例えばソ連人が帰国するので船会社で切符を買う。その船賃とほぼ同額のドルが、口座から減っているという工合だ。しかし円関係は分らない。市中銀行に個人名儀の円預金を持っているのは事実だが、実態はつかめないでいる。
失踪したラ氏は四、五万円の金を持っていたというので、この千円札の行方を追及した。新しい千円札なら入手経路が分るからだ。失踪の日東京温泉でミストルコに二千円のチップをやったときいて色めき立ったが、誰が千円札の番号記号を覚えているだろう。話は横道へそれたが、このような話のまつわりつく林炳松氏が帰国した。しかも当局では北京から帰ってきたと信じている。果して再び、日中、日ソ貿易商社たちをあわてさせるような噂をふりまくだろうか。
四 街に流れ出したソ連色
他の政治、文化工作も、この経済工作と並行して活溌に行われていた。
シュメリヨフ文化代表の活躍もすさまじかった。第一期の時代も三菱仲二十一号館の図書館では、自由にソ連図書の閲覧を許していたが、七月ごろからは学生と勤労者に重点を置いた宣伝活動が激しくなった。
文化部内で、隔日か週二、三回の割で映画会、文化会が、日ソ親善協会を通して行われた。早大講堂ではソ連文化展や民族舞踊会が催され、専大ではロシヤ語友の会が文化部のザカローバ女史出席のもとに開かれた。朝鮮人に対しても旧朝連系学生の手で、映画、舞踊会が催された。
二十七年初頭のスターリン首相の年頭メッセーヂ、大山郁夫氏へのスターリン平和賞、いずれもソ連の日本への友好を誇示したゼスチュアだ。ソ同盟共産党小史、ハバロフスク細菌戦犯裁判の全貌など、モスクワ外国語出版所の刊行になる日本文ソ連図書のほか、ロシヤ語パンフレットやグラフが安価に街に流れ出した。ヴォルガの舟唄などソ連製のレコードも、本場もののヴォッカ、食料、調味料までが、街のロシヤ料理店に並んでいる。
政治工作の担当者は明らかではない。別表の、代表部組織をみても分る通り、明らかに政府(赤軍を含む)系統のものと党関係の系統とに分けて考えられる組織だからだ。大きくいえば、前述の経済、文化工作も政治工作に入るだろうし、現象面に現われてくる事実も何工作と分類できないものが多い。ここでは気にかかる事実を並べてみよう。
1952年1月
ソ連代表部機構
代表
陸軍武官府
海軍武官府
政治顧問室
経済顧問室
文化部
通商部
文官部
報道部
領事部
海軍部
連絡将校室
特別情報部
書記室