私のたった一つの記憶、数年前に父親が実の娘を犯し、そのため彼女は死を選んだという事
件があった。取材に当った私は、これが「真実」だと知った。しかし、罪に戦く父親と、清い心と身体で死んでゆくと遺書を残した娘の気持とを汲んで、私は妥協したことがある。「真実」を伝えなかったのである。
戦後の十年。この十年間ほど、日本が激しく大きく揺れたことはないだろう。そして、私は、その十年間に新聞記者として育ち、いろいろのことを見聞きしては、丹念にメモと資料とを貯めこんできたのだった。その意味ではこの著は、日本の戦後十年史の一断面でもある。
そして、私にとって幸いだったのは、私は一貫して公安関係(左翼、右翼、外事)の取材を担当できたことであった。そしてまた、「真実を伝える」ということのため、私は勇気を奮って、関係者の名前を、実名で登場させたのである。御迷惑をおかけした向もあることと思うが、私の微衷を汲まれ、御寬恕あらんことをお願ひする次第である。
敗戦という始めての経験に引きつづき、外国軍隊の占領、自由世界との講和と、共産世界との休戦という、事実上の「半独立」をも味わうなど、国際的な訓練の全くなかった日本民族は、この十年間に、或は本土で占領軍に阿ユ迎合したり、反抗したり、或はまた外地で捕虜となったりして、投獄され、忠誠を誓ひ、混血児を生むなど、男も女も数限りない辛惨をなめてきたのであった。そして、日本民族は成長した。国際的鍛錬を受けたのである。
民族としての優秀性を信じ、民族としての誇りを取戻したわれわれは、平和を愛する国際人として、世界に対して、新しい眼を見開きつつあるのだ。しかし、その希望に燃えあがる瞳に、まださえぎられたままでいる、〝隠された世界〟がある。
諜報と謀略の世界である。われわれが、自由と平和とを、こよなく愛する国民として、国際人として、明るく生きてゆくためには、この〝隠された世界〟までを見通す、叡智と聰明さとを必要とする。
この「迎えにきたジープ」は、いわばこのシリーズものの序章である。門口に止ったあのジープ特有の力強い爆音! ジープが迎えにきたナッ? と感じた瞬間の、あの不安と混乱と恐怖の感情とは、そのジープがアメリカのものであるかソ連のであるかを問わず、一個人の感情ではなくて、米ソの間にはさまれた日本全体の感情である。
この第一集は、第二集「赤い広場—霞ヶ関」の前篇ともいうべきもので、主として過去の事件が多い。第二集がラストヴォロフ事件から、日ソ交渉にいたるまでの、内幕ものなので、それをうけた、この十年間の、米ソの相搏つ〝声なき斗い〟の歴史である。この経過が分らないと、日ソ交渉も、ラ事件も、正しく理解することはできない。
この一集では、私は何も結論を出していない。ただ、事実と疑問とを投げかけているだけで
ある。他の三分冊と併せて読んで頂けるならば、アメリカとソ連は東京で何をしていったか、何をしているか、また何をするだろうかが、分って頂けることと信じている。