事件記者と犯罪の間 p.190-191 私が書いた辞表は受理された

事件記者と犯罪の間 p.190-191 務台重役はニコニコ笑われて、「キミ、記者として商売熱心だったんだから仕様がないよ。すっかり事件が片付いたら、また社へ帰ってきたまえ」と温情あふれる言葉さえ下さった。
事件記者と犯罪の間 p.190-191 務台重役はニコニコ笑われて、「キミ、記者として商売熱心だったんだから仕様がないよ。すっかり事件が片付いたら、また社へ帰ってきたまえ」と温情あふれる言葉さえ下さった。

捜査当局の色メガネ
私はすぐ社を出て、塚原さんを訪ねた。「貴方は何の関係もない方なのに、事件の渦中に引き

ずりこんで申訳ない。明朝、警視庁へ出頭して、私に頼まれたと事情を説明して下さい。なまじウソをいうとかえって疑われるから…」と、事情を話して、お詫びと私への信頼を謝したのち、私は萩原記者の自宅へ行って、説明しておき、帰宅して辞表を書いた。

二十一日の月曜日早朝、辞表を持って社会部長の自宅を訪れ、経過を説明して、注意があったにもかかわらず、深入りして失敗したことを謝って辞表の受理方を頼んだ。部長は大いに心配して下され、逮捕されることなく当局の調べをうけられれば、社をやめることもないではないかと刑事部長に折衝して下さったが、私はこれを固辞して、退社し被疑者として逮捕されるべきだと主張した。私には、暴力団との取引を排除して、正攻法で捜査するという、当局の態度がよく判っていたので、私も逮捕さるべきだと思った。それがこの事件に対する当局の態度として正しいし、当然なことだからである。私も刑事部長と捜査二課長に、「取材以外の何ものでもない。だから何時でも逮捕されるなら、出頭するから呼んでほしい」と、自宅の電話番号まで知らせた。社会部の先輩や社の幹部からも、「取材だから辞めることはない」と、私を思って下さるお言葉を頂いたが、小笠原に「自首ではなく逮捕だぞ」と念を押した信念から、私自身の違法行為の責任を明らかにするため、退社して逮捕されることを望んだのであった。社へ迷惑をかけないためである。「苦しい〝元〟記者」との批判もあったが、このような事情である。〝勝てば官軍、敗ければ賊軍〟とは名言であった。

こうして、二十二日正午までに出頭を要求されたが、私が二十日に書いた辞表は二十二日午前、

高橋副社長、務台総務局長、小島編集局長の持廻り重役会で受理された。社で私につけてくれた中村弁護士との打合せをすませ、重役たちに退社の挨拶をしようとしたが、務台重役以外は不在だった。務台重役はニコニコ笑われて、「キミ、記者として商売熱心だったんだから仕様がないよ。すっかり事件が片付いたら、また社へ帰ってきたまえ」と温情あふれる言葉さえ下さった。私はそれでもう、退社して逮捕されることも気持良く、満足であった。記者としての私を理解して頂けたからである。

ところが、逮捕されてみて、私が驚いたことは、捜査当局が、私の行為に対して、意外に「大変な予断」を抱いていて、色メガネでみているということだった。つまり、その色メガネはこういうことである。

小笠原というのは、安藤組随一のバクチ打ちで、賭場では中盆をつとめるほどの腕利きだそうだ。安藤組の賭場は、彼らが正統派のバクチ打ちでないため、あまり格式張らない気易さもあって、ダンベエ(旦那方)の評判が良く、ずいぶんとはやっていたそうである。バクチは、花札のアトサキの変形であるバッタ返しという、単純なものである。

安藤組の縄張りである渋谷は、当然、正統派バクチ打ちのシマでもある。ところが、その安藤の賭場が栄えるので、この正統派バクチ打ちから、「スジを通さない」といって文句がついたそうだ。ところが、これに対し安藤は敢然と答えたという。「オレはグレン隊だ。バクチ打ちなら、スジを通さないことは悪いだろうが、グレン隊にスジもヘチマもあるか。グレン隊だってバクチ

もやらあ。スジで文句があるならケンカで来い」と。