エリートの初体験」タグアーカイブ

新宿慕情 p.116-117 案内した悪童どもは「特訓の成果は十分だった」と

新宿慕情 p.116-117 正力家の娘婿であり、内務官僚として、エリートコースを進んでいった小林さんには、たいへんな〝初体験〟であったらしい。
新宿慕情 p.116-117 正力家の娘婿であり、内務官僚として、エリートコースを進んでいった小林さんには、たいへんな〝初体験〟であったらしい。

前に、ヤッちゃんたちのレコードのジャケットについて、私は、「〝醜怪〟としかいいようのない女装の連中」と、書いたのだが、この写真が、篠山紀信の手になるだけに、そんな感じの連中を前面に大きく出しているかも知れない。彼女(?)たちの、性生活については、十分な知識がないので果たして、私の体験したような程度なのか、もっと、スサマジイものなのか、そこまでは知らないが、〝醜怪〟なのはやはり、二流、三流の、芸のないオカマであろう。

芸がなければ、売春するより生きてゆく途はない。倒錯性慾者などは、このジャンルに含まれるようだ。

新宿の街の、小さなオカマバーなどには、演歌の歌い手さんのような着物を着て、態度や話し方だけ、女ッぽくする〝異様な感じ〟の男たちがいる店もある。

そんな店は、ワイ雑で、彼女らのホステスぶりも、下品で、エロ・サービスに近い。

エリートの初体験

NTVの小林与三次社長が、自治省次官を退官して、読売に入社した当時、編集局の中堅どころの記者たちと、しきりに、懇親を深めて、新聞社の幹部たるの〝教養〟を、身につけようとしていたものだ。

そんなある日。記者たちが、新宿は区役所通りの「ローズ」という店に案内していった。

正力家の娘婿であり、内務官僚として、エリートコースを進んでいった小林さんには、たいへんな〝初体験〟であったらしい。

女たちに囲まれ、〝部分〟をつかまれたり、下卑た媚態などで迫られたりするのだから、ビックリ仰天もムリはない。

案内した悪童どもは、「特訓の成果は十分だった」と、よろこんでいたのだから、目撃者でなくとも、察しはつくというものだ。

(写真キャプション)西銀座の「やなぎ」では、芸者さながらの組踊り

〝特訓〟といえば、こんなこともあった——私が警視庁記者クラブ詰めだったころ、読売の原副社長を、新任の社会部長としての歓迎パーティに招いた。

会場は浅草。余興として、保安課のベテラン刑事に頼んで、〈花電車〉を呼んだ。

六区ウラあたりの、小さな旅館の一室に、クラブ員と部長とが並んだ。隣室では、シロシロのショーが行われていて、アヤシ気な物音がしたりする。

〈花電車〉は、いうなれば、奇術ショーのフンイキだ。皮切りは、筆をハサんで、「祝・部長就任」などと、達筆で書いてくれたりする。

チリ紙を丸めたものに、ヒモをまきつけ、それをハサミこんだ上、他の端を、座敷卓の足に結びつけ、卓上に男をひとり乗せて、ジリ、ジリッと引っ張って見せる。

新宿慕情 p.118-119 シロシロはレズビアン・ショー

新宿慕情 p.118-119 路地ウラの旅館の一室で、陰微な感じで、十名足らずの客が、フトンのまわりをグルリと取りまいて、息を詰めて凝視するなかで、濃厚に演じられていた…
新宿慕情 p.118-119 路地ウラの旅館の一室で、陰微な感じで、十名足らずの客が、フトンのまわりをグルリと取りまいて、息を詰めて凝視するなかで、濃厚に演じられていた…

〈花電車〉は、いうなれば、奇術ショーのフンイキだ。皮切りは、筆をハサんで、「祝・部長就任」などと、達筆で書いてくれたりする。
チリ紙を丸めたものに、ヒモをまきつけ、それをハサミこんだ上、他の端を、座敷卓の足に結びつけ、卓上に男をひとり乗せて、ジリ、ジリッと引っ張って見せる。

タタミの目に沿ってではあるが、その〝握力〟たるや、驚くべきものだ。

そして、バナナ切り、皮をむいたバナナを挿入し、押し出しながら、輪切りとまではいかないが、ともかく、切るのだ。

そのあとが、玉子飛ばしである。皮をむいたユデ玉子を入れて、気合一声。ポーンと飛ばして見せた。

その途端、「ワッ」という爆笑が起こった。中に残っていたバナナの筋が、玉子とともに飛び出し、我らが社会部長のホッペタに、ペタンとひっついたのだった——その瞬間の、原さんのあの、なんともいえない表情は、いまだに忘れられない。

えらばれた女が……

シロ芸人は根気が

〈花電車〉が出れば、〈シロシロ・ワンシロ〉と、話が落ちてくる。

〈シロシロ〉とは、いまはもうストリップ劇場で、ほぼ、五割方は公開されている。いわゆるレズビアン・ショーである。

マナイタ・ショー、テング・ショーなどが、〈シロクロ〉のイミテーションなのにくらべるとレズ・ショーは、ほぼ、〈シロシロ〉の原型である。

昭和三十年代の半ばごろまでは、これが、路地ウラの旅館の一室で、陰微な感じで、十名足らずの客が、フトンのまわりをグルリと取りまいて、息を詰めて凝視するなかで、濃厚に演じられていたものだった。

劇場での演技は、シロとシロとを結ぶ〝もの〟がないが、お座敷での実演には、ふたりをつなぐ〝もの〟——長大な〝それらしきモノ〟がある。

〈ワンシロ〉となると、これまた、立派に芸人である。しかも相手役のワンには、年月をかけて、芸を仕込むのだから、猿まわし(もう、すっかり見られなくなったが、大道芸人としてはA級だった)以上の根気と訓練とが必要である。

シロの芸人は仔犬を飼って、自分の〝部分〟にバターを塗り、それをナメさせながら育てる。そして、その〝部分〟に興味を持つように、仕向ける。

その日常訓練を、仔犬から成犬になるまでつづける努力たるや、前にも述べたように、〝立派な芸人〟である。

ワンの〝部分〟は、紡錐状である。よく、街頭などで見かけるオツナガリは、「水をブッかけろ!」などいわれるように、紡錘状部分の基底部にある、二個の付属品が、相手方の門内に没入してしまっているためで、シロの芸人は、これを恐れなければならない。