二十七年四月二十八日の講和発効から、これらの機構は若干変ってきている。濠端の第一生
命ビルに頑張っていたGHQは市ヶ谷に移転し、国連軍総司令部は解消して、日米安保条約による日本駐留米軍司令部になった。つまり占領軍から駐留軍に変ったというわけである。しかし注意しておきたいのは、ここは同時に、米極東軍司令部であり、国連軍司令部でもあるということだ。つまり看板が三枚ある。
この機構の改革によって、同年秋ごろから極東軍の参謀部はJ—1から4になった。Jは、Joint Staff の略である。従って情報部はJ—2になったが、J—2には三軍のスタッフ・オフィサーがいるだけで、以前のG—2のように実行機関はもっていない。
極東陸軍のG—2は次のように分れている。
イ、戦略情報課( Strategic Intelligence Sec. )
ロ、秘密情報課( Security Intelligence Sec. )
ハ、心理戦情報課( Psychological Warfare Sec. )
ニ、総務課( Administration Sec. )
ホ、地理課( Geographical Sec. )
これらの課の中にそれぞれ三—四の班( Unit )があって担任の業務をしていた。当時のG—2も大体これに準じた内容をもっていたと思えば間違いはない。例えばこの秘密情報課という
のは旧CISであるように。
板橋にあるのはCICとCISの実行機関である。また王子のTIDは技術部隊で、Technical Intelligence Div. の略である。日本陸軍のガス学校だった習志野学校は、米軍の諜報学校( Intelligence School )になっていて、いまは少佐に進級して帰米した、舞鶴第五班の坂本(サカモト)大尉は、舞鶴の任務が終ってからここで教官をしていた。
その他の機関では連邦検察局と呼ばれるFBI( Federal Bureau of Investigation )、犯罪捜査のCID( Criminal Investigation Div. )がある。FBIとはいわば特高で、禁酒法時代に、酒の密造密輸、脱税防止という税警隊として出発し、現在では主として反逆罪関係をやっているが、これもまたそれ自身の諜報謀略網を持っている。CIDは一般犯罪関係の警察機関で、例の銀行ギャング、パリエル事件などでお馴染みである。Provost Marshall という憲兵司令官の下で、制服部隊がMPで、私服がCIDである。
これまでは主として陸軍関係であったが、海、空軍ともにG—2に相当するA—2( AFFE-2)、NIC( Navy Intelligence Command )とがあり、それぞれ活動している。
三 押しボタン戦爭の原爆投下
対ソ資料の全くなかったアメリカが、旧軍人に協力を要請したことはさきに述べた通りだが、その初期はあくまで要請であって、二十一年十二月と翌年
一月の引揚四船の入港時には、日本政府の復員官の身分で、給与は終戦処理費の秘密費というような旧軍人顧問団を抱えていた。