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雑誌『キング』p.123下段 幻兵団の全貌 スパイ採用・任命

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.123 下段
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.123 下段

いないが、近接した二、三の収容所の引揚者の証言によれば、同一人らしいことから、一人の少佐がある地区を担当して、数カ収容所を巡回したと判断できる。

この少佐の最後的決定ののちに、いよいよドラマティックな採用任命式となる。

三、任命

二十一年中に完成された俘虜カードにもとづき、同年暮れごろからはじまったスパイ採用の選考は、〝モスクワの少佐〟の決定により、ほとんどの者が、二十二年中に誓約書を提出し、ⒶⒷの任命を受けている。

1 人員 誓約書に署名したスパイ個人間においては、横の連絡はない。収容所付思想係将校を中心とする縦の連絡だけである。従って一収容所内におけるスパイの総数は、スパイ自身には分からない。だが、自分に対して行われた選考期間の呼び出しの状況、収容所事務所への出頭の事情などから類推すると、他のスパイのことは、おおむね判断され得るのである。

これによって計算すると、二千名中七、八十名(チェレムホーボ)ともいい、五百名中十名ぐらい(タイセット)などというので、平均二—四%と判断される。するとシベリア地区七〇万人として、一万四千—二万八千人の人たちが

雑誌『キング』p.123中段 幻兵団の全貌 謎の少佐が面接

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.123 中段
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.123 中段

各地区ごとに分かれて、地区内の収容所を廻っていたらしい。いずれも漢字がスラスラと読めるほど日本語に熟達している。だが、モスコウスキイ・マイヨールというだけで、知っていても教えてくれないのか、誰も少佐の名前を知らないのも妙である。もちろんNKで、まぼろしのごとく現れては、数日から一週間ほど滞在して、またまぼろしのごとく消える。

この謎の少佐が、収容所付思想係将校のあらかじめ準備した候補者と、個々面接しては、自身で直接取調べを行い、採用、不採用を決定していたのである。

引揚者の誰にきいても、このモスコウスキイ・マイヨールの話は肯定する。ところが面白いことには、一般収容所がマイヨール(少佐)であったのに、エラブカ将校収容所だけは、ポトボウコウニタ(中佐)であることだ。最も例外としては、このマイヨールがただ巡視だけして帰っている場合もある(奥地の収容所)し、D氏の場合の如く戦犯監獄には大佐がモスコウスキイ・ボウコウニタ(大佐)として、取調べに当たっていたということもある。

この少佐の取調べを、人事書類のカミシヤ(検査)とも称していたこともある。この少佐が、果たしてモスクワの少佐であるか、あるいはハバロフスクの極東軍情報部の少佐であるかは判明して

雑誌『キング』p.123上段 幻兵団の全貌 思想係将校の一次試験

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.123 上段
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.123 上段

くる訳である。

4 方法 これらの要員は、それぞれの時期に、それぞれの地区で、前述のような基準によって、まず、その収容所付思想係(NK)将校によってチェックされる。

それからは、適当な理由をつけ、あるいは他の係の将校の名を用いて呼び出しをかけ、数回にわたって、さきに人事係将校の作製した俘虜カード以上に、厳密かつ詳細な身上調査を二—三回にわたって行う。これは氏名、年齢、本籍、現住所、家族、家族の職業、財産などから、学歴、職歴、兵歴まで、趣味、嗜好も調べるという綿密さである。

それと同時に、本人の思想傾向も重大である。そのためには、支持政党、その理由、尊敬する人物、ソ連に対する感想などを質問したり、天皇制、民主運動、国際情勢などに関するテーマを与えて、所感を筆記提出せしめる。

こうして、各収容所付思想係将校の第一次試験によって、何人かの栄えある候補者が浮かびあがってくる。そして第二次試験になる。

第二次試験官になるのは〝モスコウスキイ・マイヨール〟(モスクワの少佐)という、奇怪な人物である。この少佐は、品も良く立派で、いかにもモスクワ人らしく、収容所付の将校とはダンチである。数人か、十数人いて、それぞれ