本社が、こうして新聞事業の何たるかを忘れて、派閥の対立抗争をくり返している時、出先きのクラブでは、ボス化した記者が「社外活動」に専念するとあっては、もはや、末期的現象以外の何ものでもない。
「毎日が危いそうだ」「今なら、一億の現金で毎日新聞が買える」「メイン・バンクの三和への、利子さえ払えないらしい」——こんな噂が、新聞界でささやかれはじめて、ついに、昭和三十六年一月、経営不振の責めを負うて、本田会長は退陣した。(注。昭和二十三年十二月二十二日社長就任。同三十三年一月二十二日会長就任。同三十六年一月会長辞任。その間、社長空席のまま)毎日放送会長へと引退の花道はひかれてあったが、社内での流説は、「数千万円のアカデン(注。未精算の仮払伝票)が残っていた」そうだと、まだ手厳しい。
私が冒頭に、「派閥とボスの集団」と、あえて毎日を評した所以のものはここにあったのである。国敗れて山河あり! 本田親男のあとをうけて、社長に就任した上田常隆の感慨は、そうであったに違いない。人心はもとより、機械も設備も、そして、紙面も金融面も、すべて〝荒涼〟たるものであっただろう。だが、それから五年、上田政権下における、毎日の復興は目覚ましく進んで、それこそ、毎日は奇跡的に立ち直った。と、みられていた。
皇居北の丸の緑を截ってそびえるパレスサイド・ビルの偉観、その中心に位置した毎日新聞は、最新、最鋭の機械化を完うして、立ち直ったかにみられたのではあったが、大森実外信部長の退
職事件というジャーナリスティックな話題に彩られた昭和四十年の移転を機として、いよいよ凋落の淵にのめりこんでいったのだった。
〝アカイ〟という神話の朝日
ここに一通のとう本がある。東京都中央区日本橋室町一の一、京葉土地開発株式会社。
その社名から判断して、京葉工業地帯の不動産屋とあれば、あまり御立派とはいえない会社である。何故ならば、千葉県の東京湾沿いの開発には、〝黒い手〟〝黄色い手〟しきりに入り乱れて、公明党をはじめとして、野党各党が、国会でしきりに追及しているからである。
さる四十三年六月三日付のアカハタ紙は、「利ザヤ六億七千万円、〝黒い会社〟朝日土地、国際興業」の大見出しで、「日通の脱税を調べていた東京国税局の調査で、この二社は千葉市から払い下げをうけた埋立住宅地を、めまぐるしく転売し、半年後に二倍の値段で国に売却していた」旨を報じている。日通福島社長のもとに、朝日土地丹沢善利から、六千万円の裏ガネが流れているのを、洗った結果、判明したというのである。