最後の事件記者 p.370-371 バッグの底から十四年式拳銃

最後の事件記者 p.370-371 「ハンニンタイホニ、ゴキヨウリヨクヲシヤス」という、仙台北署長からのウナ電のきた次の夜などは、社の付近の呑み屋で、私の名演技〝番頭〟が酒の肴になっていた。
最後の事件記者 p.370-371 「ハンニンタイホニ、ゴキヨウリヨクヲシヤス」という、仙台北署長からのウナ電のきた次の夜などは、社の付近の呑み屋で、私の名演技〝番頭〟が酒の肴になっていた。

あの中には、札束ばかりか、兇器まで入っているような感じだ。何とかして、遠ざけておかねばならない。
「ダンナ様、チャンポンなさったのではございませんか。お顔が青いようです。しばらくの間、

およりになっては……」

押入れをあけて枕と毛布を出す。座ブトンを並べて、場所をつくる間に、ボストンを押入れの中に突っこんでしまった。

「番頭サン、チョット」

女中が廊下から呼ぶ。刑事がきた!

「アノ、誠に恐れ入りますが、別のお部屋で、お客様にチョット間違いがございましたので、警察の方が……」

サツと聞いて、ガバとはね起きた小島は、床の間へ手をのばしたが、もう、その時には二人の刑事がズイと入ってきていた。

職務質問だ。バッグの中味が取出される。白いハンケチ包みが出る。

「アア、カメラね」

これがお芝居とは気づかぬ女たちは、社長令息を信じきってかえってハシャギながら叫んだ。

パラリとほどけた結び目から、キチッと帯封された十万円の札束が六つ。女たちもさすがにハッと息をのむ。男二人は机にうつ伏して、肩で息をしている。もはや、立派に覚悟の態だった。

つづいて、バッグの底から、ズシリと出てきたのが、大型の十四年式拳銃。今度は記者や女中たちの息をのむ番だった。

その夜も、そして、その次の夜も、ことに「ハンニンタイホニ、ゴキヨウリヨクヲシヤス」と

いう、仙台北署長からのウナ電のきた次の夜などは、社の付近の呑み屋で、私の名演技〝番頭〟が酒の肴になっていた。私は、警察の捜査の〝協力者〟であった。

「東京租界」

新聞記者入るべからず

二十七年四月二十八日、日本は独立した。この年の二月の末から、社会部では、辻本次長が担当して、「生きかえる参謀本部」という続きものをはじめ、私もその取材記者として参加した。これは、講和を目前に迎えて、日本の再軍備問題を批判した企画であった。

この早春のある朝、私は辻政信元大佐を訪れた。仮寓へいってみると、入り口には、「警察官と新聞記者、入るべからず」と、墨書した木札が出ている。これにはハタと困って、しばらくその門前で考えこんでしまった。

だが、そのまま引返すほどなら、記者はつとまらない。私は門をあけ、玄関に立った。日本風の玄関はあけ放たれて、キレイに掃除してある。「御免下さい」と案内を乞うと、すぐ、次の間で声がした。