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新宿慕情 p.118-119 シロシロはレズビアン・ショー

新宿慕情 p.118-119 路地ウラの旅館の一室で、陰微な感じで、十名足らずの客が、フトンのまわりをグルリと取りまいて、息を詰めて凝視するなかで、濃厚に演じられていた…
新宿慕情 p.118-119 路地ウラの旅館の一室で、陰微な感じで、十名足らずの客が、フトンのまわりをグルリと取りまいて、息を詰めて凝視するなかで、濃厚に演じられていた…

〈花電車〉は、いうなれば、奇術ショーのフンイキだ。皮切りは、筆をハサんで、「祝・部長就任」などと、達筆で書いてくれたりする。
チリ紙を丸めたものに、ヒモをまきつけ、それをハサミこんだ上、他の端を、座敷卓の足に結びつけ、卓上に男をひとり乗せて、ジリ、ジリッと引っ張って見せる。

タタミの目に沿ってではあるが、その〝握力〟たるや、驚くべきものだ。

そして、バナナ切り、皮をむいたバナナを挿入し、押し出しながら、輪切りとまではいかないが、ともかく、切るのだ。

そのあとが、玉子飛ばしである。皮をむいたユデ玉子を入れて、気合一声。ポーンと飛ばして見せた。

その途端、「ワッ」という爆笑が起こった。中に残っていたバナナの筋が、玉子とともに飛び出し、我らが社会部長のホッペタに、ペタンとひっついたのだった——その瞬間の、原さんのあの、なんともいえない表情は、いまだに忘れられない。

えらばれた女が……

シロ芸人は根気が

〈花電車〉が出れば、〈シロシロ・ワンシロ〉と、話が落ちてくる。

〈シロシロ〉とは、いまはもうストリップ劇場で、ほぼ、五割方は公開されている。いわゆるレズビアン・ショーである。

マナイタ・ショー、テング・ショーなどが、〈シロクロ〉のイミテーションなのにくらべるとレズ・ショーは、ほぼ、〈シロシロ〉の原型である。

昭和三十年代の半ばごろまでは、これが、路地ウラの旅館の一室で、陰微な感じで、十名足らずの客が、フトンのまわりをグルリと取りまいて、息を詰めて凝視するなかで、濃厚に演じられていたものだった。

劇場での演技は、シロとシロとを結ぶ〝もの〟がないが、お座敷での実演には、ふたりをつなぐ〝もの〟——長大な〝それらしきモノ〟がある。

〈ワンシロ〉となると、これまた、立派に芸人である。しかも相手役のワンには、年月をかけて、芸を仕込むのだから、猿まわし(もう、すっかり見られなくなったが、大道芸人としてはA級だった)以上の根気と訓練とが必要である。

シロの芸人は仔犬を飼って、自分の〝部分〟にバターを塗り、それをナメさせながら育てる。そして、その〝部分〟に興味を持つように、仕向ける。

その日常訓練を、仔犬から成犬になるまでつづける努力たるや、前にも述べたように、〝立派な芸人〟である。

ワンの〝部分〟は、紡錐状である。よく、街頭などで見かけるオツナガリは、「水をブッかけろ!」などいわれるように、紡錘状部分の基底部にある、二個の付属品が、相手方の門内に没入してしまっているためで、シロの芸人は、これを恐れなければならない。

新宿慕情 p.120-121 田中栄一警視総監がオカマに殴られた

新宿慕情 p.120-121 そのころの上野。それは、ノガミと陰語でいうのがふさわしいような町だった。~街角には、パンパン、オカマが、道行く人の袖を引いていた。
新宿慕情 p.120-121 そのころの上野。それは、ノガミと陰語でいうのがふさわしいような町だった。~街角には、パンパン、オカマが、道行く人の袖を引いていた。

ワンの〝部分〟は、紡錐状である。よく、街頭などで見かけるオツナガリは、「水をブッかけろ!」などいわれるように、紡錘状部分の基底部にある、二個の付属品が、相手方の門内に没入してしまっているためで、シロの芸人は、これを恐れなければならない。

しかし、ワンのほうは、やはりパーフェクトを望むので、付属品の没入まで志す。従って、〝腰振りダンス〟の姿勢をとらざるを得なくなる。

一方のシロは、その攻勢を、右に左にと、なんとかして逃げなければならない。この動作があたかも、観る者をして、感嘆手を拍つどころか、ツバを呑みこませる〝迫真〟の演伎に映ずる、という次第だ。

警視庁の留置場で、同房になった「浅草のヨネさん」と呼ばれる、パン助置屋のオヤジから聞いた話である。

管理売春という、重罪容疑で入っていたこの男は、吉屋信子に大辻司郎、さらに、フランキー堺を加えて、三で割ったような顔をして、くったくなげに、おもしろい話をしてくれた。

だから、〈花電車〉の芸人も〈ワンシロ〉も〈シロシロ〉もみんな、〝商売道具〟を大切にして日常の手入れを怠らず、ほとんどが、男などをつくらない、という。ことに〈花電車〉は、プロローグ場面で、料亭などで使う、細長いビールのグラスを使って、深奥部分までノゾかせるのだから、人一倍、手入れと節制を励行するそうだ。

オカマを見せてよ

話が、すっかり飛んでしまったが、まだまだ、〝ホモのヤッちゃん〟の項なのであった。ヤッちゃんは、オカマではなく、ホモらしい。

私が、シベリアから帰ってきて、読売社会部に復職したのが、昭和二十二年の秋のこと。そして、翌二十三年には、上野、浅草のサツまわりに出た。

そのころの上野。それは、ノガミと陰語でいうのがふさわしいような町だった。

浮浪児ばかりか、家も職もない連中が、駅の地下道を埋めつくし、街角には、パンパン、オカマが、道行く人の袖を引いていた。

当時の、田中栄一警視総監が上野の山を視察に出かけて、オカマの集団に襲われ、殴られたという珍事さえ、堂々と出来するのである。

そんなころ、婦人部の女性記者が、私に頼みがある、といってきた。

「ネ、三田サン。オカマっていうの、私に見せて下さらないかしら?」

「アア、いいとも。でも、夜のノガミは、コワイよ」

「だから、三田サンに頼んでいるんじゃない。これでも、オヨメに行くつもりなんだから」

それから、三十年近くたったのだが、読売の社員名簿を見てみると、この女性記者は、まだ婦人部に名を連ねているし、姓も変わっていない。やはり、オヨメには、〝行け〟なかった、のカモネ……。

こうして、私は彼女を伴って宵の上野広小路あたりを、ブラブラと散歩していた。

「アラ、ミーさん!」

人ごみのなかから、嬌声が飛んできた。