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雑誌『キング』p.123下段 幻兵団の全貌 スパイ採用・任命

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.123 下段
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.123 下段

いないが、近接した二、三の収容所の引揚者の証言によれば、同一人らしいことから、一人の少佐がある地区を担当して、数カ収容所を巡回したと判断できる。

この少佐の最後的決定ののちに、いよいよドラマティックな採用任命式となる。

三、任命

二十一年中に完成された俘虜カードにもとづき、同年暮れごろからはじまったスパイ採用の選考は、〝モスクワの少佐〟の決定により、ほとんどの者が、二十二年中に誓約書を提出し、ⒶⒷの任命を受けている。

1 人員 誓約書に署名したスパイ個人間においては、横の連絡はない。収容所付思想係将校を中心とする縦の連絡だけである。従って一収容所内におけるスパイの総数は、スパイ自身には分からない。だが、自分に対して行われた選考期間の呼び出しの状況、収容所事務所への出頭の事情などから類推すると、他のスパイのことは、おおむね判断され得るのである。

これによって計算すると、二千名中七、八十名(チェレムホーボ)ともいい、五百名中十名ぐらい(タイセット)などというので、平均二—四%と判断される。するとシベリア地区七〇万人として、一万四千—二万八千人の人たちが

雑誌『キング』p.122中段 幻兵団の全貌 全ソ連地域で要員摘出

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.122 中段
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.122 中段

収容所で、専属の思想係将校がおらず、しかもⒶ要員であった。

2 地区 アルチョムでは二十一年暮れにはじめられたらしいが、大体において、アルチョム、ウォロシロフなどの沿海州地区、チタ、イルクーツク、チェレムホーボなどの東部シベリア地区などで、二十二年上半期に大量に、まさに玉石混淆の状態で選考された。

この連中は結局主としてⒶ要員とされて、しかも、極反動も含んだため、この組織の暴露される原因ともなった。

これと並行して選考はされていたが、コムソモリスク、ハバロフスク方面、及びカラガンダ、ベゴワード、アルマアタ方面、バルナウル、ビイスク、ロフソフカ方面、カザン、エラブカ方面などでは、二十二年下半期において、粗製らん造をさけた厳選主義で、Ⓑ要員がえらばれていた。

もちろん、ここにあげた地名は、ごく大ざっぱな分類であって、全ソ連地域の各収容所で、この要員摘出は行われていた。ただ、二十二年上半期の玉石混淆の大量生産が、主としてⒶ要員となり、同年下半期の粒選りがⒷ要員となっていることは面白い。

3 基準 Ⓐ要員には、軍隊の人事関係者、民主グループ員、特殊(本部、炊事、理髪、縫