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正力松太郎の死の後にくるもの 見返し カバーそで

正力松太郎の死の後にくるもの 見返し カバーそで 著者紹介
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正力松太郎の死の後にくるもの カバーそで 著者紹介
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著者紹介

1929年/盛岡市に生まれる。
1943年/日大芸術科卒業、読売新聞入社。
1958年/読売新聞を退社。

現  在/評論、報道のフリーのジャーナリストとして執筆活動を続けるかたわら、一般旬刊紙として「正論新聞」を三年前に創刊。
ひきつづき主宰している。

著  書/東京コンフィデンシャル・シリーズ「迎えにきたジープ」(1956年刊) 「赤い広場—霞ヶ関」「最後の事件記者」(1958年刊) 「事件記者と犯罪の間」(現代教養全集第5巻収録)=文春読者賞=(1960年刊) 「黒幕・政商たち」(1968年刊)

現住所/東京都新宿区西大久保1の361金光コーポ 505号

赤い広場ー霞ヶ関 p.184-185 「自由党は割れるヨ」

赤い広場ー霞ヶ関 p.184-185 The Soviet Union thought that Japan-Soviet negotiations would never be held under the Yoshida Liberal Party administration. Therefore, they worked to create the Hatoyama administration.
赤い広場ー霞ヶ関 p.184-185 The Soviet Union thought that Japan-Soviet negotiations would never be held under the Yoshida Liberal Party administration. Therefore, they worked to create the Hatoyama administration.

そして、今にいたるも、この六十数名は明らかにされていない。そして、六十数名というの

が「山本調書」の全貌なのである。私が、今までに明らかになし得たのは、その一部にすぎないが、その重要な部分であることには間違いない。

二 怪物久原と立役者メンシコフ

昭和二十七年の秋、ある元ソ連代表部員がある人に向ってこういったことがある。

『自由党は割れるヨ。割るものは、キッと、石橋か大野だろう』

この短かい言葉が、誰と誰との間で話されたかということを、ここで伏せねばならないのは残念である。しかし、語った人が元ソ連代表部員であるということは、いろいろなことを考えさせる。

〝自由党は割れる〟という、この観測の根拠となった彼の情勢分析は、何かということである。これが、〝割れるようにしてある〟でなければ幸いである。

ソ側の判断では、吉田自由党政権のもとでは、絶対に日ソ交渉は開かれないとみていた。これは当然である。そのためには旧改進党勢力を中心とする、保守政権を期待せざるを得ないのである。

左右両派社会党が、どんなに口惜しがろうと、ソ同盟共産党小史をひもとくまでもなく、共産党の人民民主主義に対する、社会党の社会民主主義は相容れないのである。

共産党がボリシェヴィキであり、社会党はメンシェヴィキである。ボリシェヴィキは「敵」である保守党とは、戦術的に握手して、その目的を達成したのち、これを「敵」として屠るがメンシェヴィキとは握手することは許されない。

第一集「迎えにきたジープ」の「招かれざるハレモノの客」の中で、ソ連の対日工作に三段階があったことを述べた。二十六年十一月二日、ドムニッキー通商代表とマミン経済顧問とが国会を訪問したことがある。それから五日後の七日の革命記念日には、元代表部でパーティーが開かれ、改進党代議士諸公の主要な人物には、個人招待状が送られていたのである。

そして、自由党が割れ、鳩山政権が生れるや、直ちに日ソ交渉のための、鳩山・ドムニッキー会談のお膳立が進められた。そして交渉地ロンドンが正式決定して、交渉が開始されるまで僅か半年である。これはなぜか。もちろん、鳩山内閣の短命を見越しているのである。鳩山内閣時代にソ側の狙う実績だけを、稼いでおかねばならないからである。

さて、ここで問題は日ソ国交回復国民会議会長久原房之助氏と、ソ連駐印大使、エカフェ代表メンシコフ氏という、二人の大物の登場となる。 ソ連の対日工作は、まず経済工作に始まった。モスクワ国際経済会議に、シベリヤ・オルグを使って、高良とみ女史を誘いこんでからというものは、軌道に乗って順調にすべり出した。

赤い広場ー霞ヶ関 p.214-215 スパイは奇異なものではない

赤い広場ー霞ヶ関 p.214-215 What works behind the negotiations between Japan and the Soviet Union---is it Siberian Organizer, Freemasonry, or the Cannon Unit of CIA, or even the British Secret Intelligence Service?
赤い広場ー霞ヶ関 p.214-215 What works behind the negotiations between Japan and the Soviet Union—is it Siberian Organizer, Freemasonry, or the Cannon Unit of CIA, or even the British Secret Intelligence Service?

〝奇怪な三人〟を調べたときの、アナリストの忠告と、地下の高級レストランで別れた〝ナ

ゾの女性〟の表情とを想い浮べて、私ももうここらで筆を擱かねばならない。

日ソ交渉のかげに蠢くもの——それは果して、かいらいを操るシベリヤ・オルグか、フリー・メーソンか、或はまた、元キャノン機関シャタック氏を先頭とする米CIAか、或はさらにまた、レッドマン氏に代表される英国秘密機関か?

いまや、われわれの首都東京は、諜報と謀略の渦巻く、トオキョオ租界と化してしまった。

スパイ事件が起ると、世の知識人たちは必らず『日本にスパイされるような、機密があるのかい?』と、皮肉まじりにいわれる。そしてまた、各主管大臣たちは、国会で『秘密はありません』と、答弁する。

確かに、現在の日本には、法律に定めた国家機密はない。MSA兵器の秘密保護法、駐留軍秘密の刑事特別法の両法が、指定する秘密は要するに、アメリカの秘密であって、日本の秘密ではない。

では、一体ラストヴォロフ氏は、日本から何をスパイしていたか? 個人的にいえば、日暮氏を通じては、欧米局ロシヤ課に集まる、各地の大、公使館からのソ連情報、駐在国のソ連観や、大、公使などの情勢報告書、および本省のそれに対する見解などがある。また、内調に集る元国警や、検察庁、警視庁、防衛庁など治安機関をはじめ、労働省、運輸省、文部省など、一般行政官庁からの国策決定の各種治安情報文書をみることができたので、それらだろうという。

庄司氏は、駐留軍のキャンプ設置場所、宿舍の設備など、駐留軍との外交接衝やら、米軍と防衛庁との連絡事項が担当だったので、同様それらがラ氏の役に立ったとみられる。

これでも分る通り、また私が第一集「迎えにきたジープ」から、全篇を通して主張してきた通り、スパイとは決して奇異なものではないということ。つまり、大使館に忍びこんで、金庫から機密書類を盗む、といったような、大時代的なものではない。

どんな片々たる、頭も尻尾もない話でも、それが、組織的に処理される限り、重大な事実を示す〝情報〟であり、この情報を、意識的、系統的、に集めることが「諜報」であるということである。

謀略もまた、鉄橋をダイナマイトで破壊したりすることばかりではない。また、そんなのは

下の下たるものであるが、やはり、謀略というと、大時代的な感覚しかなくて、軽べつ感が先に立つ。

しかし、ラ氏の亡命とか、シベリヤ・オルグの活躍とか、久原翁の引出しとか、すべてこのように、ある目的をもって、所期の事実を、自然に作り出すのが「謀略」である。