジープ Contents.002-003 目次

迎えにきたジープ Contents.002-003
迎えにきたジープ Contents.002-003

私こそスパイなのだ

吹雪の夜の秘密

読売の「幻兵団」キャンペイン

ソ連的〝間抜け〟

細菌研究所を探れ

招かれざるハレモノ客

七変化の〝狸穴〟御殿

三つの工作段階

ヤミルーブルを漁る大阪商社

街に流れ出したソ連色

東京細菌戦始末記

作られない捕虜名簿の秘密

マイヨール・キリコフの着任

帰ってきたダンサーたち

バイラス病原菌の培養成功

朝鮮戦線に発生した奇病

アメリカは日本に原爆を貯蔵?

国際犯罪の教官、情報ギャング

ウソ発見機の密室

押しボタン戦争の原爆投下

迎えにきたジープ

怪自動車の正体

新版〝ハダカの王様〟

せせり出てきた敵役

三橋と消えた八人

スパイ人と日本人

付、事件日誌

あとがき