モロトフ工場製・ソ連が誇る新車・ジム」タグアーカイブ

迎えにきたジープ p.110-111 生き残りだけの捕虜名簿

迎えにきたジープ p.110-111 Of the 4000 POWs, 95% were infected with typhus fever and 30% died. There are 2,800 prisoners left. The treatment and whereabouts of the dead are unknown. The Soviet Union created a wartime POW list of only the surviving prisoners.
迎えにきたジープ p.110-111 Of the 4000 POWs, 95% were infected with typhus fever and 30% died. There are 2,800 prisoners left. The treatment and whereabouts of the dead are unknown. The Soviet Union created a wartime POW list of only the surviving prisoners.

勝村たちを襲った発疹チフスの猛威は、約二カ月余りの間に全員の九割五分を発病させて、文字通りの生地獄を現出したのである。

シベリヤにも遅い春がやってきた。四月ともなれば、丘から丘へと連なる大地のうねりにも青味がかかって、美しい林のはずれから、澄んだ小川のほとりまでも、茎の短いタンポポが、鮮やかな黄色の絨毯をひろげたように咲き乱れる。

だが、春を迎えた収容所の人員は、約三割も減って二千七、八百名しかいなかった。その行方はあの可愛らしいタンポポにでも、たずねるよりは仕方があるまい。そして、生き残った人たちに対してだけ、やっと捕虜名簿のカードが作られはじめていた。

二 マイヨール・キリコフの着任

それから四年が過ぎて、昭和二十五年の春、信濃、高砂、両引揚船が舞鶴に入港して、ソ連地区の引揚は打ち切られた。

都心には新しい高層ビルが、競争のようにどんどん建ち聳えている。そのどれもが自動車でいえばフォードのように明るいが、幾分安っぽい感じのものだ。大通りには欧洲車は影をひそめて、赤、青、黄と派手な米国製高級車が洪水のように流れている。

盛り場にはクラブとかキャバレーとかいう社交場が妍を竸い、ネオンが妖しくまたたいている。ショーウィンドウにはスマートな商品が豊富に飾られている。そしてその商品の殆どが、衣類も化粧品も菓子までが米国製だ。

舗道をぞろぞろ織りなすように行き交う人たちは誰もが美しく装っている。人妻か娘か判ら

ない婦人たちは、最新流行の服だ。そして職業の全く判らないような男たち。

日本の庶民生活とは何の関係もないこのような事柄が、戦後数年間のうち東京にみちあふれてきた。

だが、身近かな喫茶店やパチンコ屋でさえ、その資本主や経営者には、難しい漢字の三字名や、片仮名の外国人たちが並んでいる。外国人の賭博場ができ、月島の埋立地に上海や香港のような華僑の街をつくろうという計画までが樹てられる。

密輸と密入国。植民地気質の出稼ぎ外人たちは大きな悪事を働らいては飛行機で逃げ出す。大陸や外国から引揚げてきた鮮、華、露などの混血児。赤系に変った白系露人、無国籍のエミグラント、もはや東京は八百万都民と何のかかわりもなく、怪しげな国際都市として、その性格までも変貌していた。

高級住宅地である麻布の高台を滑るように走ってゆく外国製車が一台。ナムバープレートには「SPACJ—35」とあるから、ソ連代表部の車だ。見馴れない型だからモロトフに違いない。ZIM式六基筒九十五馬力。モロトフ工場製でソ連が誇る新車ジムだ。

前に二人、後に二人と、いずれも座席の中央をあけて四人のソ連人が乗っている。車はグングンとスピードを出して虎の門から桜田門へと向った。警視庁のクスんだ建物を左にみて右へ

大廻り、祝田橋の信号にかかってギュッと停った。たちまち七、八台の車が後につかえる。

迎えにきたジープ p.112-113 尾行。運転手だけは変らない

迎えにきたジープ p.112-113 The Soviet representative's car ZIM is touring a fixed course in central and suburbs of Tokyo at a fixed time. Then, a car following the ZIM appears out of nowhere.
迎えにきたジープ p.112-113 The Soviet representative’s car ZIM is touring a fixed course in central and suburbs of Tokyo at a fixed time. Then, a car following the ZIM appears out of nowhere.

高級住宅地である麻布の高台を滑るように走ってゆく外国製車が一台。ナムバープレートには「SPACJ—35」とあるから、ソ連代表部の車だ。見馴れない型だからモロトフに違いない。ZIM式六基筒九十五馬力。モロトフ工場製でソ連が誇る新車ジムだ。

前に二人、後に二人と、いずれも座席の中央をあけて四人のソ連人が乗っている。車はグングンとスピードを出して虎の門から桜田門へと向った。警視庁のクスんだ建物を左にみて右へ

大廻り、祝田橋の信号にかかってギュッと停った。たちまち七、八台の車が後につかえる。

『Aコースだナ。今日こそ何かをつかんでやるぞ』

モロトフの直後にピタリと続いた黒のポンティアックの運転手が呟いた。何時の間に何処から現れたのか、目立たない地味な四十二年ぐらいの車で、客席には若奥様然とした美しい婦人が一人、運転手は紺のダブルに黒のネクタイ、金モールの帽子、どこからみても高級ハイヤーの運転手だ。

モロトフは日比谷交叉点からGHQ前へ、馬場先門から大手町、そして日本橋へと抜ける。ポンティアックは直後についたり、適当に一、二台をはさんだりしながら、執拗にモロトフを尾行する。

日本橋、京橋を左折して昭和通から、新橋へ向う。新橋から虎の門、さらに麻布へ。狸穴の代表部前を通過して、飯倉から六本木。交叉点を渡ったモロトフはようやく新竜土町付近で停り、後部席の二人を降して走り去った。二人は旧連隊の方へ歩き出す。

『USハウス九二六号行きか!』

ポンティアックの運転手は再びそう呟くと、アクセルを踏んで一気に二人を追越した。

奇怪な二台の車である。モロトフはつい最近からいつも定まった時間に、こんな不思議なド

ライヴを始めだした。乗員はいつも四名、まれに日本人が交ることもある。快スビードで無停車のまま、いつも定まったコースを走るのだ。

Aコース、麻布—虎の門—桜田門—日比谷—GHQ—交通公社横—日本橋—京橋—昭和通—新橋—虎の門—麻布。

Bコース、麻布—六本木—赤坂—外苑—代々木—日共本部前—甲州街道—立川、三鷹、青梅(復路同じ)

Cコース、麻布—目黒ロータリー—五反田—横浜(復路同じ)

Dコース、Bコースの甲州街道から—水道道路—中野—昭和通—鷺の宮—練馬—池袋—王子—西新井—池袋—練馬(以下復路同じ)

始発点の麻布が麻布狸穴のソ連代表部を指していることはいうまでもない。

五つのコース。遠く立川、青梅、三鷹までのばすこともあるが、道順は毎回少しも違わない。車はいつもモロトフ、ナンバー三十五号と決まっている。

そしてもう一台の車。これは必らず何処からか現れてモロトフを尾行する。だが車は自家用や三万台だったり、ハイヤー、タクシーのこともある。運転手だけは変らない。

六本木に向って黒い自動車が疾走してくる。白Yシャツにハンチングの運転手で、客席には

誰もいない。歩いて行く二人のソ連人の手前で、自転車でも避けたのか、グッとカーヴを切ってまた元通りに走り過ぎた。

『成功、成功。これで写真はOKヨ!』