黒幕・政商たち p.030-031 朝雲新聞に内紛があった

黒幕・政商たち p.030-031 この「朝雲新聞」に社長と編集長との間の内紛があった。経営の乱脈といい、情報をもらすという、双方の主張はさておき、この編集長は、「朝雲」を去って、自衛隊の機関紙といわれる「隊友新聞」に投じた。
黒幕・政商たち p.030-031 この「朝雲新聞」に社長と編集長との間の内紛があった。経営の乱脈といい、情報をもらすという、双方の主張はさておき、この編集長は、「朝雲」を去って、自衛隊の機関紙といわれる「隊友新聞」に投じた。

「三矢事件」が意味するもの

ここで、私の推理を述べると、堂場氏と香原氏とは、堂場氏が理論的で内局(内務官僚系)に強いのに対し、香原氏は行動的で制服(部隊系)に喰いこんでいた、共にA級の防衛記者であったということである。いうなれば、〝筆敵〟の間柄というのであろうか。それが共に、「三矢事件」の流出ルートとして、捜査当局の対象になった。そしておたがいが疑心暗鬼にかられ〝堂場はアカだ〟という情報が、香原—浅野—千葉の線に流れたのではあるまいか、ということである。

さらにまた、「安保調査会」の事業内容には、月刊研究誌「国防」の刊行がある。この辺にもまた、問題がひそんでいそうである。この雑誌は、同会によると「発刊以来すでに八年、わが国の防衛問題に関する、唯一の専門誌として、その存在を高く評価されていますが、今後はその編集を安保調査会が行い」とある。

つまり、防衛庁の共済組合の機関紙と見られていた「朝雲新聞」というのがあるが「国防」は同紙で編集し刊行していた。この「朝雲新聞」に社長と編集長との間の内紛があった。経営の乱脈といい、情報をもらすという、双方の主張はさておき、この編集長は、「朝雲」を去って、自衛隊の機関紙といわれる「隊友新聞」に投じた。「隊友新聞」は、制服の佐官が編集にタッチするほどのものであるから、発行部数も「朝雲」より多く、これこそ〝隊員の機関紙〟という。「朝雲」と「隊友」とは、その経営スタッフ、発生ともに、対照的であるだけに、対抗意識もあることは、十分察せられる。

堂場氏の意見は、「隊友」の紙面に対して、過激であるとして批判的である。そして、安保調査会の研究スタッフの一人に、堂場氏と並んで、「朝雲新聞」発行の下士官向け月刊誌「朝雲」の大倉編集長も加わっているのだから、「朝雲新聞」の社長対編集長の争いとからんで、やはり対立意識は抜けそうもない。その「朝雲新聞」が、経営難から(隊友新聞側の話)、月刊誌「国防」を刊行できなくなり、安保調査会へゆずったのだという。

このような、幾つもの事件と、トラブルとの経過の積み重ねとのあとで、そして、このような人と人とのつながりの上で、「安全保障調査会」はスタートした。ニュー・オータニのパーティ会場には、適量のアルコールが人々の談笑を誘って和やかではあった。

どんなメンバーが集まったか、また、どうして十一名の発起人が集まったか、財界の一流人が六名も名を列ねたか、の詳しい〝内幕〟には、ここで触れる必要はあるまい。

ただ各治安当局は、自衛隊の中央調査隊も含めて、ジッとこの「調査会」をみつめている。もちろん、筆者もかつて同僚だった堂場氏が、秘密党員であるとか、〝アカ〟だという意見には反対であるし、否定もする。