玄関で呼び鈴を押すと、ピアノがハタと止んだ。
——息子はいないのかな?
〝不安〟が胸をよぎった時、ドアが開いた。
「アノオ、……さんは?」
私は、息子の名前をいった。先生は、日本語はほとんどダメだったが、それでも、カタコトでいう。
「イマ、イマセン。ドウゾ」
ニコニコと親愛の情を示して先生は、私の肩を抱くようにして、招じ入れた。
玄関から、広い応接間とつづいて、ピアノは、その広い部屋の一隅に置かれていた。
年配の読者は、ディアナ・ダービン主演の、『オーケストラの少女』という、大当たりの映画を想い出していただきたい。ダービン扮する少女が、ストコフスキーに認められるシーン。少女の歌声につれて、ストコフスキーの指が、自然に、動き出して、リズムを取りはじめ、やがて、あの独特なタクトなしで腕を振り出す——あの、ストコフスキーを想起されれば、この美少年の私と、先生との出会いも、ピタリと決まる。
私を、ソファに坐らせると、先生は、なにか飲みものを用意してくれた。
そして、自分も向かい合って腰をかけ、ピアノを指差して、「弾いてみなさい」という意味のことを、英語で話しかけた。
「イェ、私は、ピアノを弾けないのです」
首を横に振りながら、日本語でそう答えた。
旧制の中学五年の英語力は、けっこう、ヒヤリングの力もあったと思う。なにしろ、府立五中
時代には、ミス・ジュネビーブ・コールフィールドという、老嬢の外人教師までいたのだったから。
すると先生は、立ち上がってピアノの前に坐った。そして、私を手招きして、ベンチのように長い、ピアノ椅子の、横に坐れ、という。
私は、素直に、先生の隣に腰かけた。
虎穴に入らずんば
先生は、ピアノを激しく鳴らし始めた。なにか、嵐のような曲であった。
その曲は、いつの間にか、嵐が止み、陽が輝き、小鳥たちが楽しくさえずる感じに変わっていった。
そして、いままで両手で弾いていた先生の片手が、私の肩にまわされ、片手で弾いているではないか。
その片手の指先からは、静かな、甘い曲が流れ出していた。
——きたナッ!
ブーちゃんの忠告があったればこそ、まだ二十歳前の私にも、これから、ナニが起ころうとしているのか、次の場面を予想するだけの余裕があった。
ピアノの椅子にかけたまま、先生は、両腕で私を抱え、唇を寄せてきた。