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雑誌『キング』p.118下段 幻兵団の全貌 取調室でNKと

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.118 下段
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.118 下段

平屋建てで、七つの房と、事務室、宿直室、それに二つの取調室があるらしかった。監房は六畳敷きほどの広さで、廊下側に鉄扉、反対側に鉄格子のはまった一尺五寸ほどの窓が一つあるきりだった。二段寝台があり、五十六、七歳の白系露人と同室していた。給養は一日三百五十グラムの黒パンとスープだけ。スープといっても魚の塩湯だ。取調べは、いつも夜の十時ごろから翌朝四時ごろまであり、廊下の入口に厳重に歩哨が立っているので、隣室と壁を叩いてモールス通信をした。

四月二日に放りこまれてからずっと音沙汰なく、ある日、同居人として入っていた満鉄の関係の男に取調べの模様をきいたところ、『前職関係のことを調べられた』といったきり、頑固に口をつぐんだが、やがて出て行ったので、何かあるなと感じていた。

四月十六日の夜十時ごろ、取調室にはじめて呼び出された。NKの大尉と通訳の少尉が待っており、コップに甘い紅茶を一杯くれた。

『あなたは情報勤務をしていたということだが、非常に興味ある問題だから話をしてくれ』といいだして、駐屯地とか、どんなことをするかとか、情報の仕事について調べられた。この日は三十分ほどで終わり、翌々十八日の夜十時から二回目の取調べがあった。

雑誌『キング』p.111中段 幻兵団の全貌 日本新聞行きか

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.111 中段
雑誌『キング』昭和25年5月号 p.111 中段

動についての私の見解や、共産主義とソ連及びソ連人への感想などを質問した。結論として、その日に命令されたことは、『民主運動の幹部になってはいけない。ただメムバーとして参加することは構わないが、積極的であってはいけない』ということであった。これを換言すると、アクチヴであってはいけない、日和見分子であり、ある時には反動分子ともなれということ、すなわち〝地下潜入〟であり、〝偽装〟であった。また同時に当時の民主運動に対してのソ側政治部の見方でもあったのだろう。

この日も、前と同様な手段で呼び出され、同じようにいい含められて帰された。私の身体にはすでにこのころから〝幻のヴェール〟がフンワリとかけられていたのである。

そしていよいよ三回目が今夜である。早く早くと歩哨がセキ立てるのに、ウン今すぐと答えながら、二段寝台からとびおりて、毛布の上にかけていたシューバー(毛皮外套)をきる、靴をはく、帽子をかむる。

——何だろう、日本新聞行きかな?

忙しい身支度は私を興奮させた。

——まさか! 内地帰還ではあるまい!

フッとそんなことを考えた私は、前二回の呼び出しの状況をハッキリと思い浮かべていたのだ

雑誌『キング』p.110中段 幻兵団の全貌 A氏特に名を秘す

雑誌『キング』昭和25年5月号 p.110 中段

A氏(特に名を秘す。三十歳、元少尉、大学卒、会社員、東京都、チェレムホーボ地区より二十二年に復員)

『A! A!』

兵舎の入口で歩哨が声高に私を呼んでいる。それは昭和二十二年二月八日の夜八時ごろのことだった。去年の十二月はじめにもう零下五十二度を記録したほどで、二月といえば冬のさ中だった。北緯五十四度という、八月の末には早くも初雪のチラつくこのあたりでは、来る日も来る日も雪曇りのようなうっとうしさの中で、刺すように痛い寒風が雪の氷粒をサアーッサアーッところがし廻している。

もう一週間も続いている深夜の炭坑作業に疲れ切った私は、二段寝台の板の上に横になったまま、寝つかれずにイライラしているところだった。

——来たな! やはり今夜もか⁉

今までもう二回もひそかに司令部に呼び出されて、思想係将校に取調べをうけていた私は、直感的に今夜の呼び出しの重大さを感じとって、返事をしながら上半身を起こした。

『ダ、ダー、シト?』(オーイ、何だい?)

第一回は昨年の十月末ごろのある夜だった。この日はペトロフ少佐の思想係着任によって、

迎えにきたジープ p.046-047 そして三回目が今夜である

迎えにきたジープ p.046-047 Major Petrov said. "Do not be an active. Be an opportunistic element, and in some cases be a reactionary element." In other words, it was a fake infiltration into the democratic movement of the Nihon Shimbun.
迎えにきたジープ p.046-047 Major Petrov said. “Do not be an active. Be an opportunistic element, and in some cases be a reactionary element.” In other words, it was a fake infiltration into the democratic movement of the Nihon Shimbun.

それから一ヶ月ほどして、私はペトロフ少佐のもとに再び呼び出された。当時「日本新聞」の指導で、やや消極的な「友の会」運動から「民主グループ」という積極的な動きに変りつつある時だった。ペトロフ少佐は、民主グループ運動についての私の見解や、共産主義とソ連及びソ連人への感想などを、少佐自身の意見は全くはさまずに質問した。

結論として、その日に命令されたことは、『民主運動の幹部になってはいけない。ただメムバーとして参加することは構わないが、積極的であってはいけない』ということであった。

これを換言すると、アクチヴであってはいけない、日和見分子であり、或る時には反動分子にもなれということ、即ち〝地下潜入〟であり〝偽装〟であった。また同時に当時の民主運動に対してのソ連側政治部の見方でもあったのだろう。

この日も、前と同様な手段で呼び出され、同じようにいい含められて帰された。私の身体にはすでにこのころから〝幻のヴェール〟がフンワリとかけられていたのである。

そしていよいよ三回目が今夜である。早く早くと歩哨がセキ立てるのに、ウン今すぐと答えながら、二段寝台からとびおりて、毛布の上にかけていたシューバー(毛皮外套)をきる、靴をはく、帽子をかむる。

——何だろう、日本新聞行きかな?

忙しい身支度は私を興奮させた。

——まさか! 内地帰還ではあるまい!

フッとそんなことを考えた私は、前二回の呼び出しの状況をハッキリと思い浮べていたのだった。ニセの呼び出し、地下潜行!

——何かがはじまるんだ!

吹きつける風に息をつめたまま、歩哨と一しょに飛ぶように衛兵所を走りぬけ、一気に司令部の玄関に駈けこんだ。廊下を右に折れて突き当りの、一番奧まった部屋の前に立った歩哨は一瞬緊張した顔つきで服装を正してからコツコツとノックした。

『モージノ』(宜しい)

重い大きな扉をあけて、ペーチカでほどよくあたためられた部屋に入った私は、何か鋭い空気を感じて、サッと曇ってしまった眼鏡のまま、正面に向って挙手の敬礼をした。ソ連側からやかましく敬礼の励行を要望されていた関係もあって、左手は真直ぐのびてズボンの縫目にふれていたし、勢よく引きつけられた靴の踵が、カッと鳴ったほど厳格な敬礼になっていた。

正面中央に大きなデスクをすえて、キチンと軍服をきたペトロフ少佐が坐っていた。傍らに は、みたことのない若いやせた少尉が一人。