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迎えにきたジープ p.036-037 日本新聞・小針延二郎の証言

迎えにきたジープ p.036-037 In Khabarovsk, the home of the Siberian Democratic Movement, the Nihon Shimbun editor-in-chief, Nobujiro Kobari, has begun his testimony at the Special Committee of the Soviet Repatriation, in the House of Councilors.
迎えにきたジープ p.036-037 In Khabarovsk, the home of the Siberian Democratic Movement, the Nihon Shimbun editor-in-chief, Nobujiro Kobari, has begun his testimony at the Special Committee of the Soviet Repatriation, in the House of Councilors.

見えざる影におののく七万人

一 參院引揚委の証言台

西陽がさし込むため、窓には厚いカーテンがひかれて、豪華な四つのシャンデリヤには灯が入った。院内でも一番広い、ここ予算委員室には異様に興奮した空気が籠って何か息苦しいほどだった。

中央に一段高い委員長席、その両側に青ラシャのテーブルクロスがかかった委員席、委員長席と相対して証人席、その後方には何列にも傍聴席がしつらえられ、委員席後方の窓側には議員席、その反対側に新聞記者席が設けてあった。

昭和二十四年五月十二日、参議院在外同胞引揚特別委員会が、吉村隊事件調査から引きずりだした「人民裁判」究明の証人喚問第二日目のことであった。今日は昨日に引続きナホトカの人民裁判によって同胞を逆送したといわれる津村氏ら民主グループと、逆送された人々の対決

が行われ、また「人民裁判」と「日本新聞」とのつながりを証言すべき注目の人、元日本新聞編集長小針延二郎氏が出席しているので、場内は空席一つない盛況で、ピーンと緊張し切っていた。

たったいま、小針証人が『委員会が国会の名において責任を持つなら、私はここで全部を申上げます』と、爾後の証言内容について国会の保護を要求した処だった。正面の岡元義人代理委員長をはじめ、委員席には一瞬身震いしたような反応が起った。

終戦時から翌年の六月まで、シベリヤ民主運動の策源地ハバロフスクの日本新聞社で、日本側責任者として「日本新聞」を主宰し、のちに反動なりとしてその地位を追われた小針氏が、何を語ろうとするのか。日本新聞の最高責任者、日本新聞の署名人であるコバレンコ少佐こそ極東軍情報部の有力スタッフではないか! 委員会は小針証人の要求により、秘密会にすべきかどうかを協議するため、午後二時二十九分、休憩となった。

約十分の休憩ののちに、岡元委員長は冷静な口調で再開を宣した。遂に公開のまま続行と決定した。満場は興奮のため水を打ったように静まり、記者席からメモをとるサラサラという鉛筆の音だけが聞えてくる。小針証人が立上って証言をはじめる。

『……各収容所にスパイを置きます。このスパイというのはソヴェト側の情報部の部長がその 収容所の政治部の部員に対しまして、お前の処に誰かいわゆる非常な親ソ分子がいないか、いたら二、三名だせ、といって出させます。

迎えにきたジープ p.038-039 光っているスパイの眼と耳

迎えにきたジープ p.038-039 The thing that I recall in Kobari's words was a very detestable my own memory. I was in Hsinking at the end of the war, but was captured by Soviet troops at Gongzhuling.
迎えにきたジープ p.038-039 The thing that I recall in Kobari’s words was a very detestable my own memory. I was in Hsinking at the end of the war, but was captured by Soviet troops at Gongzhuling.

小針証人が立上って証言をはじめる。

『……各収容所にスパイを置きます。このスパイというのはソヴェト側の情報部の部長がその収容所の政治部の部員に対しまして、お前に処に誰かいわゆる非常な親ソ分子がいないか、いたら二、三名だせ、といって出させます。

……この男ならば絶対に信頼できると、ソ連側が認める場合にはスパイの命令を下します。

……そうしてスパイというのは、殆どスパイになっておる人は、非常に気持の小さい男で、ビクビク者が多いというので、民主グループを作る場合にはその人を使いません。

……こういう男を選んで、それに新聞社から行って連絡しまして、こういうことをやれ、その代り後のことは心配するな、後で問題が起った場合にはすぐ連絡する……』(参院速記録による)

委員会は深夜の十時まで続いた。

二 私こそスパイなのだ

私が小針氏の言葉で反射的に想い浮べたあるデータというのは、実にいまわしい私自身の想い出であったのである。

私は終戦時新京にいたのだが、公主嶺でソ連軍の捕虜になった。九月十六日、私たちの列車が内地直送の期待を裏切って北上をつづけ、ついに満州里を通過したころ、失意の嘆声にみちた車中で、私一人だけは鉄のカーテンの彼方へ特派されたという、新聞記者らしい期待を感じながら街角で拾った小さな日露会話の本で、警乗のソ連兵に露語を教わっていた。

イルクーツクの西、チェレムホーボという炭坑町に丸二年、採炭夫から線路工夫、道路人夫、建築雑役とあらゆる労働に従事させられながらも、あらゆる機会をつかんではソ連人と語り、その家庭を訪問し、みるべきものはみ、聞くべきものは聞いた。

恐怖のスパイ政治! ソ連大衆はこのことをただ教え込まれるように〝労働者と農民の祖国、温かい真の自由の与えられた搾取のない国〟と叫び〝人類の幸福と平和のシンボルの赤旗〟を振るのではあるが、しかし、言葉や動作ではなしに、〝狙われている〟恐怖を本能的に身体で知っている。彼らの身辺には、何時でも、何処でも、誰にでも、光っているスパイの眼と耳があることを知っている。

人が三人集れば、猜疑と警戒である。さしさわりの多い政治問題や、それにつながる話題は自然に避けられて、絶対無難なわい談に花が咲く。だが、そんな消極的、逃避的態度では自己保身はむずかしいのだ。

三人の労働者のかたわらにNKVD(エヌカーベーデー)(内務省の略、ゲペウの後身である秘密警察のこと。正規軍をもっており国内警備隊と称しているが、私服はあらゆる階層や職場に潜入している)の将校が近寄ってくる。

と、突然、今までのわい談をやめた一人が胸を叩いて叫ぶ『ヤー・コムミュニスト!』(俺は共産主義者だゾ!)と。それをみた二人はあわてる。黙っていたなら、日和見の反動になるからだ。ましてそこにはNK(エヌカー)がいるではないか! すかさず次の男が親指を高くかざして応える。『オウ・スターリン・ハラショオ!』(おう、スターリンは素晴しい!)と。